王宮
使者よりルークの到着を告げられたトーリスは、すぐに王宮の応接室へと会いに来てくれた。その美しい顔には驚きと、友を心配する温かい感情が読み取れた。パーティー後ずっと負の感情にさらされ続けていたルークは、トーリスの思いやり深い表情に不覚にも涙が出そうになった。
「ルーク、一体どうした」
「殿下……」
あらゆる感情で胸がいっぱいになってしまい、ルークは言葉を詰まらせる。それで何かを察したのか、トーリスはわずかに眉根を寄せた。ルークを促してソファに座らせ、自分はその隣に座る。王族としては上座に座るべきなのだが、ルークは幼馴染であり、学年でも側仕えとして常に行動を共にしてきたという、親しさの表れである。
「私が出した使者がロートギルト公爵家へと行っただろう? 何かあったのか……」
「その、何から申し上げてよいか……」
パーティー後から今現在に至るまで、ルークの置かれた状況は怒涛のように変化した。嵐のような目まぐるしさを言葉で表現することは非常に難しい。
「顔色が真っ青だぞ、ルーク。まずは茶を飲んで、落ち着いたら最初から聞かせてくれ」
トーリスの気遣いがありがたい。優しさに触れるのは随分と久しぶりな気分に陥っている。涙を堪えてルークは温かい紅茶を飲み、それから状況を少しずつ語り始めた。
家に帰ったら公爵が待っていて、事情をろくに聞きもせず殴られたこと。公爵夫人も自分を拒絶したこと。アデレーナの様子がおかしかったこと。公爵家を勘当され、実家に帰されたこと。実家にて事情を説明したが、理解してもらえなかったこと。何故か公爵家にとんぼ返りし、実父の口から実家も勘当されると聞かされたこと。そこに王宮の使者が来て、アデレーナの不参加を伝えたところ絶対参加だと告げられ、トーリスを心変わりさせるために王宮に遣わされたこと。
ルークの伝える話はきっと聞き取りやすいものではなかったが、トーリスは我慢強くそれを聞いてくれた。そしてルークが「というわけで、アデレーナは明日参内できない、と伝えに参りました」と言葉を区切ると、瞑目し、深く溜息をついた。
「ルーク……君はこの数時間で随分な目に遭わされたようだな」
「……勿体ないお言葉です」
「ロートギルト公爵夫妻も、ワーゲル伯爵夫妻も、まるで人の心を持っていない。話もろくに聞かずにお前を放逐するなど、そんなにあの女が大切なのか」
「殿下、貴方との婚約が破棄される以上、アデレーナは公爵家の正当な後継者となります。私が公爵家にいる意味はなくなる」
「だからといって、すぐに勘当するなど……!」
トーリスが己の膝を叩いて悔しがる。自分のことのようにルークの事情に怒ってくれるトーリスの気持ちが嬉しくて、ルークはぎこちなく微笑してみせた。
「お気遣いありがとうございます、殿下」
「明日の参内では、関係者とその家族、リサの後見人である大司教も呼び立てるつもりだ。もちろん国王陛下と王妃殿下にもご参加いただく。そこで事実を詳らかにする。あの女の悪行を明確にすれば、ロートギルト公爵とて心変わりするはずだ」
トーリスが自信満々に頷く。だがルークの心には晴れないもやもやがわだかまっていた。実の両親からも言われたように、アデレーナを王国法で裁くことはできない。たとえアデレーナの悪事を明かすことができても、自分の状況は改善されないのではないか。
「それにはやはり、アデレーナの参加は必須だ。君には悪いが、ルーク、これは曲げられない」
「ですが殿下、アデレーナは私の顔を見るなり悲鳴を上げたのです。まるで私が誰なのか、わかっていない様子でした」
ルークは公爵家で目の当たりにしたアデレーナの様子を思い出す。自分が知る限り、アデレーナは気の強い女だ。恥をかかされたとあって、ルークを許すはずがない。帰宅したらまた衝突は必至だと覚悟すらして帰ったのだ。なのにアデレーナは文句ひとつ言うどころか、自分の顔を見るなり恐怖に絶叫した。
「まさか、アデレーナは気を病んでしまったのでは……」
「馬鹿らしい! そんな殊勝な女か、あれが」
トーリスはそう吐き捨てた後、ちらりとルークの顔を見て「お前を疑うわけではないんだが」と宥めるように肩を叩いた。ルークは黙って首肯する。つい数時間前までのルークなら、トーリスと同じように考えただろう。だが自分は、実際にアデレーナの様子を目にしているのだ。
「ふん、大方己の罪を自覚して、これ以上の断罪を恐れるが故の演技だったのではないか? 気の病は目に見えないから、治癒魔法では治らない。嘘をついてまで己を弱者に仕立てたいとは、見下げ果てた根性だ。
それに、王族に対して嘘をついたとなったら公爵夫妻も同罪だ。三人まとめて隠居させ、お前を当主に押し上げることもできる」
そうだ、それがいい、とトーリスは己の案に満足げに頷く。ルークはそれに返答できず、俯くしかなかった。演技、だろうか、本当に? アデレーナの悲鳴は今でも耳の奥に残っている。恐怖に染まった目、絶望に満ちた絶叫。今までならば弟にだって見せなかったであろう乱れた髪と服装。たとえ演技であっても、あのプライドの高いアデレーナが床に座り込んだりするだろうか。加えて魔力暴走。母が側にいる状況で魔力を暴走させるなんて危ない真似を、高等な令嬢教育を受けたアデレーナが演技でだってするだろうか。
「それでは、殿下はやはりアデレーナを絶対に参加させるおつもりですか?」
「当然だろう。あれはリサを苛め抜いた下劣な女だぞ。しっかりしろ、ルーク。お前の優しさは美徳だが、リサの心情も慮ってやれ」
トーリスに言われ、ルークはリサの顔を思い浮かべる。ルークの義姉であるからと、アデレーナから苛められても隠そうとしていた心優しい聖女。傷ついた顔や涙ぐむ顔を思い出し、ルークは怒りの炎を心に取り戻す。
そうだ、何を気弱になっている。アデレーナは悪辣非道な女ではないか。猿芝居に騙されてはいけない。必ずやあの女を排除し、聖女リサの心に平穏を取り戻さねば。
「ええ……ええ、そうですね。私たちはリサの心を守ると誓ったのでした」
「その通りだ。私たちの手で、リサを安心させてやろう」
ルークとトーリスは顔を見合わせ、力強く頷きあった。ルークの心にようやく明るい光が差し込む。トーリスは自分の味方であり、理解者だ。トーリスだけではない。リヒャルドもマーカスも、共にリサを支えると誓った仲間だ。頼もしい友の存在に、ルークの顔に笑みが戻った。
「ルーク、部屋を用意させるから、今日は王宮に泊まっていくがいい。先ほどの話を聞くに、帰りづらいだろうから」
「お心遣い、感謝いたします」
「何ほどのことはない。明日の参内が少々早まっただけだ」
に、と悪戯っぽく笑うトーリスに、ルークは気安い笑顔を返した。頼もしいこの男が第一王子である王家に感謝しつつ、ルークはトーリスに向かって深く頭を下げた。