再びロートギルト公爵家
公爵家に到着したのはほとんど夜半に近い時間であった。普段は灯りも落ちてすっかり静まっている時間帯だが、今日はやけに慌ただしい気配が屋敷の外まで伝わってくる。
「ワーゲル伯爵だ。先触れ通り、公爵に目通り願いたい」
息せき切って馬車からまろび出、マナーを欠いた仕草で実父が公爵家の扉を叩く。ぎぃ、と開いた扉から顔を出したのは執事だった。実父を見、ルークにちらりと視線を寄越し、仏頂面で首を振る。
「あいにくですが、主人は本日誰ともお会いになりません」
「火急の用件だ。これをダニエルに」
突っぱねた執事に食い下がる実父は、馬車の中で何事か書き付けていた紙片を執事の手に押し付けた。さっと内容に目を走らせた執事の表情が変わる。信じられない、と言いたげな表情で実父を見た執事は、苦渋の決断を下す表情で重く頷いた。
「……どうぞ、お入りになってお待ちください」
「我々は玄関先で待つ。それより早く連絡を」
執事に招き入れられた実父は、言葉通りに急いだ口調で取次ぎを促す。執事はわずかに逡巡し、ひとつ頭を下げて早足に下がっていった。ぽつん、と残されたのは再びの玄関ホール。遠くで慌ただしく使用人たちが動いている気配があるが、こちらまでは誰も来ない。客を、しかも貴族をこんな場所で待たせて、とルークは憤慨するが、実父はそれどころではない様子だ。
「デニス」
「ダニエル!」
ややあって、公爵が玄関ホールに姿を現した。実父に視線を固定し、ルークには一瞥も寄越さない。冷え切った鋼鉄のような無表情だが、その奥で公爵が苛立っているのを、長年の付き合いからルークは見て取った。
「メモの件だが」
「事実だ。先ほどこいつから話を聞いた。明日の朝一番うちの妻が貴族院に行って、公爵家からも我が家からもこいつの籍を抜く」
「な……! ま、待ってください、父上……!」
「うるさい、黙っていろ! お前の話は後だ!」
貴族院が取り扱っているのは貴族籍の管理である。つまり貴族院で籍を抜くというのは、ルークを貴族でなくす、公爵家だけでなくワーゲル伯爵家からも勘当するということだ。何も聞かされていなかったルークは寝耳に水で、慌てて実父に事の経緯を尋ねようと身を乗り出した。だが実父には取り付く島もない。一日に二度も勘当宣言をされ、ルークは頭から血の気が引ける。
「問題は殿下だが」
「陛下にまでお話が伝わっているとは思えない」
「だがもう取り消せんだろうな」
混乱するルークを置いて、二人の当主たちの話はどんどん進む。殿下が問題とはどういう意味なのか、と考えようとしたところで、激しく扉を叩く音に思考が遮られた。傍に控えていた執事がさっと歩み寄り、扉をわずかに開く。
「どちらの家の方でしょう」
「王宮からの使者でございます。通達を持って参りましたので、ロートギルト公爵閣下にお取次ぎ願いたく」
扉の外から届けられた声に、執事と公爵、そして実父が視線を交わしあう。と、実父がルークの肩を無言でつかみ、玄関ホールの脇へと下がった。公爵が執事に頷きを返し、執事が玄関の大扉を開ける。
「夜分にどうされた、緊急の用件か」
「か、閣下……遅くの訪問お詫び申し上げます。ですが火急にてご容赦いただきたく存じます」
王宮の使者も、まさかその場に公爵本人がいるとは思わなかったのか、かしこまった態度で頭を下げた。鷹揚に頷いた公爵は「して、用件とは」と使者を促す。
「王宮よりの通達でございます。トーリス・ディ・ワエリア第一王子殿下の名において、王宮へのご召喚でございます。『明日の五つ鐘の頃、此度の王立魔術学園卒業記念パーティーにおける騒動の関係者を集め、沙汰を申し渡す』と仰せです。ダニエル・ロートギルト公爵閣下、マリエラ・ロートギルト公爵夫人、アデレーナ・ロートギルト公爵令嬢、ならびにルーク・ロートギルト公爵令息は全員、揃って王宮に参内くださいますよう」
「……ふたつ、叶わぬ由がある。まずルーク・ロートギルト公爵令息は我が家より勘当された。もう息子でも何でもない。共に訪れることはできぬ」
「そ、それは……」
突然の公爵の言葉に、使者は面食らったらしい。当たり前だ。だが使者の驚愕に構わず、公爵は言葉を続ける。
「それと娘のアデレーナは急病だ。今の我が家には恢復の手段がなく、外出はさせられない。まして王宮に参内など叶うべくもなく。公爵夫妻のみ馳せ参じますとご返答いただきたい」
「そ……その……」
きっぱりと言い切った公爵とは対照的に、使者はやけに歯切れが悪い。青ざめた顔で何度も手元の召喚状と公爵の顔を見比べ、覚悟を決めたようにぎゅっと眉根を寄せた。
「で、殿下からの特別のお達しで、アデレーナ嬢は、その……引きずってでも連れてくるように、とのご命令が……」
ばきん、と何かが割れる音が聞こえた。玄関扉の隣、飾りガラスに大きくヒビが入っている。公爵の感情の爆発に合わせて瞬間的に魔力が高まった結果だと、その場の誰もが察した。王宮の使者など顔色が土気色になっている。
最早感情をごっそり失った無表情で公爵がわずかに瞑目し、こちらに視線を向けてくる。実父を通り越し、ルークとひたりと目を合わせた。深い青の瞳は一切の感情を読ませず、それでいてこちらの内心を全て見透かすような色だ。びく、と体が硬直したのは無意識だった。
「……ではこの男を殿下の元に連れていってもらいたい。学園では朋友だったのだ、殿下もこの男の話なら聞いてくださるかもしれない」
「あ、の、ちちう……公爵閣下……?」
「お前も見ただろう、うちの娘は人と会える状態じゃない。明日の参内は無理だ。そのように殿下にお話を通してこい」
お前の中に、我が家に対する、お前の姉として育ったあの子に対する思いやりが、わずかでも残っているならな。棘のある言葉には一切の信頼が感じられない。敵愾心むき出しの物言いに、返事どころか声のひとつも出ない。貴族としての公爵が容赦のない男だとは知っていた。だがそれを、自分に向けられる日が来るなんて一度だって予想したことはなかった。
言葉もなく立ち尽くすルークを見て、まごついていると思ったらしい実父が焦れたように舌打ちをした。横合いから背中を強く押し出される。
「早く行け。これまでの十年間の、最後のご恩返しだと思え」
「っ……、は、ぃ……」
唇を噛み、かろうじて頷く。重い脚を引きずって使者の元へと歩み寄れば、事情を理解していない使者は物問いたげな視線を向けてきた。だがそこは王宮なりのマナーを教育されている人物、何も言わずに馬車へと誘導される。こうしてルークは、目の前が真っ暗に塗りつぶされていく気分だけを抱えて再び夜の街道を馬車に揺られることとなったのだ。