会議は踊る(1)
全員が着席したのを確認し、国王がひとつ咳払いをした。全員の視線が最上座へと向かう。
「此度、第一王子トーリスよりの召喚を受けて、皆よく集まってくれた。それではトーリス、話を進めよ」
「……承りました。では、アデレーナ・ロートギルト公爵令嬢……は不在であるため、ロートギルト公爵に申し伝える。貴様の娘が、王立魔術学園においてこちらの聖女リサを平民と貶め、つらく苛め、心身ともに危険にさらした事実をここに告発する」
ルークは先ほどまでのアデレーナの様子に平静を失いかけていたが、トーリスの毅然とした言葉に我に返った。見れば、リヒャルドもマーカスもいよいよ本番だと意気込んだ顔をしている。宰相と騎士団長の両名は、今回の会議の議題が明確になったからか、アデレーナの言動に驚いたからか、わずかに瞠目している。大司教も同じく驚いた顔をしてから、隣に座るリサをちらりと見た。当事者であるリサは、緊張した面持ちでトーリスに熱心な視線を送っていた。
「……発言をよろしいでしょうか、陛下」
「許す。以降、ロートギルト公爵は自由に発言してよい」
「お心遣いありがたく頂戴いたします」
公爵はといえば、感情の一切読めない顔でトーリスを一瞥し、国王に発言権を求めた。王の許しを得て軽く会釈し、トーリスに視線を戻す。
「トーリス殿下、まずは事実関係の確認をさせていただきたい。聖女リサ、とはそちらに臨席されている女性でしょうか」
「そうだ」
「彼女は教会の召喚儀式によって異界渡りをした人間ですね」
「そうだ」
「つまり彼女に貴族籍はなく、彼女は平民と認識しておりますが、正しいでしょうか」
「公爵、貴様までリサを平民と貶めるか……!」
トーリスは両目に怒りの炎を燃やして身を乗り出すが、公爵はどこまでも冷静だ。凍てついた視線も態度も一切変わらない。二人以外の人間は皆、固唾を飲んでやり取りを見守っている。
「お答えいただきたい。彼女は貴族籍をお持ちか否かです」
「……否だ。彼女の後見人はそちらのフォグル大司教である」
「フォグル大司教、お間違いありませんか」
「……陛下、発言申し上げてよろしいでしょうか」
「よい。以降、フォグル大司教は自由発言を許す」
「感謝いたします。ロートギルト公爵閣下、確かにこの聖女リサは、我が女神教会が召喚し、庇護し、後見する女性です」
顔に深い皺を刻んだ大司教は丁寧に発言許可を請い、公爵とトーリスに向かってはっきりと回答した。深みのある声は年齢を思わせぬほど朗々と響き、大聖堂にあって説教をすれば敬虔な教徒たちの胸を打つことだろう。
「つまりトーリス殿下は、我が娘アデレーナが、そこな平民の少女を学園にて苛めたとご主張なさっているのですね。して、どのような罪に問うおつもりでしょうか。王国法の貴族法には、貴族が平民を平民だと貶めたとて、罰する法はございませんが」
「……だが、彼女は聖女だ。この国にとっての貴重な賓客であり、大切に扱われるべき存在である」
「いえ、国にとってではありません。教会にとっての賓客です。それとも教会は、異界渡りの賢者ないし聖女は貴族令嬢よりも上位の存在だと主張なさるのか」
「滅相もありません。あくまで教会は、王侯貴族や政治的権力とは一線を画した立場です。聖職者も出家者も皆、身分を持ちません。教会が後ろ盾となる人間もまた、出家した人間同様に貴族籍には属しません」
「そ、そんな……大司教様……! 私は被害者なのに……!」
きっぱりとした大司教の返答に、慌てたのはリサだ。隣に座る大司教に、裏切られたかのような視線を向ける。途端、国王夫妻と公爵から厳しい視線が飛ぶ。
「陛下、発言してよろしいでしょうか」
「以降、王妃の発言を許す」
「ありがとう存じます。そこの貴方、誰の許可を得て発言しているの。控えなさい無礼者」
王妃からの厳しい叱責に、リサが思わずといった仕草で小さくなった。大司教が困ったようにリサを見下ろし、トーリスが憤慨した表情で王妃に食って掛かる。
「妃殿下、リサはまだ王国式のマナーに慣れていないのです。そのように厳しい言い方は、」
「王国式のマナー? 発言の許可を求めることがですか? そこの娘は学校で何を学んできたの。その娘は授業中にも教師の許可を得ずに発言を繰り返していたのですか」
「そ、そんなことは……」
「あるいは国王陛下が学校の教師以下だと見下しているのかしら。聖女とは聡明な存在だと聞きましたが、考え違いだったようです」
嫌悪感も露わに王妃がトーリスに詰め寄る。語気の厳しさはともかく、発言の内容にはトーリスも黙らずにはいられないようだった。張り詰めた空気に耐えかねたように、リサが恐る恐る手を上げる。
「あ、あの……発言しても、いいですか……」
「……許可しよう」
「あっ、ありがとうございます……あの、私、アデレーナさんに毎日のように苛められていて……すごくつらくて……」
言いながら、これまで受けてきた仕打ちを思い出したのかリサが涙ぐむ。言葉を詰まらせる様子に、ルークやトーリスたちも胸を詰まらせた。日々、リサがつらそうにしていたのはルークたちがよく知っている。アデレーナの行いはあまりに非道で、たとえ貴族と平民という立場を超えたとしても許されるものではない。
だがリサの言葉に情を動かされたのは同級生のみのようだった。国王夫妻も、公爵も、宰相と騎士団長も嫌悪を滲ませて眉をひそめている。眉間にしわを寄せたまま、王妃がリサをひたと見据えた。
「まず、アデレーナは公爵令嬢です。貴方は彼女を『アデレーナ様』と呼ぶべきです」
「ど、同級生なのに……!?」
「貴方の周りの他の同級生はそうしていなかったの? やはり何も学んでいないようね」
はあ、と溜息をつく王妃が馬鹿にしたような表情を浮かべる。その目つきはアデレーナそっくりで、リサが怯えたように肩を揺らす。ルークたちが悔しさに唇を噛み、トーリスが火の付きそうな視線で王妃を睨んだが、相手はこの国の最高位女性。国王以外の誰も口を出すことはできない。
「では問います。アデレーナが貴方を苛めたというけれど、具体的にはどのようなことがあったのですか」
「それは……挨拶をしても無視されたり、失敗したことを取り巻きの方たちと一緒に馬鹿にして笑ったり、『愚か』だとか『礼儀知らず』だとか面と向かって悪口を言われたり、歩いていたら足を引っかけられて転ばされたり、紅茶や食べ物で服を汚されたり……一度は、背中を突き飛ばされて、池に落とされて……そうしたらまた取り巻きの方たちと一緒に笑いながら『無様ね』と言って去っていかれて……」
今までの非道の数々を打ち明けながら、リサはもう半泣きだ。ルークたちまで悲しくなりながら、しかし同時に『これでリサの不憫が晴らされる』と安堵もしていた。アデレーナのひどい苛めが明るみになり、リサを擁護する大人たちが増えるはずだ、と。
しかし国王以下大人たちの表情は一切変わらない。どころか、ますます呆れた顔で己の息子たちを睥睨している。大司教ですら、深く溜息をついたきり額に手を当ててしまった。
「それだけですか」
そんな中、毅然とした声で王妃がリサに問う。その声に感情はない。まったき事実確認として問われたことに、リサも戸惑っているようだ。
「あ、あの、それだけとは……」
「ですから、アデレーナが行ったという『ひどい苛め』とは、それだけかと聞いています。他にも何か?」
「い、いえ……他には、その……」
「では池へと突き飛ばされたとき、治癒魔法を必要とするほどの怪我をしたのかしら」
「いえ、怪我は特に……あの、でも、風邪をひいて……」
リサの主張は王妃に完全に黙殺された。冷たく光る瞳がリサをとらえて離さない。まるで狙いを定めた猛禽のような瞳に、ルークは思わず身震いする。怒っている。王妃は何故かリサに向けて、激怒している。
「ではヒールで足を踏まれて骨折したことは? パーティーの直前に服を破られて、着られない状態にされたことは? お茶に毒を垂らされ、お茶会の最中ずっと舌が痺れて話ができなかったことは?」
「そ、そんなのは犯罪です、苛めの範疇じゃないです……!」
「妃殿下、もしもの空想話はやめてください!」
まくしたてる王妃にリサが悲鳴を上げ、トーリスも思わず割って入った。王妃はきつくトーリスを睨み、懐から優雅に取り出した扇をぱらりと広げて口元を隠す。アデレーナもよく使うその仕草はあまりに優雅で、その分王妃の人間味を覆い隠してしまう。
「まぁ、空想話などと。世間知らずもいい加減になさい、トーリス。足を踏まれて骨折したのは貴方のお母様である前王妃様、パーティーの直前に服を破られたのはわたくし、そしてお茶に毒を垂らされて話ができなかったのはアデレーナの話なのに」
「な……そ、そんな馬鹿な!? 母上も妃殿下も、アデレーナにだって、そんなことができる貴族がいるはずが……!」
「王妃の言葉を疑うとは無礼であろう、トーリス。全て事実である。私も聞き及んでおった」
打ち明けられた衝撃の真実に、トーリスもルークたちも絶句する。しかし公爵や親たちの間では既に知られていたことなのか、誰も驚きを露わにしない。国王自ら肯定したことで、その発言は疑うべくもなくなった。まさか、そんな。この国の最高位である女性二名と、ほぼ最高位に位置するアデレーナに、そんな暴挙を働いた人間がいるなどとは。にわかには信じられない話だが、嘘ではないと信じざるを得ない。
「ど、どうしてそんなこと……」
「どうして? それが貴族の女性だからですよ。貴族の家柄には派閥があり、閥ごとに勢力がございます。貴族の男性は経済面、政治面、交易や領地などで争いますが、貴族女性は社交場こそが戦場なの。わたくしたちは社交において互いに派閥を背負って日々戦っているのです。社交界における戦いに、男性は口をお出しにはならないわ。いえ、出せないと言った方が正しいかしら。してやられるのは未熟な証拠。恩も仇も、お受けしたなら倍にして返して差し上げる。それが社交界の心意気ですわ」
思わずといった様子で呟いたリサに、王妃は冷たい視線を向けるばかり。立て板に水とまくしたてられ、リサは涙目でトーリスやルークたちに助けを求める視線を送ってくる。だがルークはいまだ発言を求めることもできず木偶人形のように座っていた。
貴族女性にとって社交は義務、それ自体は知っていた。公爵夫人とアデレーナが茶会や社交パーティーに定期的に顔を出し、人脈を広げていたことも。だが綺麗に着飾ってダンスを踊り、笑いさざめいて会話をするだけの集まりだと馬鹿にしていた。何を無駄なことを、と呆れもしていた。時間と金を浪費するだけの贅沢だと考えていたのに、よもや茶会で毒を盛られていたとは知りもしなかった。それでもなお茶会に出かける必要があったなどと、考えもしなかった。
公爵夫人もアデレーナも、他の女性たちも、本当に喜んで茶会やパーティーに参加していたのだろうか。綺麗に整えられた煌びやかな場の裏で、女性たちが文字通り血を見る戦いを交わしていたなどと、想像すらしていなかったのだ。