第12話 母の日にプレゼントしたことはあるが父の日は無い
「皆さん、もうじき『母の日』です。常夜の国『オーエント』の建国者エリファス様の母君聖女ルーシェ様の生誕日に当たります。聖女ルーシェ様はヒト族でありながら幼きエリファス様を拾い、自身のご息女として育てられました。今でこそ私たちヴァンピール族は一つの種族として認められ、繁栄していますが、エリファスが生まれた頃は『吸血鬼』や『魔族』などと蔑まれ、差別を受けていた時代です。そんな中、ルーシェ様の行いは稀有で尊き行為です。ルーシェ様は後のオーエント建国者であるエリファス様、その妹君であるテレア様共々わが子のように慈しみ、大切に育てられたそうです。そして、時が経ちオーエントの建国者となったエリファス様がルーシェ様から頂いた愛情をいつまでも忘れないようにという思いを込めて、ルーシェ様の生誕日に当たる日を『母の日』としたのが由来です」
教室に女性教師の澄んだソプラノの声が響いた。まだ若いで通している女性教師はコホンと一つ息を整え、若い教師特有の大らかさを纏った雰囲気で生徒達を見渡した。
ここはザール地区にある教育機関。通称『学校』である。オーエントにおいて学校が存在する地区は少ない。別にヴァンピールという種族が教育というものを軽視しているわけではない。ただ単純に学校という建物を造るほど子供が集まらないのである。ヴァンピールは強靭で永久に近い命を持っている。これは他の長命種にも通じて言えることなのだが、長い寿命を持つ種族ほど新生児の出生率が低いのである。ヴァンピールの純血において言えば永い生涯をかけて授かれる子供は良くて一人と言われるほど低い。勿論、混血は純血に比べれば出生率は高くなるのだが、それでもヒト族に比べれば格段に劣っている。
ダインの労働者たちのベッドタウンであるザール地区のこの学校でも総生徒数を数えてみれば百と僅かである。しかし、オーエントではこれでかなり多い生徒を有している学校と言われている。例えば首都である深淵都市ハオマでは子供を集めて教育する学校という建物そのものが存在しない。それは都市に住むほとんどの人間が成人で子供などそうそういないからである。ゆえにハオマの教育事情は両親が子供をしつけるか、近所に住む教育上手な者に頼るかである。割と個人に委ねているように思えるがヴァンピールという種族は奴隷のような不遇の時代を生きた者たちの訓示もあって、教育そのものに対する考え方は徹底されている。それはどんなならず者でも文字が読め、お金や物の数え方で困るという者がほとんどいないことからも分かることであろう。
さて、一言に学校といっても生徒の年齢によって教育方針が明確に違う。今、女性教師が担当している教室に集められている子供達は5歳~8歳とバラバラである。ここで教えられるのは集団生活の基礎(平たく言えばして良い事と悪い事の区別)と簡単な読み書きなどである。もう一つ上の学年になれば計算や読解力、社会制度などの勉学を中心に教えることになるのだが、この学年はいわば親の教育をサポートする、しつけ的な意味合いが大きい学年なのである。
「皆もエリファス様のようにお母さんに感謝してるかな~?」
すると子供達から色々な反応が返ってくる。当然、まだ年齢的にも幼いため周りの気配りなど出来るはずもなく皆が好きなように発言して、場が少しばかり騒然となる。
―― わたし、おかあさんにクッキーを焼いてあげるの ――
―― おれ、肩たたき券にする ――
―― 幻術で何か渡したことにする ――
―― お皿洗うの手伝うつもり ――
―― お母さんのマズイ飯を残さず食べるつもり ――
―― 手作りのアクセサリーを渡すの ――
と様々な反応が返ってくる。子供は正直だ。それはいい意味でも悪い意味も含めて。場の雰囲気に呑まれて普段から思っていることをしゃべってくれる。女性教師は誰が何を発言したかを正確に聞き分けて、今後の教育プランに役立てていく。こうした無邪気な発言にこそ彼女は価値のあるものだと思っている。
「はいはい、皆静かに!! 今日はこれからお母さんの似顔絵を書いてもらいます。勿論、お母さんに対する感謝の言葉も添えてね。贈り物を考えてなかった人はそれを母の日に贈ってお母さんをびっくりさせてあげてね」
女性教師はそう告げると、生徒たちは素直に頷いたり、きだる気に取り組みだしたりと様々な反応で返してくれた。彼女は教師として優秀な人材に当てはまるのだろう。しかし、彼女は子供というもの少しばかり甘く見ていたのかもしれない。
子供は大人が想像しないようなことを思い、それが実現できるものだと思い行動する生き物なのである。それがどんな夢想じみて実現不可能なことだとしても、思い描き、その結果に辿りつくものだと考えるものだ。
教師に言われたとおり、素直に自分の母親の姿を描いている少女もまたその例に当てはまった。大好きな母親のために、母親が喜ぶ姿を思い描き、母の日の計画を立てていった。彼女が他の少年少女と違ったのは母親に対する愛情の大きさと少しばかり実行力が頭一つ飛びぬけていたことであろう。
少女は母の日の前日に黙って姿をくらますことになる。そのことで彼女の母親と担任である女性教師が仰天し、心配をかけさせることになるとは少女は想像もしなかったことなのである。
☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆
ザール地区警察寮、通称『悪魔の巣窟』の玄関には談話スペースが設けられている。談話スペースといっても丸テーブルに椅子をを並べただけの代物だ。
ただ無造作に置かれている椅子にマイカ・アメーシアは腰を下ろしていた。仕事から帰ってきた彼女は警官の制服姿ではなく、丈夫に織られたズボンとシャツという機能的でありながら本人のセンスの良さを窺わせるファッションである。警査官である彼女は此処の他の住民と違い分署勤めだ。そのため、交番勤務の人間とは異なったシフトで生活している。交番は少ない人数で機能しているため一度に休める人間の数は限られてくる。マイカを除けば交番勤務の人間がほとんどのこの寮では人の気配がほとんど無いのが日常的な光景であった。そのため、この談話スペースもその目的のために機能することはほとんど無かった。しかし、マイカが越して来てからは事情が変わってくる。マイカは分署勤めのため勤務形態が違う。そのため、交番勤務の人間と休日や非番が重なることがしばしばある。
そこでこの談話スペースが機能してくるのである。機能などと大層な言葉を使っているが実際はマイカとテュリアの取り留めの無い会話がもっぱらである。やれ、あそこのカフェのパフェが美味しいだとか、あのブティックは可愛い小物がいっぱい取り揃えてあるとか。そんなやり取りである。
この日、マイカが談話スペースに置かれた椅子に腰を着けたのは親友との会話を楽しむためではなかった。親友テュリアとのやり取りで明らかになったことなのだが今日は彼が勤務明けで帰ってくる日だと聞いていたからである。
彼、とはザール地区交番所勤務カルナヴァル・オーギル巡査長のことだ。お世辞にも彼の評判は良いとはいえない。が、マイカは彼の実力だけは認めている。勿論、批難している人間の方が圧倒的に多いし、彼の実力を認めている人間がごく少数というのも事実だ。
けれど、公園で起きた同僚の発狂事件では危ないところに駆けつけてくれたのは彼だったし、警査官としての自信を持たせるきっかけを持たせてくれたのも彼だとマイカは思っている。
ただ自分が抱いた感情は感謝以上のものではないかと最近になって思い始めている。いくら出勤距離が変わらないからといって寮を変えるという行動に出たのは今思い返してみても信じられない行動である。どうして自分はこんな行動をしたのであろうか?
もしかして……、私は彼に……恋してる……?
自分で思い至って、在り得ない在り得ないと首を振りながら否定した。
そもそも、自分は異性に惹かれたことも惹くことも無かった人間である。何せマイカが住んでいたハオマは学校という同世代の異性と知り合う機会を作る施設がなかった。そのため、子供の時の交友関係は同姓が殆どだったし、周りの環境も自分よりも遥かに年上の大人ばかりで異性としてという意識が芽生えることはなかった。警察学校時代は警査官になるため必死に勉強していたため異性に関心を持つ暇も無かった。因みに本人はあまり自覚してないがマイカは傍目から見ても美人に当てはまる。が、纏っている雰囲気がクールというか男を萎縮させてしまうオーラのせいで皆アタックするのを躊躇ってしまっただけなのである。そういう意味では損な美人ともいえるが当の本人に知る由はない。
「そもそも、私。そんなに魅力的じゃないし。……ってそうじゃなくて、どうして私が彼に惚れるって結論になるのよ」
「なに、独りでぶつくさ言ってるんだ?」
「ひゃっ!?」とマイカは悲鳴を挙げた。唐突に話しかけられたことと呟いた事が余り他人にはきかれたくない内容だった二重の意味で驚いたのである。さらに言えば最も聞かれたくない相手であった。
「こんなとこで何してんだ? お前は」
「ええと、あははははっ」
気の利いた言い訳も思い浮かず、ただ愛想笑いで誤魔化すマイカ。カルナヴァルはマイカのいかにも何かありますという様子に気を惹かれはしたが、とりあえず触れないことにした。マイカが必死に話題逸らそうと慌てる姿を眺める方が楽しいと判断したからだ。
「お疲れ様です。やはり交番は大変でしたか?」
「別にそれほど忙しくはなかったぞ、今日は。というかいきなり口調が固くなってるぞ、お前」
「えっと、年上ですし」
「お前の方が階級は上だろ。というより、今はお互いプライベートなんだからその手の気遣いは不要だ」
「確かにそうですね……」
見事なまでに話題転換が失敗に終わるマイカ。それに見かねたカルナヴァルは思ったことを口にする。
「最近、ふと思うのだが……」
「はい?」
「お前、俺のことを避けてないか?」
「そんなことはありません!!」
強い否定に質問を投げ掛けたカルナヴァルが目を丸くする。
「なら、いいけどよ。俺としては出会ったばかりの突っかかってきた態度の方が好みだぞ。
からかってやりたくなるから」
「そうですか?」
「そうだよ。少なくとも会話に距離は感じなかったし」
(あの時は異性として意識してなかったし……)
「? 何か言ったか?」
「いえ、何にも」
カルナヴァルも立ちながら会話するのは疲れるのか傍にあった椅子を手繰り寄せ、テーブルに足を乗せながらマイカと話していたのだが、マイカがあがってしまい、話題が続かず微妙な沈黙が談話スペースに流れる。
すると、カルナヴァルがガバっと足を戻して立ちあがった。
「暇ならどっか出かけるか?」
マイカは突然の申し出に耳を疑ったが、例え聞き違いでも頷くのであった。
☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆
「よかった。ズボンで」
マイカはボソッと呟いた。寮の会話の後、マイカとカルナヴァルは一緒に出かけたのだが問題は寮の位置にあった。何せ、小道という小道、建物ものの隙間やらひと様の庭先を突っ切るような場所にあるものだから出かけるのも一苦労なのだが……。
カルナヴァルと出かける際、マイカがテュリアから教えられた道を歩もうとしたらカルナヴァルは驚いた表情を浮かべた。「近道を知らないのか?」と。
で、カルナヴァルがマイカに教えたのはヘシュムならではの脚力を生かし、建物の屋根に飛び乗り、屋根伝いに一直線に進むという荒業であった。屋根伝いというのは要は跳躍である。カルナヴァルは楽々と飛び越え、先に進むものだからマイカもおいて行かれないように同じように屋根に跳躍して移動したのだ。マイカもカルナヴァル同様身体能力の優れたヘシュムである。カルナヴァルの後を追随することそのものは全く問題ではない。問題は屋根と屋根を渡る際や建物から降りるときであった。
「まあ、スカートはおススメしないわな」
そう、気になってしまうのだ。周囲の視線やらが。これがスカートだったらと思うと……。
「カルナヴァルさんはいつもこの道を?」
「ああ、だって早いだろ」
「テュリアは知らないようでしたけど」
「あいつ、トロそうだろ。教えても利用しないだろうし」
「少しドライじゃないですか」
部下に対する認識としてはたぶん間違ってないだろう。根が真面目であり、こういうアクティブなことが苦手なテュリアではこの近道は使わないだろう。が、それを別にしてカルナヴァルの返答には些か冷たいものを感じてしまった。
「ドライね~、言われてみればそうかもな。でもノーンのあいつなら別に教えなくても問題ないだろ。その気になれば風の魔術で飛翔すれば済む話なんだし」
「確かに」
テュリアもその気になれば屋根を越えることなど容易にできるはずである。それどころか空中を滑空することだってできるはずである。
「あいつ、良いとこ出のお嬢様だよな? 自分じゃ話さないけど」
「ええ、テュリアはお嬢様ですよ。どれくらいの良家かは知りませんけど」
「親友なのに知らないのか?」
「はい……、あの子自分の家のことは全く話さないし。唯一聞くのはお姉さんの話ぐらいで……」
意外そうな顔をするカルナヴァル。マイカも薄々というか半ば必然的にテュリアがやんごとなき家の人間ではないかと気付いていた。だが、家の話題をふるとすぐに固い表情を浮かべてしまう親友の前にそれ以上追及できないのである。
「そうか。まっ、警官に家の身分なんて関係ないけどな。ところで……、ここからが本題なんだが……」
カルナヴァルは通りを歩みながら声のトーンをいくらか抑えてマイカに尋ねた。マイカも先程のまでの砕けた口調から真剣なものへと変わったことでそれが仕事絡みのことなのだと推察でき、表情を引き締めた。
「結局、この前の連続(加害者が)バラバラ傷害事件の進展はあったのか? こっち(交番所)にはアレ以来全く情報が回ってこないんだが」
「進展の有る無しで話すなら無いです。ノットンさんの証言で加害者を操っている存在がいることは明らかになったんですけど……、それ以外のことは全く」
「組織犯罪対策課が動いてるのにか?」
「はい、ノットンさんの証言でホシが組織的に動いていることはわかってるんですけど。目星の方が……、それにあの一連の事件は私たち(第五分署の組織犯罪対策課)から中央へ担当が移ったんです」
「中央に? なんでまた」
「分かりません。噂じゃ軍も動き出したんじゃないかって」
「おいおい、えらく物騒な話になったな。酔狂なドゥルグが引き起こした事件じゃないのか?」
「それが、どうもそうじゃないみたいで。専門家の話だと長時間、それも離れた距離からのドゥルグの幻術や誘惑で操ることはできないそうなんです。それに操られる前後の記憶がなくなるのもドゥルグの能力では無いそうですし」
「分からないこと尽くしか……」
「あと加害者にされてしまった人たちも中央が隔離してしまって、詳しい証言が取れないんですよ。ガイ先輩も休職扱いですし」
「おいおい、聞けば聞くほどヤバイ話になってるぞ」
「はい。他の皆もそれに萎縮しちゃって。一応、中央に抗議はしてるんですけど」
「そんなに乗り気じゃないと」
「はい……。ごめんなさい」
自分達の不甲斐無さに思わず謝るマイカ。馬事雑言の一言は飛んでくるかと思っていたのだが、返ってきた言葉は意外な言葉であった。
「お前のせいじゃないだろ、これは。それにここまでヤバイ話だって分かっただけでも、こっちとしてはありがたいよ。ホントに情報が回ってこねぇからな、交番じゃ。話してくれてありがとよ」
「お礼を言われるとは思いもしませんでした」
「それ、遠まわしに人でなしって言われてる気がするな……」
「第一印象は最悪でしたよ」
「そうか? 俺としては普段どおりにしてたつもりだが」
「なら、改めたらどうです?」
「無理だな。そのつもりが微塵もないから」
話題の核となるものを話し終え、段々脇に逸れた話になった頃。二人はザール地区の西側に辿りついた。ここは東側と違い近隣に住む者たちによって賑わっている。
「賑やかですね」
マイカは分署勤務のためザール地区の町並みが今でも新鮮に見れてしまう。流石にカルナヴァルは自分の担当地区なので新鮮もへったくれもないのだが。
マイカが物珍しげに町並みを眺めていると建て替え中の建物が目に付いた。
「あそこ、何を建て替えてるんです?」
「宿屋だ」
「ああ、あそこが噂の壊しちゃった建物ですか……」
カルナヴァルは苦々しげにマイカの質問に答えていた。
マイカが興味を示した改修している建物は以前カルナヴァルとフラジリアで半壊させた宿屋である。始末書を書くのを嫌がったカルナヴァルとフラジリアはたまたま寄生していたシロアリのせいにして処理したのだが、流石に警官が建物一つを半壊させたという話は分署にいた副署長の耳にも届いたようで始末書と厳重注意、給与の一割カットという処罰を受けた。ただ、カルナヴァルもフラジリアも一定の検挙率を挙げた警官につくボーナスでカットされた金額分は補填しているので、実質そこまでの影響は無いのだが、給料明細が減ったのは事実である。因みに宿屋の改修の費用は分署、つまり国が持つことになった。
「ちっくしょ~、結局あの宿屋はタダで建て替えれるんだぜ。シロアリに喰われていたのに」
「でも、カルナヴァルさん達が壊したのは事実じゃないですか」
「いやいや、よく考えろ。最終的には俺達がやったということによって国の金によって直されるわけだから宿屋の主人は結果として得するわけだよな。シロアリに喰われて崩壊したというよりは」
「ええ、そうなりますね」
「国から出される費用によって改修にあたる業者は当然その分の利益がでるわけだ。そして利益が出た分だけ労働者に金が行き渡り、都市を潤すわけだから結果としては良くなるわけだ。つまり、俺達が壊したおかげで皆が幸せになったわけだ。なのに減給処分はなかろうよ」
始末書や厳重注意は部下に任せたり、聞き流したりしたりするので痛くも痒くも無いのだが減給は堪えるカルナヴァルであった。
「ものすごい開き直りですね。もしかして副署長に……」
「言った。そしたらあの頭が荒地爺さんの雷が落ちた」
「当たり前ですよ」
副所長は厳格な人柄だ。違法や不正には断固とした態度で挑む。けれど、そんな厳格な人柄のパケル副署長ですらカルナヴァルの実力を認めている一人なのではないかとマイカは考えている。いくら検挙率が高いといって一般人の建物を半壊させたら懲戒免職をくらってもおかしくはないのだ。この程度の処罰に済んだこと事態が副署長がカルナヴァル達を重用している表れではないかとマイカは考えている。以前の、カルナヴァルに出会う前のマイカなら副署長は巡査官からのたたき上げだから巡査官を贔屓しているんだと思ったに違いない。
自分でもどうしてここまで彼に肯定的に捉えるようになったのか不思議なくらいだ。
などと思いながらカルナヴァルの顔をジーっと見つめていると彼と目が合った。
「なに?」
「えっ!? ほら、あの子!! あの子、さっきから一人でいるけどあの年頃の女の子が今の時間一人で此処にいるのはおかしくないですか?」
とマイカは先程から一人でぽつんと歩いている女の子に指差して、無理矢理話題を変えた。勿論、カルナヴァルに述べた気になる女の子のこともそうだが、その本質は湧きあがってきた自身に対する羞恥心を誤魔化すためであったのは本人も自覚しているか微妙なところである。
「親とはぐれたんじゃないのか?」
「なら、声をかけて保護してあげないと」
「えー、めんどくさい」
「思っても口に出さないで下さい」
マイカはトボトボと歩く少女の前に歩み寄った。
「きみ。お母さんやお父さんは何処にいるの?」
まだ幼い少女は投げ掛けられた質問にマイカの表情を見つめるばかりであった。幸いにも幼いせいか警戒心をあらわにしてないのは救いではあったが。マイカは怖がらせないように笑顔で勤めた。
「ねぇ、おねえさんにお名前を聞かせてくれるかな?」
「リムネ」
「リムネちゃん、お父さんかおかあさんはこの近くにいるの?」
少女はふるふると首を横に振った。
「明日、ママにプレゼントするためにパパを探しにきたの」
少女の答えにマイカは絶句するのであった。
☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆
マイカが見つけたリムネという少女は本人の認識はさておき、客観的に見て迷子とみて間違いなかった。迷った本人は自分が迷子になったのだと自覚してないようだが……。
「おねえちゃん達はリムネのパパを何処にいるか知らないの?」
「残念だけどおねえちゃん達はリムネちゃんのパパを知らないの。ねぇ、リムネちゃん。自分のおうちがどこにあるか分かるかな?」
マイカはもし知ってるようなら送り届けてあげようと思ったのだが、リムネが「分かんない」と答えたためその目論見は断念せざる得なかった。
「リムネちゃん、此処には何度も来たことがあるの?」
「はじめて」
元気一杯に答えるリムネの姿にマイカは肩を落とした。
「こりゃまた、随分と自覚のない迷子だな」
マイカの傍らでリムネとのやりとりを眺めていたカルナヴァルが愉快そうに声をあげた。
「そんな人事みたいに……、此処もあなたの担当地区なんでしょう。この子のご両親に心当たりはないんですか?」
「おいおい、無茶を言うなよ。いくら担当地区でもその地区に住む人間全てを知ってるわけじゃないんだ」
「そうでしょうけど……」
「まあ、ウチの部長なら知ってるかもしれないが……」
ザール地区交番所の責任者であるイストリアは以前ザール地区の住民台帳を作っていた。それも家族構成から一人一人の特徴しめした精密なやつだ。たかが住民台帳と思うかもしれないがこの時代の住民の管理などは領主や国家が行なうものであり、それでもなんという村に何とかという人間が住んでいるというレベルである。酷いものであれば住民の大まかな人数しか記されてないものある。オーエントでは流石にそこまで酷くはないが分署が管理してる住民台帳でも氏名・年齢・性別・血統・系統が記されただけの簡素なものだ。それを越えるようなものを一個人が局所的とはいえ作り上げたのだから凄いの一言に尽きる。
「なら、交番にこの子を連れて行ったら大丈夫ですね」
「うへぇ、仕事あがったばかりなのにまた職場に戻るのかよ。勘弁してくれよ」
「だから、思っても口にださない」
ホント、普段の彼は人格を疑うような発言しかない。
普段の言動を少しでも改めれば、みんな見直すだろうに。
「リムネちゃん。おねえちゃん達と交番に行こうね。きっとリムネちゃんのご両親が心配してるよ」
「いや、パパを見つけるの!」
「この近くにパパがいるの?」
「分かんない……」
リムネという少女は亜麻色のツインテールをしょんぼりと垂らして首を振った。
「ねぇ。良かったら、パパを探す理由を教えてくれないかな? もしかしたらおねえちゃん達が何とか出来るかもしれないよ」
「おねえちゃん!! それホント!?」
「ええ、こう見えてもおねえちゃん達は警察官なんだからね」
「おいおい、安請け合いは止めとけよ。無茶言われたらどうするんだ」
「大丈夫ですよ。まだこんな小さな子供なんだし」
それにマイカにはもう一つ理由があった。以前、テュリアの警察官に対する職業感で差を付けられたという焦りがあった。自分は階級こそテュリアより上だが、警官という職業に対する職業感ではテュリアに大きく差を付けられている。自分が警査官になったのはそれが自分の将来を考えた時、最も安定して不安の少ない職業だと思ったからだ。テュリアにように警官に憧れを抱いたわけでも警察官の意義に感銘を受けたわけでもない。その職業感の違いこそが二人の警官に対する受け止め方に大きな差を開かせている。マイカはそう感じた。マイカは自分がこれからも警官としてやっていける意義、信念のようなもの見つけたいのだ。でないと巡査官として頑張る親友に悪いし、それに……。そうしないと傍らで気だるげにマイカに付き合ってる彼と対等に話せないからだ。
「ママがね。パパがいればリムネたちの生活が楽になるにって呟いてたの。だからリムネがママにパパをプレゼントするの」
「それは……」
リムネの無邪気な返答に言葉を失うマイカ。
つまり、リムネは父親のいない母子家庭で育っている子供なのだ。
「なんて母親思いの子供なんだ」
「言うことはそれだけですか?」
全く感銘を受けてない口調で呟くカルナヴァルにマイカがつっ込んだ。彼のそれは皮肉であったのが明白であったからだ。
事はマイカの予想以上にデリケートな問題である。リムルの希望通りに父親を見つけて母親にプレゼントするわけにはいくまい。父が居ないということは何らかの事情があったからであり、下手すればこの子の父親はこの世に居ないかもしれないからだ。勿論、テキトーに父親を見繕うのは論外である。
とはいえ、少女に期待させるだけさせといて話を聞いてそれは無理なのと答えるのも気が引ける。マイカは倫理観と先程の自分の発言との間で板ばさみ状態なのである。
マイカは藁を縋る思いでカルナヴァルを見つめるとカルナヴァルは「しょうがないなと……」とため息混じりに呟き、屈んでリムルと向かい合った。
「パパを見つける秘策を特別におにいさんが教えてやろう」
「ホント!?」
少女は今にも飛び上がりそうな笑顔をカルナヴァルに向けた。
「ああ。まず、右手を壁に当てて」
少女は言われたとおり壁に手を当てる。
「壁に付けた手を壁からはなさず、ずっと歩いていけばいつか目的地に辿りつける……」
「それは迷路の『右手の法則』です!! 出鱈目を教えないでください!!」
見当違いな解決策を提示したカルナヴァルを慌てて訂正するマイカ。右手の法則は迷路から脱出するための手段であって、街中で使っても余計に迷うだけ役に立たない法則なのだ。そもそも右手の法則に人を見つけ出すような効力はない。
「おにいちゃん。嘘を教えたの……?」
「おにいちゃん的にはそのつもりは無いんだが、おねえちゃん的には間違ってるらしい」
「先生が言ってた。人間は誰だって間違える生き物だって。だから、おにいちゃんも気にしなくていいよ」
「はっはっはっ。リムネちゃんは善い子だな~。あのおねえちゃんにも見習わせたいぐらいだ」
と少女といい雰囲気を保つカルナヴァルを傍目に「見習わせたいってどういう意味ですか?」とマイカは眉を吊り上げる。勿論、口には出さなかったが。
「リムネちゃん。だからおにいちゃんが知ってた解決策はどうやらリムネちゃんのおとうさんを探すのは無理のようだ。だから、一旦交番にいってみないかな? きっとお母さんも心配してるし」
マイカは内心、カルナヴァルに感心した。カルナヴァルが一連に行なったことは子供が小銭を拾った時の対応を応用したものだったからだ。小額の小銭を届けにきた場合、持ち主はまず分からない。それ故に届けられた小銭はそのまま届け出た子供に渡される。その際、警官は届けられた小銭をそのまま渡すのではなく、自分の財布から届けられた小銭と同額の小銭を渡すのだ。
これはただ返すのではなく、そうした方が届け出た子供は次回からも拾得物を届けてくれる場合が多いからだ。なにより、その方が子供が喜ぶというわけだ。
今回、カルナヴァルが行なったのもその応用である。単純に出来ないというのでは子供は納得しない。だから、最善の努力を見せたのだ。それが右手の法則という出鱈目でも、探すのを手伝ってくれたのは変わらない。その方が無下に否定するよりも、ここまでしても無理だったから諦めようと納得する可能性がある。
だが、少女は頑なであった。
「やだ。パパを見つけるの」
「じゃあ、どうしてパパを見つけたいんだ?」
「ママがパパがいれば生活が楽になるって。わたし、ママに楽させてあげたいの」
「ん~、たぶんリムネちゃんのママは楽がしたいからそんなことを言ったんじゃないと思うぞ」
「どうして?」
「それを聞くために交番に行くんだ。欲しいって思っても無いものをプレゼントしても喜べないだろ?」
「うん」
「よし、聞き分けのいい子だな。リムネちゃんは」
とカルナヴァルはリムネの頭を撫でて、立ち上がった。マイカはリムネがはぐれないようにとリムネの手をとった。すると、リムネはカルナヴァルが仲間はずれにならないようにとカルナヴァルの手を握った。
「おいっ」
カルナヴァルが声をあげる。マイカでも分かるほど照れが混じった声音だ。
「仲間はずれはメっなの」
「そうですよ。仲間外れはいけません。交番まで我慢してください」
二人の口の揃え様にカルナヴァルはいつから仲良くなったんだと愚痴を一つこぼしたが、リムネの手を解くことはなかった。
☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆
マイカはリムネの小さな手を引きながらザール地区交番所を目指して歩いている。同じようにカルナヴァルもリムネの手を引いている。
その様子は事情を知らない人から見れば親子が仲良く娘の手をひいている姿のように見えて、それに思い至ったマイカは密かに頬を染めていた。
「しかし、こうしていると……」
どうやらカルナヴァルも同じことを思い浮かべたようだ。
「『親子』みたいですね」
「『未知との遭遇』みたいだな」
全く違うことを思い至ったようだ。というより未知との遭遇って何?
「わたし、知ってる。『ケン・カトーとトム・ブラウンの不思議発見!?』でしょ?」
「おっ、その歳でよく知ってるな~、リムネちゃん。そうそうそれ。ケンとトムが未開の地でグレイマンっていう未知の原住民族と遭遇するんだ」
「それで友好の証として手を繋ぐんだよね、おにいちゃん。でもグレイマンは身長が低い種族だからトムとケンがグレイマンの両手を繋ぐと足が浮いちゃうの」
と言ってリムネがその『未知との遭遇』を再現しようとわざと足の力を抜いた。マイカはいきなり力が掛かった手を引っ張るとカルナヴァルも同じように手を引いたのだろう。リムネの足が浮き、マイカは転ばないように慌ててリムネの細腕を掴むと。
「うわーい、未知との遭遇~」
とリムネははしゃぎ喜んでいた。見るとカルナヴァルもマイカと同じようにリムネの腕をつかんでいた。一見すると奇妙な光景だ。
「……、なんか私の親子像と違う」
少々不満を感じながらもリムネが喜んでいるようなのでそのまま交番に向かうのであった。
☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆
交番に着くとそこは修羅場であった。恐らくリムネの母親であろう人物がテュリアに詰め寄り、「ウチの子が学校に行くといって姿を消したんです」とか「もしかしたら攫われたかも」とか「事故に巻き込まれて」などと気が気でない様子を顕わにしていた。
母親との付き添いで同行したであろう女性も流石に母親程取り乱しては無かったが、心配でたまらない様子は一目でわかった。
カルナヴァルが交番に戻ると視線は一気に集まった。
「よかった、先輩。大変なんです!!」
「よ~し、テュリア。俺がその内容を当ててやろう。子供がいなくなったんだろ。それも女の子が」
「どうしてわかったんですか!?」
「部長はどうしたんだ? その手のことなら部長がうまく対応できるだろうに。なんでここまで収拾が付かなくなってるんだ?」
「それが部長は今分署の方に出かけていて……。それより女の子のことですよ。幼い女の子がいなくなったんですよ」
「ああ、それなら大丈夫だ。もう保護したから」
「えっ!?」
「外から分かるぐらいに自分の母親が取り乱してたから、萎縮して入って来れなかったんだよ」
カルナヴァルがリムネと同時に交番に入ってこなかった理由を述べ、それを聞きつけた母親がカルナヴァルに詰め寄った。
「あの子は無事なんですか!? リムネは?」
「大丈夫ですよ、お母さん。リムネちゃんはどうやらお母さんにサプライズプレゼントするために西側に出かけていただけでしたから」
「よかった……」
張り詰めていたものが切れたのだろう。母親はその場にへたり込んだ。
「あの……、どうして西側に?」
母親に同行していた女性が湧き上がった疑問を尋ねる。
「あなたは?」
「リムネちゃんの担任の教師です」
「どうも母の日のプレゼント探しに行ったみたいですよ」
「もしかして私が授業で母の日を取り上げたから?」
「その辺の事情は本人に聞かないと……。お~い、リムネちゃん。そろそろ出ておいで」
とカルナヴァルは交番の入り口の陰で様子を窺っているリムネに声を掛けた。リムネは私服姿のマイカに背中を押されながら交番に入ってきた。流石に親の様子を見て、いかに自分が心配掛けさせたを思い知ったようでシュンと落ち込んでいる。
リムネの母親は自分の娘の姿をみると一目散に駆け寄って、リムネを抱きしめた。母親は既に涙で顔をグシャグシャにしていた。
「バカ!! 心配かけさせて、この子は」
「ごめんなさい……」
母親はしばらく娘を抱きしめながら、自分の娘が無事だったことを噛み締めていた。
どれほど時間が経っただろうか。母親も娘の無事を確認できて落ち着きをとりもどした。
「どうしてこんなことしたの?」
「ママにパパをプレゼントしたかったの……」
予想外の言葉に母親は目を丸くさせる。その反応に机に足を伸ばして寛ぎながら席について様子を眺めていたカルナヴァルが「まあ、驚くわな」とシニカルに笑っていた。実の娘にお父さんを贈られそうになったら誰でもびっくりするであろう。
「どうしてそんなこと思ったの?」
母親は優しい声音で問いただした。無理をして出している声音ではないので、こちらが彼女の普段の声なのだろう。
「だってママ。パパがいないと楽にならないって言ってたもん。だからパパを探しにいったの」
「バカ。リムネよく聞いて。ママは楽になりたいからパパが欲しいなんて一言もいってないわ」
「言ったもん!!」
「言ってない。パパがいたらリムネの暮らしが楽になるって言ったの。ママが働いている時、リムネはいつも一人でしょ。もしパパがいたらそんなことにならないのよ。ママはリムネが楽しく笑っていられる時間が増えるからパパが欲しいっていたのよ」
「じゃあ、リムネが笑って過ごしていたらパパはいらないの?」
「ええ、ママはリムネが幸せに過ごせたらそれでいいの。だからママの心配するようなことはもう二度としないで」
「うん……」
「リムネちゃん、もし一人で寂しい時は此処に遊びにくるといいよ」
マイカがリムネに優しく話しかける。
「おい、お前は此処の人間じゃないだろうが。勝手なこと言うんじゃない」
「テュリアから聞きましたよ。最近、交番利用者が減って割りと暇だって。それに市民とのコミュニケーションも巡査官の仕事です」
「だからって、此処を子供の遊び場にするんじゃない」
「マイカちゃん。それすごくいい案だよ。リムネちゃん、寂しい時は交番にくるといいよ。歓迎するから」
「うん、ありがとう。おねえちゃんたち」
女性陣だけで話が進んでいく。今の今まで影を潜めていたノットンがカルナヴァルに「いいんですか?」と窺いたてると、カルナヴァルは「勝手にしろ」と投げやりに応えていた。
「おにいちゃん!!」
「ん?」
「ありがとう」
「よせよ。お礼を言われるようなことはしてないだろ」
「でも、ありがとうだよ。ママがお世話になった人には必ずお礼を言いなさいっていってもん」
「そうかい。……パパを探すのはもういいのか?」
「うん。ママがリムネが笑って過ごせるならそれでいいって」
「そうか……、もしパパを探すのがママのためじゃなくて……」
カルナヴァルは机の上に乗せていた足を地面に下ろし、リムネに向かい合うようにしゃがみこんだ。そして、言葉を続ける。
「自分がどうしても知りたいと本気で思ったとき」
一区切りし、
「俺が教えた秘策を思い出すんだぞ」
「右手のやつ? でもあれは違うっておねえちゃんが」
「ああ、そうだな。でも……、右手を壁から離さずずっと前を歩んでいけば必ず出口に辿り着く。それはパパを探すことにも通じることだ。要は諦めず壁に手をつけた右手を信じて前に進むこと。どんなに疑問に駆られても右手を信じて離さず前に進むこと。右手を離しちまったら出口にたどり着けないからな。だからどんなに遠回りでも諦めず右手を壁につけて歩むことだ」
「よく分かんない……」
首を振って応えるリムネにカルナヴァルはリムネの頭を撫でながら、「今はそれでいい。いつか分かる日がくるさ」と笑みを浮かべながら応えていた。
その後、リムネは母親と担任の教師に連れられて交番を後にした。
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リムネを無事母親の元に届けた後、カルナヴァルとマイカは寮への帰路に着いた。
「リムネちゃん。無事親の元に帰れてよかったですね」
「そうだな」
「私も母の日に実家にいる母に何かプレゼントを贈ろうかな。カルナヴァルさんは?」
「俺か。そんな歳でもないし、遠慮するよ」
「歳って。今いくつなんですか?」
「百二十歳(推定)だよ」
「うわ、それじゃ今更って感じですよね」
「それに母親は元からいないからな。俺は……」
「えっ、それって……どういう……」
マイカはカルナヴァルの横顔を見て、質問を押し留めた。
横顔から窺えるのは感情が抜け落ちて、瞳にも感情らしきものが感じられない彼の表情。
それは母に対する愛憎の全てがぽっかり抜け落ちているかのように。
赤の他人を眺めているかのような目をしていた。
結局、マイカはこれ以上カルナヴァルの母親のことを聞くことは出来なかった。
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第五分署警務課受付。ここは分署に訪れた者が一番最初に目にする受付である。
そこに一人の来訪者が訪れた。一般人ではない。何故なら黒で統一された警官の制服を着込んでいたからだ。
金髪碧眼、純血の特徴を持つ彼女は仕事に差し支えの無い程度に伸ばした髪を弄くりながら受付を担当していた女性巡査に質問を投げ掛けた。
「副署長室は何処かにゃ?」
「その突き当たりを曲がったら直ぐです」
「ありがとにゃ」
「にゃ?」
「そういえばカルナヴァルにこの姿の時は口調は直せって言われてるんだった」
最後の台詞は受付に言ったのではなく、ほとんど独り言である。
彼女は受付に教えられたとおりに歩み、副署長室と書かれた掛札の掛かった資料室の前に立った。
ノックをすると中から「入れ」と部屋の主の声が帰ってきた。
「お久しぶりです。パケル副署長。人事異動の時以来ですね」
「お前さんがここの来るのを部下に任せっきりだから、ここの若い連中はお前さんの顔を知らんぞ」
「そんなこと言われても、ぶっちゃけ此処に来るのはダルいですし」
「まったく部下が部下なら上司も上司だな。まあ、いい。元気そうでなによりだ」
「副署長もお変わりがなく、悲しいぐらいに芽生えませんでしたね」
「何が、と訊くべきかの?」
「聞きたいんですか?」
パケルがこめかみに血管を浮かびあがらせながら、やり取りを進めていく。
「お前を此処に呼び出したのは二つばかり伝えないといけないことがあるからだ」
「え~、書類で送ってくれれば済む話じゃないですか」
「お前さんがしっかりチェックするとは思えんかったぞ、ワシは」
「にゃはははは」
「笑って誤魔化すな。さて、善い知らせと悪い知らせの二つがあるんじゃがどっちから聞くかの?」
「どっちからでも」
「なら悪い方からかの。以前の連続(加害者が)バラバラ傷害事件が正式に中央が担当することになった」
「う~ん、それが悪い知らせ? 確かにウチの地区にも関係あることだけど……、直接は関わりないんじゃ」
「おそらく、近いうちに中央の者がお前さんの交番に尋ねてくることだろう。事情聴取という名目で」
「うわっ、確かにそれは悪い知らせだ。めんどくさいな~」
「くれぐれも失礼のないようにな」
「で、善い知らせの方は?」
「イストリア、お前さんそろそろ昇進するつもりは無いか?」
「今のポジションが気楽で気に入ってるんで遠慮します」
「ならばカルナヴァルを昇進させて、ザールを任せ、お前さんには他の地区を受け持ってもらおうと思っておる。なに、はじめは苦労するだろうが部下が育てば楽できるようになるぞ」
パケルはおどけた笑みを浮かべたが、対するイストリアの表情は浮かなかった。
「現状維持という選択肢は無いのでしょうか?」
「お前さんだけならそれも可能だろう」
「だが、カルナヴァルは別だ。奴もそろそろ昇進したかろうし、その能力も十分ある。奴が昇進試験をパスすれば交番に巡査部長が二人いることになって体裁が悪い」
「それは分かりますが……」
「なんじゃ、部下の出世に反対なのか? ワシは賛同してくるものだと思っていたのじゃが……、わざわざ道化を演じてまで部下を育てているのだろうに」
「何のことでしょうか?」
「戯けが。ワシが本気で『ただ』の怠け者を交番の責任者に据えると思っておるのか?」
イストリアは密かに唇を咬んだ。目の前にいる人物の老獪さと人物眼に苦々しいものを感じたからだ。
「お前さんが怠け者を演じることで部下が仕事を覚えていく。それも立場を越えた仕事をの。事実、お前さんが抜けてもカルナヴァルが入ればあの交番所はしっかり機能しておる」
「それはたまたまで」
「そもそもフラジリアの異動の時も、お前さんが反対しなければカルナヴァルが異動してもおかしくは無かっただろうに」
「あの時の彼はまだ未熟でしたし」
「それはフラジリアにもいえることだろう」
イストリアはそのまま黙ってしまった。
「のう、尋ねてよいか? 何故そこまでザールに固執する? いや、何故そこまでカルナヴァルに固執すると言い換えたほうがよいかの? イストリア巡査部長」
今でこそ、彼女が常に黒猫の姿で活動するのが日常になったが、ザールに配属されるまでは今パケルと接している女性の姿で生活していたのだ。ザールに赴任してから黒猫で活動するようになったのと、彼女がカルナヴァルに固執する理由は密接に関係しているのではとパケルはにらんでいる。
イストリアは只ひたすら沈黙を守っていた。唇は固く閉ざされ、これ以上何も言うことはないと態度で示している。
その様子を見たパケルはため息を一つして、告げた。
「どちらにしろ昇進も人事異動も今すぐに、という話ではない。……が、そう遠く無い内に行なうつもりじゃ。今は気に留めているだけでよい」
「はい……」
そう返事を残し、退室しようとドアノブに手をかけるイストリア。と、突然パケルが呼び止めた。
「そうじゃった。これはほんの好奇心で尋ねるのだが……。お前さん、深淵都市ハオマ出身じゃったよな?」
「はい」
「ふむ、それは問題ないのだが。ハオマにいた頃の経歴の一部が空白なのだが、何をしていたのか教えてくれんかの?」
「それは……、命令ですか?」
「いや、単なるワシの好奇心じゃ」
「なら、秘密です。乙女の過去を知りたがるのは感心できるようなことではありませんよ」
と言い残してイストリアは資料室を後にした。
「何が乙女じゃ。もう十分生きておろうに」
と一人ぼやき、パケルは椅子にもたれ掛かった。ザール地区交番所の人事異動は少々骨が折れそうだと認識するのであった。
うわっ、テュリアの存在感が紙切れのようだ(笑
ネタ的に五月に更新できてよかった……、えっそれでも遅いって?
はははっ、そんなことないさ~。
これからも月一ペースで連載をしていこうと思っております。
活動報告でも書きましたが更新が遅いと思われる読者の皆様、申し訳ありません。仕事をしながらだと、どうもこれが限界っぽいです。
作品に対する感想・批判・誤字脱字などのご指摘は受け付けております。遠慮せずに行なってくださいね。