第10話 同業他『所』には気をつけろ(前編)
更新が遅れて申し訳ありません。そして、更新を待ってくださった方々大変お待たせ致しました。第10話です。
元々簡素の造りなのか、部屋に踏み込んだ時に人の気配がないことなど直ぐに分かってしまった。
ここはダイン東部エリアの一地区、ピタ地区にある長屋の一室である。光苔で加工されたレンガで造られた長屋はピタ地区で最も多い建築物である。ダインの労働者の多くは他の都市からの出稼ぎが多い。出稼ぎ労働者は短期雇用である場合と長期雇用の場合の2通りがあり、長屋を利用する人間の多くは前者の出稼ぎである場合が大半である。ピタ地区は隣のザール地区と違い長屋物件が多く存在する地区だ。つまり、人の入れ替わりが激しい地区なのだ。そのため、住民トラブルの類が頻繁に交番所に持ち込まれる。しかし、警察の基本姿勢は民事不介入である。極端の例で言えば「隣に住む○○さんが貸したお金を返さないから逮捕して」と言われて警察がその人を逮捕するわけにはいかない。そんなことを認めてしまえば国家権力の行き過ぎた介入を招き、警察そのものが治安を貶める一因になりかねないからである。人と人が交わればトラブルというものは半ば必然のように付きまとってくる。その一つ一つに対応していくには途方もない労力と人材がいる上に、関わり過ぎれば裏目に出てしまうという一面がある。それを避けるために警察は法という線引きを引き、その線引きを超えた者だけに対応していくというのが基本的スタンスなのだ。とはいえ、この手のいわゆる住民トラブルは刑事事件に発展する場合もあるので交番所としてもぞんざいに扱いわけにはいかず、頭を痛める要因になっている。
しかし、今回に限っていえばコレは刑事事件である。指名手配されている人物の元に踏み込んだだけなのだから。生憎、お目当ての人物にはお目にかかれなかったが……。
「どうやら一足遅かったようです」
「見れば分かるわよ。ボーっとしてないでここの主が何処に行ったか周辺の住民に聞き込んで来なさい」
同行していた部下たちにテキパキと次の指示を与え、自分はもぬけの殻となった部屋を見渡す。備え付けであるテーブルやクローゼットなどを見てまわるが家主であった男が何処に向かったを伺い知ることが出来る物は見つからなかった。
「こうなると聞き込みで何か引っ掛かるかどうかね……」
落胆交じりの吐息を吐き、最早主のいない部屋をでた。すると、
「部長!!」
部下の一人が駆け寄ってきた。人懐っこい子犬のような印象を与える青年だが、警官を務めている以上立派な成人である。ただ生まれつきの童顔せいで確実に実年齢である18歳より2・3歳若く見えてしまい、事情聴取の時に新米特有の甘さが合い間って被疑者に舐められた態度を取られてしまうのが玉に瑕である。
「どうやら彼はザール地区の方に向かったようです。住民の何人かが手荷物を携えた彼がザール地区に向かう姿を目撃しています」
「最悪ね」
「ナワバリ越えは色々面倒ですしね。勝手に荒らすと後々困りますし……」
「それは大した問題ではないわ。普通の地区なら事後報告で片付けられるし、性質が悪ければ報告なんてしない処もあるわ。要はばれなきゃいい話なんだから……」
「どうします? 黙って越えますか?」
今度は純血の証である金髪碧眼がトレードマークの女性巡査が伺い立てる。彼女は新米というわけでは無いがザール地区のことを人づてで得た知識でしか知らない。
「絶対気付かれるから無理よ。黙ってナワバリを越えてみなさい。後で報復があるわよ」
「どこぞのテロリストですか、それは」
「テロリストほど理性的ならマシね。ほとんど感情で動く連中だからもっと破滅的よ。ともかく話を通してからナワバリを越えるわよ」
「「了解」」
「ただし、色々準備してからね」
不適な笑みを浮かべながら部下に次の指示を告げた。自身は久々に舞い戻る旧巣の連中に思いを馳せ、半ば自然に不適な笑みがこぼれた。
☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆
交番所勤務は多忙極まりない仕事である、というイメージが常夜の国『オーエント』市民の中で流通しているが、実際はイメージ程苛烈なものではなかったりする。
テュリアは始末書地獄(何故か上司の分も上乗せされた)ものから抜け出し、ようやく通常職務に戻って数日、巡査官の仕事としたのは担当地区の見回りとこまごまとしたデスクワーク。意外かもしれないが事件は起こらない時は起こらないものでここ数日平穏な日々が続いている。平穏なことは良い事だ。しかし、物事には何事にも理由というものがある。その原因は……。
「巡回終わり。今日もザールは平和でしたマル。あ~、しょぼい犯罪でもいいからしょっ引きたかったのによ」
と不満混じりの声と、
「先輩が拳銃を取り上げた時にやり過ぎたからですよ。あれで身に覚えのある人が逃げ出したり息を潜めたりと、先輩に取り締まられるのを恐れてとりあえず『今』は大人しくしていようという感じですね」
妙に他人事で的確な意見を述べる声が交番所に入ってきた。カルナヴァルとノットンである。テュリアよりも上司の付き合いが長いノットンは遠慮容赦ないことを口にしているが当のカルナヴァルは気にも止めず、もたれ掛かるように席に着き、机に足を伸ばしてくつろぎ出した。
ノットンが言うようにカルナヴァルが拳銃を取り上げられた一週間を境に交番に持ち込まれる事件数が極端に減った。なんでもこのザール地区交番所に支給された銃弾の使用数が飛び抜けて高く、交番所を統括している分署からお叱り受けたそうだ。それもピンポイントにカルナヴァルだけが。
分署側もカルナヴァルの性格を把握しているようで、銃弾を消費している要因を的確に見抜き、取り上げるという最も効果的な対応を施した。効果はてきめんで分署の狙い通り銃弾の消費数は減少した。
しかし、「たまには身体も動かさなきゃいかんな。文明の利器に頼ったちゃ人間ダメになる」という尤もらしい健康志向に取り付かれたカルナヴァルが肉体言語を多用した取締りを始めたことでザール地区住民に「喧騒の取り締まり週間」という新たな恐怖を生み出し、結果巻き込まれるのを恐れた善良な市民の足が遠き、仕事量が激減したのである。つまり、この平穏は平和の証などでは無く、単純に市民と交番の心理的乖離の証なのである。
ウ~、ワンワンッ!!
相変わらず態度の悪いカルナヴァルを威嚇するように交番にいた珍客が吠えた。
「その犬はなんだ?」
カルナヴァルの視線の先には小麦色の映える子犬のように小柄な犬がいた。
「この子が本日唯一の交番利用者ですよ。たぶん飼い主とはぐれたんでしょうけど……」
テュリアは屈み込み、迷い込んだ犬の頭を優しく撫でてあげると子犬のように幼い犬はじゃれるような声を出し、テュリアの頬をペロッと一舐めした。撫でてみて分かったことだが柔らかく清潔感のある毛並みだ。これだけで人が手入れしていたことを窺わせるものだ。
小犬はテュリアを気に入ったようで何度も頬を舐め戯れてきた。
「人懐っこい子ですね」
「さっき、とても友好的とは思えない吠えられ方をされたぞ。俺は」
「それは……」
犬も本能的にカルナヴァルに感じるところがあったのだろう。関わるとろくな事が無い雰囲気とか、怒りっぽい気性とかを。
「鏡で自分の顔を見たことある? 犬でも分かる悪人顔よ。あんたは」
「なんだと!! テュリア、舐めた口を吐きやがって」
「わたしじゃありません!!」
テュリアが弁解に必至になっているのを尻目に交番に新たな訪問者が入ってきた。
一目で一般人でないことが判る服装、ミスリル繊維で編まれた漆黒のコートとズボン。闇夜を照らす松明の明かりのように紅く映える髪に、ヴァンピールには珍しい褐色の肌、切れ長い瞳には人を萎縮させてしまう強い意志が感じられる女性警官だ。
テュリアは慌てて姿勢を正して向き合った。突然訪ねてきた女性警官の襟には『巡査部長』を示す階級章があったからだ。
「何か御用でしょうか?」
「ふ~ん、私の後釜にはこんな可愛らしい娘が入ったのね」
紅い髪を持つ巡査部長はテュリアを頭の先から足のつま先までを眺め、
「警官の風格が微塵も無い娘ねぇ~」
と一笑に付した。
「あのご用件はなんでしょうか?」
テュリアは引きつった笑みを浮かべながら応対した。内心、警官の風格が無いってどういう意味ですかと問い詰めたかったが。
「ああ、ごめんなさい。イストリア部長はいるかしら?」
「部長ですか。部長はその……」
部長は奥の仮眠室で昼寝していると言うべきか迷い、言葉に詰った。テュリアの様子に紅髪の部長警官は何かを察したかのような笑みを浮かべた。
「昼寝をしているのね。相変わらずね、あの人は」
「すみません……」
自身のことでは無いがなんとなく頭を下げるテュリア。
「いいのよ。上司の体面を気にするなんて気が利く子じゃない。そこにいるなんちゃって警官よりは遥かにマシよ」
「おい、言われてるぞ。ノットン」
「おそらく先輩を指した言葉だと思いますよ」
先程まで様子を眺めていたカルナヴァルが椅子から立ち上がり、来客である巡査部長に向かい合った。
「部長に用があるなら俺が話を聞くぞ。フラジリア」
「フラジリア『巡査部長』。上官に対する口の聞き方がなってないんじゃないかしら? カルナヴァル『巡査長』」
階級をあえて強調するフラジリア。そのやり取りを傍目から眺めていたテュリアは同じく傍で眺めているノットンにこっそり尋ねた。
「フラジリア巡査部長って先輩と顔見知りなんですか?」
「そうだよ」
「へぇ~」
「昔、ザール地区に勤めていたんだ。何でも先輩と同じ人事異動で此処になったとかなんとか」
「結構、テキトーな説明ですね」
「僕がここに配属されて直ぐ異動した人だからね。あと好みタイプでも無いし、正直興味なかった」
テュリアの中でノットンに対する評価が出会った当初より暴落しつつある。
なんというか、ノットンは見た目は真面目な好青年に見えるが接していく内に良くも悪くもザール地区交番所の警官なのだと分かってくる。熟した果実を齧ったら中身はまだ青く未熟だったような感じだ。
「ああ、これはすいませんね。フラジリア巡査部長。ほんの少し前に昇進したんだったな。忘れてたよ、あんまり大した話をじゃないから」
「あら、こっちは覚えていたわよ。相変わらず話題づくりに事欠かないようで。そんなことだから同期のあたしに階級を追い抜かれたんじゃないのかしら?」
交番所内の空気が軋む。互いに毒を混ぜた会話を交わす二人。まだ表情にこそ出ていないが二人の感情というボルテージは上がりつつある。
「運よく昇進なされた巡査部長殿は何の御用で? 担当地区はどうしたんです? ああ、部下が言うこと聞かないんで此処が恋しくなったとか?」
「生憎あたしは部下から慕われてるんで、そんな気苦労は無いのよ」
フラジリアはカルナヴァルを鼻であしらい、ザール地区にきた用件を述べた。
「あたしが此処に来たのはこれからナワバリ越えをするからよ。イストリア部長にはお世話になったから話を通そうと思ってね」
「ナワバリ越えねぇ~。何をしでかした奴なんだ?」
「指名手配犯よ。といっても結婚詐欺だけど」
と話しながら指名手配書をカルナヴァルに手渡した。カルナヴァルは手配書に書かれた容疑者の顔の写生と罪科を流し見た。
「結婚詐欺? また表面化しにくい奴で指名手配を受けたんだな。騙し過ぎたのか?」
「そんなところよ」
と投げやりに応えるフラジリア。彼女は用件を述べ気を抜いたのか、カルナヴァルが先程まで座っていた席に腰を落ち着かせた。
「ノットンさん。ナワバリ越えってなんですか?」
「僕ら巡査官には担当地区ってあるだろ。都市の中ならどこでも巡査官の調査権を行使することが出来るけど、ほとんどの巡査官には都市内に担当地区があるわけだから、検挙する相手が自分の担当地区にいればいいけど、他の地区に逃げ出すということがよくあるんだ。流石にそれを見逃すわけにはいかないから、自分の担当地区を越えた処まで追いかけて検挙するんだよ。要は担当地区外での検挙行為を俗に『ナワバリ越え』っていうのさ」
「じゃあ、フラジリアさんはそれを伝えに?」
「たぶん。一応、他人の地区で活動するわけだから話しを通しておくのが礼儀だし」
「本来なら事後報告で済むのだけど、此処はイストリア部長がいるから事前に話を通しているのよ」
テュリア達の会話を聞いていたのか、フラジリアがテュリアたちの方に向かい合った。
「イストリア部長に黙ってナワバリ越えすると後が怖いのよね」
「えっ!? 部長がですか? 先輩ではなくて」
カルナヴァルなら理解できるが、いつも怠けてばかりの黒猫部長が怖いというのは驚きである。しかも、フラジリアのように芯がしっかりしていそうな女性が。
「コイツは案山子と同じよ。近づいて見れば怖くもなんともないわ。イストリア部長は……」
とフラジリアは言葉に詰り、視線を泳がせてカルナヴァルと目が合った。
「ともかく、あたしはナワバリ越えを伝えにきただけだから、これで失礼するわよ」
フラジリアは慌てて会話を打ち切り、交番を立ち去ろうとした。
「ちょっと待て、今からコイツを検挙するんだろ」
手配書の似顔絵をぽんぽん叩きながら、カルナヴァルがフラジリアを呼び止めた。
「ええ、そうよ」
「なら、ウチの部下も連れて行け。少しは役に立つぞ」
「別にいらないわよ」
「そういうな。一応、こっちも部下に色んなことを経験させたいんだ」
「……そこまで言うのなら」
不承不承といった感じでフラジリアはカルナヴァルの提案を受け入れた。
その後直ぐにカルナヴァルはフラジリアと多少距離を置いたところにテュリアとノットンを呼びつけた。
「フラジリアに同行して手伝ってやれ」
「「了解」」
「というのが建前で、あいつの手柄を奪うのが本音だ。俺が指名手配犯を見つけだすから、お前らはフラジリアの相手をして時間稼げ。いいな」
「了解」
「了解しないでください、ノットンさん。どうしてそうなるんですか。協力し合えばいいじゃないですか」
「バカ、それじゃ同行する意味が無いだろ。いいか、よく聞け。出し抜けるときに出し抜く。それで出し抜かれた相手の悔しがり、呪詛を唱えた姿がたまらなく快感なんだ、俺は」
「俺は!? 思いっきり主観的意見!? 少しは秩序を守れるからとか、そういう警察官らしいことを言ってもバチは当たらないと思います」
「秩序も守れて、俺の心も満たされる。一石二鳥だろ」
「ですね~。僕も人の邪魔するのが大好きです」
「こっこの人たちは……」
声のトーンを落として信じられない事を告げる先輩である。ここの人間たちはどうして調和とか支えあいとか友愛という言葉と無縁の人間ばかりなのだろうか。
「早くなさい。置いて行くわよ」
色々吐き出したい言葉があったテュリアだが、フラジリアに急かされたため吐きだすことなく交番を後にするのであった。
☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆
フラジリアと共に同行する部下たちを見送ったカルナヴァルは一人、席に着きフラジリアから手渡された手配書を眺めていた。どうも釈然としない。あの女がわざわざナワバリ越えのために話を通してくるだろうか。いくら指名手配犯を検挙するためだからといってわざわざナワバリを越えてくるか。いや、それ以上にこの地区を担当してたことのある彼女がこんな真似はしないのではないか。良くも悪くも此処の性質を知っている彼女が。それに久しぶりに会った彼女に何よりも違和感を感じて仕方ないのだ。
「どうしたにゃ? 柄になく考え込んで」
此処の責任者である黒猫がいつの間にやら机の上に佇んでいた。
「フラジリアの奴がさっき此処に来たんですよ。ナワバリ越えの事前連絡で」
「知ってるにゃ」
「……いつから聞いていたんです?」
「秘密にゃ」
相変わらず惚けているようで油断ならない人(猫)だ。
「まあ、聞いていたなら話は早いです。たかが指名手配犯を捕まえるためにナワバリ越えをするような奴ですかね。フラジリアのやつ」
「ふ~ん、あくまで個人的見解だけどしないと思うにゃ。彼女なら我輩の能力のことも知ってるから精々連絡を入れて終えると思うにゃ。その方が効率的にゃ。わざわざ此処に出向いて来て労力を割いてまで検挙数を欲しがるとは思えないにゃ」
「ですよね。ピタ地区はウチの地区と変わらないぐらい検挙率の高い地区だから、検挙数を一つ上げるために必死なる必要はないですし……」
「視点を変えるべきにゃ。カルナヴァル。彼女にはそいつを検挙することで此処にナワバリ越えするだけのメリットがある。それもただ検挙することに意味が無く、彼女が検挙することにこそ意味があるような」
カルナヴァルは手配書をジッと眺め、ある可能性に行き着いた。
「まさか、結婚詐欺にあったのがフラジリア本人ってわけじゃあ」
「十分考えられるにゃ。此処に居たとき、彼女が男に逃げられたことがあったにゃ」
「部長、俺それ初耳ですよ」
「フラジリアから口止めされたからにゃ。もう随分経つから時効にゃ」
「ばらしたことを知ったら絶対怒りますよ、アイツ。ともかく、検挙の目的が自分が被害者であることを隠すためならザールだろうがナワバリだって越えてくるだろうな」
「で、カルナヴァルはこれからどうするにゃ。このままフラジリアの好きにさせるかにゃ?」
一応、フラジリアの傍には自分の部下を付けて指示は出しているがフラジリア相手にイマイチ頼りない。ならば……。
「部長。この手配書の相手を捜索して貰えますか? おそらくウチの地区にいますから」
「きみはどうする気にゃ?」
「当然、フラジリアを出し抜きますよ。うまくすりゃ事情聴取の名目でアイツの恥ずかしい話が聞けるんですから」
不適な笑みを浮かべ、やる気をみなぎらせるカルナヴァル。
ワンッワンッ!!
此処に迷い込んだ小犬は警戒するような声音で吠えた。