第3話 テュリアの長い一日(後編)
テュリアが身支度整理やカルナヴァルから言い渡された雑務をこなしているうちに地上の日没を知らせる鐘が響いた。
すると、椅子の背にもたれ掛かってくつろいでいたカルナヴァルが「そろそろか」と呟いて立ち上がった。
「テュリア、ホテルの『掃除』にでかけるぞ。掃除用ロッカーからモップを二本とってくれ」
「はい、先輩。あのホントに『掃除』ってなんですか?」
テュリアは指示どおりモップを二本取り出して、その内一本をカルナヴァルに手渡した。
「トイレ掃除の遠い遠い親戚だ。友達の友達の従兄弟の親戚ぐらいの」
「全くの別物じゃないですか、それじゃ」
「まあ、行けば分る」とカルナヴァルはモップを肩で担ぎながらホテルに向けて歩き出した。
「ちょっと、待ってください。先輩」と慌ててカルナヴァルを追うテュリア。
黒猫部長はその様子を眺めながらしみじみと思った。
なんとも間の悪い日に配属されたものだと。
もっとも、ダインに配属されたのなら遅かれ早かれ経験することなのでこの場合配属された場所が悪かったと言った方が正しいが。
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妙に狭いトンネルを抜け、荘厳なホテルの玄関前にやってきた。ホテルのオーナーであるエバンは玄関に待っていて、カルナヴァルがやってくるのを凄く喜んでいたが昼間のように傍にまで近づいてきたりはしなかった。というか、近づけないのだろう。ホテル玄関口は固くロックされていた。
「テュリア、今のうちに準備体操はしっかりしとけよ。いざって時に困るから」
屈伸やアキレス腱を伸ばしているカルナヴァル。それに習いテュリアも準備運動を始めた。
「先輩、これから一体何が始まるんです? あとどうしてホテルの皆さんはこちらをみているんですか?」
玄関にいたエバンだけでなくフロントなどの従業員、果ては客室に泊まっている観光客までもが玄関ホールや各々の客室の窓からこちらを見ている。期待と羨望の眼差しで。
「これから俺たちがやるのはトイレ掃除の遠い遠い親戚の『ゾンビ掃除』だ。で、こっちを見てる奴らはただの野次馬だ」
「ゾンビが出るんですか。こんなところに!?」
「モンスターのゾンビじゃないぞ。隠語のゾンビって意味でだ」
ヴァンピールが「吸血鬼」と蔑まれたのには原因がある。その原因は月に一度やってくる吸血衝動だ。ヒトの血液を飲めばその衝動は抑えられる。だが、血液を飲まないでいると極端に知性が下がり、凶暴性が現れヒトの生き血を求め始める。その様子が生者を求めるゾンビに似ているのでその状態に陥った者のことを隠語としてゾンビなどとヴァンピールの中では呼んでいる。しかし、医学が発展した現在では擬似血液製剤が発明されヴァンピールはヒトの血液を求める必要が無くなったはずである。
「ダインは出稼ぎで働きに来てるやつが多いんだ。で、その出稼ぎ労働者ってのは企業に安く働かされてしかも仕送りまでしてるもんだから、金がない。無いもんだから衣食住のどれかを削る、擬似血液製剤なんて月に一度しか使わないんだから真っ先に削られる。で、この辺で人間の血を飲めるのが外国人を泊めてるこのホテルだけだから……」
ドドドドドっと地面を揺らす大量の足音が響き始めた。
「ああなるわけ」
カルナヴァルがトンネルの向こうを指さした。そこには土煙は靡かせながらやってくる猛牛がごとく、理性を失ったヴァンピールの群れという群れ。
「因みにダイン宿泊施設条例はこれの対症療法的な法案なわけだ。こうしないと外国人の安全が確保できないからな。これが格差の歪ってやつだ。ははは」
「全然、笑えません。あんなにたくさんの人を二人で押さえ込むなんて、無理です!!」
「安心しろよ、ここに一度にたどり着けるのはトンネルのせいで一人か二人だ。しかも知性を失ってるせいで能力だってロクに使えない」
「そんな~」
正直、テュリアは既に相手の数の多さと雰囲気に負けてしまい、腰が引けてしまっている。
「ああ、あと拳銃、帯剣、攻撃魔術の使用は極力控えろよ。施設やらを壊すと始末書を書かないといけなくなるから」
「そんな、じゃあどうやって止めるんですか?」
「それ」とテュリアの持っているモップを指差した。
「それでトンネルの出口をせき止めろ。文字通り肉の壁になってな」
「先輩はどうするんです? 手伝ってくれるんですか?」
「俺はお前の壁をすり抜けた奴を片付けていくんだよ。体術に自信があるなら入れ替わってやるぞ」
生憎テュリアは体術はからっきしである。首を横に振って辞退した。
「なら、さっさと位置について構えろ。そろそろ来るぞ」
カルナヴァルはテュリアはトンネルの出口に促し、自分はウォーミングアップにステップと軽いジャブを繰り返していた。
―(司 さあ、始りました。「シェルトン・ザール」名物のゾンビ掃除。今日はどのようなファイトが見られるのでしょうか。司会・進行は当ホテルのオーナーである私、エバン・デュリミアが勤めさせて頂きます
―(解 解説を担当するビリー・マッケンジーです。よろしくお願いします
―(司 今日のゾンビ掃除は楽しみですね、ビリーさん
―(解 ええ、何といっても今日はカルナヴァル巡査長が担当していますからね。おや、見慣れない顔もいますね
―(司 手元の資料によるとテュリア・レプリカーレ巡査、今日ザール地区に配属された新米巡査官ですね
―(解 新人さんでしたか。てっきりイメクラ嬢かと思いましたよ。初々しくて(笑
唐突に野外スピーカーから大音量でテュリア達の解説が始った。
「先輩?」と慌てて振り向くとカルナヴァルも苦虫を噛んだような表情で、「ともかく、今は前にだけ集中しろ」と怒鳴りつけられた。
ふぇ~ん、またイメクラ嬢とか言われた、と戦う前から心理的ダメージを負うテュリア。
―(司 まだ、ゾンビ到達までに時間があるようなので人物紹介をしましょう。テュリア巡査は先ほど紹介したのでカルナヴァル巡査長の方を
―(解 目付きが鋭い人ですね。あと口が悪い
バンッバンッと銃声がした。カルナヴァルが野外スピーカーに向かって発砲したのだ。
「先輩、拳銃は使っちゃダメだったんじゃないんですか」
「うるせぇ、あのスピーカーは例外だ」
ー(司 あと短気も付け加えましょう。因みに野外スピーカーは防弾仕様となっているのでいくら撃っても無駄ですよ、カルナヴァルさん(笑
ー(解 おや、そうこうしている内にテュリア巡査に動きがありますね
テュリアは風の精霊を呼び寄せて自分の声をスピーカーと同じように拡張した。
「皆さん、人間に対しての吸血行為は刑法の傷害罪に当たります。ですから……」
「ガルルルルルゥ、ギャアギャアギャア、ジュッルルルル」
人間の言葉ですらない!? あれじゃ言葉じゃなくて泣き声だよ。ここまで低下するの? 知性って。というか人間やめてませんか、と様々な思いがこみ上げてくる中、テュリアはゾンビの群れの先頭と衝突した。
ー(司 あっ、テュリア巡査あっさりゾンビの群れに吹っ飛ばされていますね~。防波堤の役割としては落第点です
ー(解 相手に呼びかけて止めようとした行為は非常に文化的なんですが、いやはや現状を甘く見ていたとしかいえませんね
ー(司 彼女はまだ新人ですからね~、その辺は経験不足から来るのでしょう
テュリアという防波堤を突破したゾンビの先頭集団は女ヴァンピールを筆頭に玄関に一直線に向かっていく。と、そこを遮る影が現れた。カルナヴァルである。
カルナヴァルは飛び掛ってくる女ヴァンピールに片足を一歩踏み込み、体重と力を込めたパンチを顔面に叩き込んだ。ズガッっと鈍い音を立てて女ヴァンピールは引き連れてきた群れを巻き込みながらトンネルの先まで吹き飛ばされていった。
ー(司 おお、出ましたカルナヴァル巡査長の十八番、顔面パンチ。相変わらず凄まじい威力ですね。さすがヴァンピールでも飛びぬけた身体能力を持つヘシュム系統だ
―(解 ヘシュムの能力もさることながら、殴ることに躊躇がないことですね。彼の凄いところは。普通は女性の顔面なんて殴れませんよ、いくら相手がヴァンピールだからといっても
ー(司 確かに、根が鬼畜で外道じゃないと出来ませんね。この鬼、人でなしという言葉を彼に贈りましょう
バンッバンッと銃声が響く。
ー(司 おっと、またスピーカーに八つ当たりか。彼が無駄にしている銃弾は我々オーエント国民の血税だぞ(笑
ー(解 ホント短気ですね(笑
「テュリア!!」と怒鳴り声が響いた。
呼ばれた本人であるテュリアは身体の芯から震え上がった。カルナヴァルはスピーカーでボロクソに言われたせいか、平時の五割増しの怒気を含んでいたからだ。
「お前、何時までボケッとしてやがる!! ノーンだったらさっさと大地の精を呼んできて自身を強化してからトンネルをせき止めろ。ああ、程よく通りぬけさせろよ。徐々に数を削るからな」
カルナヴァルが怖かったテュリアは指示どおりにおとなしく従った。先ほどカルナヴァルが殴り飛ばした女性がゾンビの群れを巻き込みながらトンネルを逆流したおかげで大半のゾンビは入り口に押し戻され、せき止めるのは容易であった。因みにそれに免れたゾンビはカルナヴァルの強拳の前に撃沈されている。
再び、テュリアとゾンビの群れが衝突した。今度は大地の精霊の力を借りているおかげ吹き飛ばされることはなかった。しかし、彼らの意思とはいえすり抜けていくゾンビたちを見るたびに死刑執行を見送る刑務官の気持ちが湧き上がるテュリアであった。
ー(司 おお~、カルナヴァル巡査長。モップを巧みに使い顔や喉、金的という良い子は真似しちゃいけないところばかり突いて次々とゾンビを撃沈していくぞ
ー(解 子供には見せたく光景ですね。親御さんの皆さんは子供を寝かしつけてください
スピーカーのやり取りを無視しつつ、テュリアは最後のゾンビを通り抜けさせた。
すると、ズゴッと鈍い音が響き、振り向いてみると最後に通り抜けたゾンビがモップの下段からの突き上げによって顎を砕かれ撃沈していた。
「やっと終わった……」
テュリアはヘタリ込んだ。衣服は勿論、髪や心も既にボロボロである。
ー(司 どうやら一段落ついたようですね。ビリーさん
ー(解 そうですね。とりあえず、ここで定例の注意事項を。今回、撃沈されたゾンビの皆さんは次の日の朝には何事もなかったように起き上がり日常生活に戻っていくのでご安心ください。また、お客様の各位がカルナヴァル巡査長のような真似を行ないますと刑法に触れてしまいますので決して真似をしないようにしてください
ー(司 ヴァンピールって死ななくていいいですよね
ー(解 ほんとヴァンピールに生まれてよかったです
ー(司 では、皆さんご機嫌よう……、おや?
ー(解 おお、これは珍しい
ー(司 今日、お越し頂いたお客さまは運がいいですね
テュリアの視線の先には土煙を巻き上げながらこちらに向かってくる軍団が見える。
それはまぎれもなくゾンビの群れだ。
「あははははっ」と渇いた笑い声が思わずでた。まだ、終わらないのだ。ゾンビ掃除は。
ー(司 今度のゾンビの群れは活きがよさそうですよ
ー(解 ピチピチの新鮮で見応えありそうです
他人ごとのように解説する二人にテュリアが殺意を抱いたのは言うまでもない。
その後、彼女たちの掃除は明くる日の朝まで続き、朦朧とした意識の中、どうにか交番に帰ることが出来たテュリアはそのまま交番の仮眠室で泥のように眠りについた。
余談だが、カルナヴァルに掃除された人々は解説者の言ったように明くる日の朝には何事も無かったように目覚め、各々の日常生活に戻ったようである。