第2話 テュリアの長い一日(中編)
「ひぃっぐ、テゥリア・レプリカーレ巡査……、ひぃっぐ、只今よりザール地区交番所に、ひぃっぐ、着任しました」
濁声になりながらも何とか着任の挨拶を終えることが出来たテュリア。結局、涙腺というダムは決壊し、泣き腫らして居た所に配属書が見つかり、ようやく警察官として職務につくことができたのだ。
「泣きながら着任の挨拶を述べる警官は初めて見るにゃ」
「部長のせいでしょうが、泣いてるのは。しかし、こいつの姿を見てると……」
「お気に入りの玩具を取り上げられて泣いてる子供みたいにゃ」
「そうそう、それ。いや~、分ったたら胸がすっとしたわ」
テュリアの様子を肴に会話を弾ませる黒猫部長とカルナヴァル。
「ひどい……」
というテュリアの呟きが聞こえたかは分らないが、黒猫部長ことイストリアが真面目な顔なのかは猫なので分らないがキッと真面目な雰囲気を出してテュリアに向かい合った。
「テュリア・レプリカーレ巡査の着任を確認したにゃ。今後、貴殿の活躍を期待するにゃ。貴殿はこれからそこにいるカルナヴァル・オーギル巡査長の元で職務に着いて貰うのにゃ。拳銃や帯剣などの支給物はカルナヴァル巡査長から受け取るようににゃ」
「えっ、この人の下でですか?」
「この人ってなんだよ。一応、俺はお前より階級が上でここの先輩だぞ」
自分の失言に気付いたテュリアは慌てて「ごめんなさい」と頭を下げた。
「テュリア巡査の気持ちも分らなくはないけどにゃ」
「どういう意味だ」
「カルナヴァルは傍から見ると恐いにゃ。目付きは鋭いし、短気だし、目付きが悪いし」
「待て、今同じ意味合いの言葉を二度言っただろ」
「おまけに口も悪いにゃ。けど……、カルナヴァル・オーギル巡査長が巡査官として優秀な人材であることは、ここの責任者である我輩が保障するにゃ。こう見えても彼はダインで検挙率がトップクラスの巡査官なんだにゃ」
「すごい、先輩は優秀な警官なんですね」
と尊敬の眼差しで見つめてくる後輩に、
「そうかな。俺は職務を忠実にこなしてるだけだけどな。あはははは」
と気を良くして高笑いするカルナヴァル。
「始末書の数もトップクラスにゃ」
「やっぱり」
諦観の吐息を吐くテュリア。
「人を持ち上げるだけ持ち上げといて、叩き落すのは止めてくれませんかね。部長」
「ともかくカルナヴァルは優秀な警官にゃ。客観的なデータはともかく、カルナヴァルの下で働くことはテュリア巡査の警官人生でも大きな意味があると思うにゃ」
「本当なんですか~」
「本当にゃ。だからいっぱいカルナヴァルに叱られるにゃ」
「ううぅ、既に叱られるのは前提なんですか~」
「当たり前にゃ。どんな仕事も失敗を積み重ねて成長していくものにゃ。叱りつけ、失敗を気付かせてくれる人が傍にいるのは本当にありがたいものなのにゃ」
「……はい」
頑張ろう、自分が選び取った道なのだから。一生懸命に。誰からも感謝される警官になれるまで。
黒猫部長の先達の言葉でテュリアは気の持ちようを新たにした。
「さて部長の訓示も終わったし、テュリアは支給品を受け取ったら直ぐに俺と一緒に巡回に出るぞ」
「はい、先輩」
やる気を活力に変え、元気に頷くテュリア。
「さて、我輩は奥に引っ込んで一眠りするかにゃ」
と奥に引き篭もろうとする黒猫の首をカルナヴァルはヒョイっと摘み上げて、
「部長は一ヶ月溜め込んだ書類の精査があるでしょう。全部目を通してくださいよ。端から端まで余すところ無く」
「にゃ~!!」と悲鳴を上げる部長をカルナヴァルは書類の詰まれた机の上に座らせた。
「こんなのめんどくさいにゃ。大半は箸にも棒にもかからないものばかりなのに」
と愚痴りながら書類を新聞を読むように器用に両手を使って読む黒猫の姿はシュールながらもテュリアは可愛いと思ってしまった。
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深更都市「ダイン」はかつて鉱物の採掘などで栄えていた都市だが現在では採掘全般は廃れてしまい、それと入れ替わるように光苔産業が栄えるようになった。洞窟の最奥地にあるダインの環境は光苔の栽培には最も適した環境だったのである。そのため、ダインの中央エリアでは超大型の光苔生成プラントがいくつも点在している。
また、光苔の生産業だけがダイン経済を支えている基盤ではない、光苔を使用した加工業もダイン経済の要である。常夜の国「オーエント」には地上のように太陽という光はない。
いくら身体能力が高いヴァンピールでも光が全くない場所での生活は不可能である。
現在のヴァンピールの生活水準を保っているのは光苔加工業の著しい発展のおかげといっていいだろう。オーエント国内全ての建築物や道路などには光苔による加工が義務付けられている。
光苔を加工した建築物や道路はそれ自体が太陽の役割を果たし、街や屋内を照らす。また光苔で加工した建築物が発する光は日差しのように強烈なものではなく、淡く優しい光を放つものなので就寝の邪魔になりにくい。
こうした加工業が中央エリア周辺に工場や本社を置き、労働者を連れてきたり、集めたりしている。
テュリアが配属された東部エリアのザール地区はいわゆるベッドタウンだ。昼間は労働者の家族で賑わい、夜は仕事で疲れた労働者が帰ってきて寝静まる。それがつい最近までのザール地区の日常の光景であった。しかし、レジャー施設の充実、東部エリアに観光施設の誕生などの開発事業がベッドタウンであるザール地区にも影響を与え、日常の光景に変化が現れつつある。
「賑やかな通りですね」
カルナヴァルに連れられて公園や学校、商店を巡ったあと開けた通りに出た。テュリアはカルナヴァルの後をついて歩いていた。交番前の通りよりも人が多く、また商売人のけたたましい売り込みと客の談笑がひっきりなしに聞こえてくる。
「そうだな、けどここが賑やかになったのはつい最近のことだ」
「そうなんですか?」
「ああ、最近になってザール地区の隣の地区で観光地が出来たんだ。確か光苔を大量に使ったイルミネーションが売りの大型テーマパークだったかな。そのせいでここに他国からの観光客がやってくるようになって、観光客相手の出店が出るようになったってわけ」
「どうしてここに観光客がくるんです? 隣の地区なんですよね、大型テーマパークが出来たのって」
「それはこの通りの先に外国人観光客専用のホテルがあるからだろ」
「ただそれだけで?」
「ただそれだけって、お前。ダイン宿泊施設条例を知らんのか?」
「え~と、あれですよね。施設の大きさに準じた人数しか泊めてはいけないとかいう……」
「馬鹿、それは宿泊施設安全義務法だ。お前、試験で山を張って勉強するタイプの人間だっただろ」
「うっ」とテュリアは声を詰まらせた。カルナヴァルの指摘どおり、テュリアは試験の時、山を張って勉強していた。優等生の友人にも手伝ってもらい、テストに出るところだけを重点的に勉強していたのである。
「テストに出ないからな、条例は。まあ、覚えてないなら今覚えろ。ダイン宿泊施設条例っていうのは外国人宿泊施設は一つの地区に一つまでしか認可しないってやつだよ。平たく言えば」
「それじゃ、ザールで外国人が泊まれるのはこの先のホテルだけってことですか?」
「そういうこと。隣の地区も泊まれる施設は一つだから、隣で溢れた外国人観光客がこっちのホテルに回ってくるわけだ。おっ、前を見てみろ。ホテルの入り口が見えてきたぞ」
カルナヴァルに促されるままに視線を向けてみると、そこには馬車がギリギリ通れるほどの幅のトンネルがあった。通りの幅の2分の1以下の幅のトンネルはホテルの入り口にしては妙にちぐはぐだ。
「妙に狭いトンネルですね」
「条例で厳格に決められてるからな、幅は」
「へぇ~、変な条例を制定しますね」
テュリアは狭いトンネルをキョロキョロと見渡しながら通り抜け、トンネルを出た。
そこから広がる光景に愕然とした。まるで雪で作られたかように白く輝き、城といえるような荘厳で広大なホテルが鎮座していたからだ。ホテルの玄関に辿り着くまでにそれなりに歩かなければならず、脇を見れば自分の出番を待っている馬車が何台もとまっている。
「すごい」
「ここのオーナーはかなりのやり手で、政財界にも顔が利くみたいだぞ。まあ、俺から言わせればここのオーナーは変わり者の一言に尽きるが……」
「変わり者ですか?」
「そのうち分る」とカルナヴァルは会話を打ち切り、ホテルの玄関をくぐりフロントに歩んでいった。
フロントを担当していた青年がこちらに気付き、挨拶してきた。
「こんにちは、カルナヴァルさん」
「異常はないか?」
「はい、問題は起こっていません。ただオーナーが会いたがっていましたよ」
「そうか、問題がないなら帰るわ」
とカルナヴァルが青年の会話後ろ半分を無視して帰ろうとしたちょうどその時、
「そこにいるのは私の友・カルナヴァル巡査長じゃないか!!」
ロビー全体に響く闊達な声に呼びかけられた。
「そろそろ見回りにくるだろうと思ってロビーに下りたらドンピシャだよ。やはり君と私にはシンファシーがあるのだな」
ズカズカとカルナヴァルに歩み寄ってくるオールバックで黒髪、ちょび髭を生やした壮年な男性は半ば無理やりにカルナヴァルの手を掴み、両手で握手をした。
「めぐり合わせの神がいるなら撃ち殺したい気分だな、俺は」
カルナヴァルは握手している手を振りほどこうと手をぶんぶん振り回してるが一向に解けないでいる。どうやら男性の握手は友愛の証というよりは拘束の証と言ったほうがいいようだ。
「今日の『掃除』当番は楽しみにしてるよ」
「頼むから余計なことはしないでくれ。あと手を離せ。汗が滲んできて気持ち悪いだろうが!!」
「余計ことだなんて、そんな……私はただ『掃除』を頑張る君を応援してるだけじゃないか。あと手は離さないよ」
「その応援とやらが余計なことなんだよ!! ぐわっ、べたべたしてきたぞ。お前の汗っ!?」
「応援は当ホテルのサービスだよ。ところで先ほどから君の傍にいるお嬢さんはどなたかな? 見たところ、君の同僚のようだけど。あと私の汗はべたべたなどしてなーい!! スルスルのサラサラなのだ!!」
「今日、うちの交番に配属された新米だよ。この野郎、汗かいてることは認めやがったな!!」
「ほう、では自己紹介しないといけないな。このように両手は既にふさがっているので握手はできないが、私はエバン・デュリミアと申します。聖母エリファスのように美しい銀髪を持つお嬢さん」
よかった、握手は免れて。テュリアは内心ホッとしながら自己紹介をする。
「本日よりザール地区に配属されたテュリア・レプリカーレ巡査です。これからもよろしくお願いしますね」
「おお、これはこれは何と初々しい挨拶をする巡査さんだ。当ホテルは貴女を歓迎しますよ、テュリア巡査」
「おい、いい加減手を離せ。マジで不快度数が跳ね上がってるぞ!! お前の手」
エバンはカルナヴァルの訴えなどは無視してテュリアの容姿をジッと眺めた。
「失礼ですが、テュリア巡査。以前、私とどこかでお会いしませんでしたかな? どうも私にはテュリア巡査と初対面のような印象を抱けないのですが……」
「いきなりうちの新人を口説くな。お前には奥さんがいるだろうが」
「そういう意味合いで尋ねたのではないよ。本当にどこかでお会いしてるような気がするのだ」
「たぶん、それは他人の空似ではないのでしょうか。わたしのような銀髪の者はハオマなら大勢いらっしゃいますし、エバンさんのような立場の方なら仕事でハオマによく行かれるでしょうから」
テュリアは無機質なものを声に忍ばせながら丁寧に答えた。
「それもそうですな。確かにあそこにはよく出張で出かけるし、純血の者が多いですからな。これは失礼しました」
「おい、いい加減放せよ。お前。どうせまた『掃除』の時に会うだろう」
「ふむ、確かにこれ以上やると君の職務の邪魔をしてしまうね」
とエバンはあっさり握手をやめた。カルナヴァルは即座に制服で解放された手の汗を拭いていた。
「今日の『掃除』当番、楽しみにしてるからね。カルナヴァル巡査長、テュリア巡査」
「ああ、ちゃんと『掃除』してやるからくれぐれも余計なことはするなよ」
カルナヴァルはエバンにそう告げると、玄関の方にそそくさと歩みだした。テュリアはその後を慌てて付いて行く。
「あの先輩、さっきから言ってる『掃除』ってどういう意味ですか?」
「後でちゃんと教えてやるよ」
カルナヴァルは意味ありげな笑みを浮かべながらホテルを後にした。
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ホテルから交番に戻ってくると黒猫部長がテュリアを出迎えてくれた。
「初めての巡回はどうだったかにゃ?」
「はい、見回りそのものは異常ありませんでした」
「それはよかったにゃ。慣れてきたら一人で巡回してもらうから道や建物はちゃんと覚えるようにゃ」
「了解しました。ところで部長、ホテルで耳にしたのですが『掃除』ってなんですか?」
「もしかして外国人観光客専用ホテル『シェルトン・ザール』で耳にしたかにゃ?」
「はい、何でも今日『掃除』当番とかなんとか」
「カルナヴァルは何ていったにゃ?」
「後で教えるの一点ばりで幾ら訊いても教えてくれません」
「なら、我輩の口からは言えないにゃ」
「そんな~、そんなこと言わずに教えてくださいよ」
「う~ん、なら代わりにアドバイスをあげるにゃ。時間がくるまでしっかりと身体を休めることにゃ」
「それがアドバイスですか?」
「そうにゃ、後は時がきてからのお楽しみにゃ」
その後、黒猫もカルナヴァル同様にはぐらかしてしまい、テュリアは『掃除』の内容を時が来るまで知ることが出来なかった。