第7話 新米二人の捜査線!?(中編)
元々、副署長のことは初めから快く思っていなかった。
彼は巡査官から叩き上げで今の立場に着いた人物と聞いていた。そのため、巡査官よりの考え方をする人物ではないだろうかと危惧していたら案の定だ。今日の処分を見たら一目瞭然。警査官二人は謹慎処分を言い渡され、巡査官は不問とされた。
「クソッ!! クソッ!!」
ガイ警査はふらつく足取りで路傍にもたれ掛かった。処分を言い渡された後、そのまま帰宅せずに飲屋で浴びる様に酒を飲んだのである。飲めど飲めど、ガイ警査の気分が晴れることなどなかった。ガイの体を気遣った飲屋の主人が店から追い出すまで酒を飲んだが、気分が晴れる処か憤りの雲を募らせるばかりであった。
「あの時、奴が情報を挙げていれば……」
うわ言のように繰り返し、路傍の塀を何度も殴る。その姿は泥酔し、荒れていることが傍目から見てもわかるぐらいだ。
「彼を最後の実験体にするか」
「警察官ッスか」
「ああ、酔ってるんなら今までと手間は変わらないだろうし……」
「警察官の方が面白いッスからね。でも、いいんスか。ライトさんはあんまり大事になるようなことは望んでなかったッスよ?」
「実験で知るべき情報はもう得られたんだ。例え、しくじっても計画に支障はない。なら計画をより早く進めるために行動するのがライトさんのためであり、『宴』の上層部が望んでいることだろ」
「そんなこと言って、ホントは『契約』に味を占めただけじゃないんスか?」
「ふふふ、言ってろ」
ガイ警査は気付かなかった。泥酔し、ふらふらしている自分を眺める二人の人影の存在を。ガイ警査の意識が途絶えるのはこの直後である。
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掃除の基本は上から下へである。これは床から掃除し、天井を掃除すると埃が床に落ち、また床を掃除しないといけなくなるからだ。ザール地区警察寮、別名『悪魔の巣窟』。彼女たちが今掃除しているのはその一室である。
「ちょっと、テュリア。ダンボールから荷物の出すのは後よ。先に天井を払って、窓を拭いて、床を拭いてからになさい。先に荷物を解くと掃除の邪魔だわ」
「え~、でも何が入ってるか早く確認したいし」
「我慢なさい。荷物出したら掃除が大変になるの」
マイカはティリアを戒め、雑巾で窓を拭くように指示した。マイカ自身もはたきを持って天井の埃を払っている。二人とも三角巾にマスク、エプロンの恰好である。
分署で偶然再会を果たした二人は卒業後の進路で話込んだ。マイカは試験をパスして警査官になり、第5分署の組織犯罪対策課に配属されたことを、テュリアは実家で一悶着を起こした後、半ば家を飛び出すように配属された交番所に向かったことを、お互い話しあった。
マイカにとってテュリアに出会ったのは気分的に助かったといえる。つい先程、謹慎処分を言い渡され、目付きの鋭い巡査官に苦い思いをさせられたばかりだったからだ。マイカが時間にゆとりがあることを知ると、テュリアは緩やかなウェーブの掛かった銀髪を指でくるくると弄くりながらそわそわしだした。この様子はテュリアが人に頼みごとをする時の仕草である。おずおずと口を開いたテュリアから出た言葉は「マイカちゃん、引越しを手伝って」だった。事情を聞くと巡査官の仕事が忙し過ぎて荷解きとかがほとんど出来てないの、とおずおずとした口ぶりで話してくれた。マイカもおとなしく自宅で謹慎するよりは友人のために一肌脱いだ方が幾分もマシなので快諾した。何より目の前にいる友人は警察学校寮の元ルームメイトなのだ。一見すると切れ長な瞳と女性の割には高い身長のため冷淡な印象を与えてしまうマイカだが、実は世話好きで頼られる事にやぶさかでない人物なのである。
「あんた……、今までどうやって暮らしてたの? この部屋、全然生活感がないわよ」
「交番で暮らしてたの」
テュリアは自室の窓を拭きながら訳無く答えた。その答えにマイカが愕然としたのは言うまでもない。
「交番って……、そんなに巡査官の仕事は忙しいものなの?」
「う~ん。それもあるけど、割と交番が過ごしやすかったから長居しちゃったんだよねぇ~。あと、此処に辿り着くのが難解だったの」
「確かに……、此処の道のりは複雑よね」
テュリアに連れられてきたマイカもこの警察寮の位置が異常に難解であるのは理解できた。道沿いに建ってないから分りづらい、というレベルですら無いような場所にこの警察寮は建っている。隙間と呼べる小道を三回潜り抜け、人様の庭を二回突っ切った処にこの警察寮は建っていた。はっきり言って目的地を知っていなければ辿り着くことなど不可能な立地条件である。警察寮の玄関は出て直ぐが道路などではなく、人様の家の塀であり、寮の四方は完全に民家の塀よって囲まれている。辛うじて玄関門と民家の塀の間に人一人が通れる隙間が開いており、そこが通路と機能しているのだ。幸い、寮そのものの土地にゆとりがあるため、建物が密集することで生まれる圧迫感を庭で軽減しているのが救いである。
「まるで隔離されているみたいね、此処」
マイカがさりげなく呟いた一言は実は的を射ていたのだが、この時のマイカに知る由は無い。天井をはたき終わり、床も拭き終わるとテュリアが荷解きに取り掛かった。マイカもダンボールを開けてみると、上質な素材で丁寧に織られた衣服が出てきた。
「テュリア、このダンボールにドレスが入ってるわよ」
「えっ!? ウソっ!?」
慌ててテュリアが確認すると、数着のドレスが入っていた。ご丁寧にカクテルドレス・イブニングドレスの両方と、ケープやボレロといったものまで入っていた。
「うわ~、お姉ちゃんが気を利かせて入れたんだ」
「警官でそれを着る機会ってあるのかしら?」
「あるといいな、折角送って貰ったんだし」
「とにかく早くクローゼットにしまいなさい。このままじゃ、シワになるから」
テュリアは言われるがままに送られたドレスをクローゼットにしまい込んだ。マイカは次の箱を開け、中身を確認し、てきぱきとテュリアに指示しながらただ荷物が置いてあるだけの殺風景だった部屋を生活感のある部屋に変えていった。数刻後には荷物を入れてあった箱は皆潰され、掃除で出たゴミはゴミ袋に纏められていた。
「自分で言うのもなんだけど、よくやったわ、私」
「ありがと~、マイカちゃん」
とテュリアはマイカの胸に抱きつきながらお礼をいった。マイカは照れくさそうな表情を一瞬見せながら、テュリアの腕を解いた。
「何か、奢りなさいよ」
「うん、蕎麦なんてどう? 引越し繋がりで」
「さらりと高いものを提供しようとする、あんたが恐いわ。巡査官の安月給でそんなもの奢って大丈夫なの?」
「えっ、蕎麦って高いの?」
「安くは無いわよ。普通は特別な日に食べるものね」
「なら、大丈夫。再会を祝してって理由があるじゃない」
テュリアは上目遣いでマイカを見た。瞳はウルウルしている。マイカとしては今日は謹慎処分を貰っているので、祝うような日ではない。だが、目の前で瞳を潤ませているテュリアには関係ない話だ。
マイカは諦観の吐息を吐き、
「わかったわ、奢ってくれんでしょ? 巡査官さん」
おどけた口調でテュリアの提案を了承した。
「勿論、警査官さん」
テュリアも軽口で応え、エプロンをはずした。お互いの様子に二人は学生時代の郷愁を思い出し、顔を見合わせてクスリと笑い合った。
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「まさかダインで本格的な蕎麦が堪能できるなんて……」
「ハオマのお蕎麦屋さんより蕎麦の風味が生きていて美味しかった……」
二人とも軽いカルチャーショックを受けた食事を終え、帰路に着くところであった。オーエントでは小麦と違い、蕎麦粉は嗜好品という扱いである。蕎麦の自給率がゼロであるオーエントでは輸入で蕎麦粉を手に入れるしかない。手に入るといっても蕎麦の大半は交易の盛んな宵の都市テセアで消費され、洞窟の奥に位置する都市であればあるほど供給が細くなる。首都である深淵都市ハオマでも小麦を多く混ぜた蕎麦が主流なのである。最奥に位置するダインでは言わずもがな、という予測を「シェルトン・ザール」で経営している蕎麦屋は裏切ってくれた。今まで蕎麦ってパスタの親戚でしょ、という認識であった二人は本格的手打ち蕎麦の前に打ちのめされた。
「テュリア、アレを奢って貰ってほんと~に良かったの?」
「うん、警官割引が効いたからマイカちゃんが思ってる程高くはなかったよ」
「へ~、そんな割引があるんだ」
「ここのホテルのオーナーが警官と友達だそうだから、特別に割引してるみたい」
「だから、わざわざ制服を着こんで此処にきたのね」
納得したようにうんうんと頷きながらマイカはテュリアの脇を歩く。マイカはテュリアと違い、分署の更衣用ロッカーで着替えてから分署を出たので私服である。
テュリアは親友の横顔を見つめながら考えていた。親友である彼女は何か無理をしている。それは分署でばったり会った時から感じていたことだ。前方不注意で人にぶつかるというのはしっかり者のマイカにとってまず無いことだ。引越しを手伝って貰った時も何かを考え詰めるかの表情を時より見せていた。それがテュリアの疑念を確信に導いた。
問題はそれを尋ねるべきか、話してくれるまであえて触れないでおくかだ。前者は素直に答えてくれればいいが、そうでない場合は相手の話す機会を奪ってしまうことになる。後者はそのまま話題に挙がらず別れてしまう可能性が高い。
どう切り出そうかと考えあぐねているとマイカの顔が険しいものに変化した。
「どうしたの? マイカちゃん」
「テュリア、あの男性おかしくない?」
指摘され、前を歩いている男性を見つめると露天商を見物している客に妙に近づいていた。
「お店を覗いてるんじゃないの」
「よく見なさいよ。男の視線は売り物じゃなくて客のポケットよ」
言われてみると確かにそうだ。こうなると考えれられる可能性は……。
「スリね」
マイカは断言した。と同時に男の手が露天商を眺めるのに夢中になっている客のポケットに手を伸ばしたその時、
「露天商はどうですか? にぎやかでしょう」
とテュリアはスリを働こうとしている男性に話しかけていた。
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「どうして話しかけたりしたの!!」
露天商が並ぶ通りを抜け、噴水公園の敷地を歩いている時にマイカの不満は爆発した。
「話しかけなければ現行犯で検挙できたのに」
テュリアが話しかけたことで男性は伸ばしていた手を止めた。当然である。人に気付かれないように掏るのがスリで人前で堂々と掏ったりは出来ないのである。しかも、テュリアは警察官の制服を着込んでいるため尚更だ。話しかけられた男もテュリアに驚き、話そこそこでどこかに去ってしまった。
「どうして怒ってるのマイカちゃん?」
「わからないの? テュリア、あんたがさっきした行為の意味が」
マイカはヒステリックな声でテュリアの攻め立てた。それはテュリアが先程した愚行とも言える行為に対する怒りだけでなく、目付きの悪い巡査官に言われた皮肉に対する怒りも上乗せされている。
「あそこで止めても、あいつは別のカモを見つけてまたスリを働くわよ。被害が増える前にああいう奴は検挙した方がいいのよ。あんたも警察官でしょ。どうして、それが分らないのよ!!」
「けど、そうしたらあの掏られそうになっていたお客さんにまで調書を取らないといけなくなってたんだよ。被害届という形で。折角、露天商で楽しくショッピングしてたのに」
「なら、あの人以外の人がスリの被害にあったらいいって言うの? あんたは」
「そうは言わないよ。けど掏ろうとした人だってほんの出来心でしようとしたかもしれないじゃない。なら、話しかけて思いとどませてあげるのも警察官の仕事じゃないのかな?」
「そんなのキレイごとじゃない。あんたが口にしてるのは理想論よ。私が言ってるのは現実に則したことをいってるの」
「それは違うよ。マイカちゃんが言ってるのは現実に則したことなんかじゃない。それは警察官にとって都合のいい事だよ。検挙した方がスリ犯が一人減るから治安が良くなると思ってる警察の。マイカちゃんは現実に則したって言ったけど、現行犯で逮捕した方が検挙率が上がるとか、市民に警察の権威を知らしめることが治安に関わるなんて全部警察の都合じゃない。被害にあった人の心はどうなるの? 被害に合うってことはそれだけで傷になることなんだよ。いくら直ぐ捕まったからってそれは同じことなんだよ。マイカちゃんの言ってることはそこが抜け落ちてるよ」
「それは……」
「警察学校の教官が言ってたじゃない。警察官が制服に身を包むのは治安を守る者の証だからだって。治安を守るって法を犯すのを待って検挙することなの? 法を犯そうとする人を止めてあげるのがホントの治安を守るじゃないの?」
キレイごと、という一言で切り捨てることが出来なかった。少なくとも、同じ場所に居ながら同僚の突然の暴挙を止められなかったマイカには。
「……、くやしいなぁ……」
絞るような声で、風が吹けば飛ばされてしまいそうな声で辛うじてマイカが吐き出した言葉がそれだ。目付きの悪い巡査官に皮肉を言われたのにも関わらず言い返せなかった事が悔しい。親友が自分よりも数段上の警察官としてビジョンを持っていたことが悔しい。何より同僚が暴挙に出たのに関わらず、ただ呆然としていただけの自分が悔しい。それら全てをひっくるめて吐き出した言葉だった。
「泣いてるの? マイカちゃん」
テュリアに指摘されてマイカは初めて自分が泣いていることに気が付いた。意識してしまったことで更に涙腺が緩む。
「あのね、マイカちゃんの言ってることも間違ってないと思う……、わたしが言いたいのは、えっと……」
「違うわよ。あんたに言い負かされて泣いてるんじゃないの。自分が情けなくて泣いてるのよ」
「そんな……、マイカちゃんは情けなくなんかないよ」
「ありがとう、そういってくれて」
マイカはハンカチで涙を拭い、テュリアと顔を突き合わせて向かい合った。
「私、今日ね。謹慎処分を受けたの」
「え、どうして?」
テュリアも唐突な話題で驚きながらもマイカの話を聞く。
「取調べ中にね。同僚が被疑者に暴力を振るったのよ。で、その時一緒に取り調べ室にいたのが私」
「それで今日一日、どこか浮かない顔をしてたんだ」
「気付いてたの?」
「ふふ~ん、元ルームメイトを舐めちゃいけません」
「あんたにゃ、負けるわ」
お互い苦笑いながらも笑い合った。
「マイカちゃん」
「なに?」
「私の交番の部長の言葉だけど、新米の内は一杯叱られるものなんだって。わたしなんかは今日までに何回も叱られたんだよ。けど、優秀なマイカちゃんはまだたった一回。新米の名が取れるまではまだまだ一杯叱られなきゃ」
「言ったなぁ~、こいつ」
マイカはテュリアの額を軽くこついた。それは学生時代、テュリアが勉強を教えて貰った時によくされた他愛もないものだった。
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「カモが二羽、狩場にいるッス。始めるッスか?」
噴水公園が見渡せる屋上から双眼鏡越しにテュリアたちを眺めている。
「警官が一人に、一般人が一人か」
「警官がいるなら止めとくッスか?」
「ふっ、まさか。俄然やった方が面白いだろ」
もう一人の方も双眼鏡越しで噴水公園の様子を眺めていた。
「警官同士で殺し合いか。面白いものがみれるぞ」
「そうッスね。じゃ、『契約』の方は任せましたッス」
「ああ、わかってる」
さっそく二人は自分たちの任務に取り掛かった。
『闇夜に彷徨う異類どもに導きの光を!!』