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罪の在処(1)


「殿下、これ以上のアデレーナ・ロートギルト嬢に対する疑義はございますでしょうか」

「……もうよい。本来なら本人からの謝罪を求めたいところだが、本人もここに不在である。よって此度の会議、これにて終了する」

「いえ、そういうわけには参りません。今度は私の方から議を呈させていただきます」


 宰相の言葉に力なく首を振ったトーリスだが、公爵の冷徹な声がそれを阻んだ。びく、と肩を揺らしたトーリスが、怯えと猜疑の混じった目で公爵を窺う。その視線を一瞥し、リヒャルド、マーカス、ルークを順繰りに見た公爵は、懐から紙片を取り出した。紙面にちらりと視線を落としてから、無表情のままで口を開く。


「まずは昨夜、卒業パーティーにおいて起こったことを詳らかにしたい。私が分家の人間から収集した情報を申し上げますので、間違いがある場合は都度ご訂正を。

 昨夜のパーティーにおいて、トーリス殿下は娘をエスコートして会場に入られた。パーティーの開始が宣言され、数分後。殿下は娘を会場前方、衆目の集まる場所に呼び寄せられた。その場には殿下の他にレーニッヒ公爵令息、ヘルン侯爵令息、ルーク・ロートギルト、そしてそちらの平民女性が集まっていた。ここまではよろしいか」

「あ、ああ……相違ない」


 冷静な声の底に、鳴りを潜めていた怒りが燃え滾っていた。十年間()()として過ごしてきたルークにはそれが聞き取れて鳥肌が立ったが、頷くトーリスには聞き取れなかったようだ。だが聞き取れたところで、公爵が何をなそうとしているのかも、それを止める手立てもわからないルークには、どうすることもできなかった。


「殿下は我が娘に向かって、そちらの平民女性を苛めていた廉で断罪し、衆目の前で侮辱を口にした。相違ございませんな」

「ぶ、侮辱ではない! 事実だ!」

「『傲慢で心根の醜い人間を王家に入れ、未来の国母とするわけにはいかぬ』と娘を糾弾したと聞いておりますが、これが侮蔑ではないと?」

「っ、だから、それが事実だと言っている! 聖女を苛めた悪辣な女を、王妃に据えるなどと……!」


 激昂したトーリスだが、会議室内に響いた咳払いの音で言葉を詰まらせた。恐る恐る視線を向ければ、扇の内側から現王妃が厳しい視線でトーリスを見つめている。アデレーナそっくりの、アデレーナよりもより高慢な視線に、トーリスはそれ以上の言葉を失ってしまったようだ。それも当然、先ほど王妃がリサに浴びせた視線と言葉は、アデレーナのものよりもっと強烈で、もっと冷たいものだったからだ。


「話を進めます。殿下は婚約破棄を宣言された。娘が『平民のために己との婚約を破棄するつもりか』『分を弁えない平民に尽くす礼儀などない』と告げると、そちらのヘルン侯爵令息が一言も発しないままでアデレーナを力づくで取り押さえた。左様ですかな」

「じ、事実だ……」

「国王陛下。御前を汚す無礼をお許しいただきたい」


 諾々と頷いたトーリスの言葉を遮らぬギリギリで、騎士団長がきびきびと挙手をした。しかも発言の許可ではなく、「御前を汚す無礼」への許可を求めるため。ルークたちがぎょっと視線を寄せる中、国王は眉間にしわを寄せたまま頷いた。


「ほどほどにな」

「お気遣い重畳の至りでございます。妃殿下、それから平民のお嬢さんも、どうぞお目をお閉じくださいますよう」


 席を立ちながら騎士団長は国王夫妻に深々と頭を下げ、次の瞬間、目にも止まらぬ速さで隣に座る息子のマーカスの頬を強烈に殴りつけた。拳が肉と骨を打つ痛々しい音が響き、リサが小さな悲鳴を上げる。固く騒々しい音を立てて椅子が倒れ、そこに座っていたマーカスが床に転がった。

 騎士団長の動きを追えた人間は、この場においても少数だっただろう。護衛のために扉近くに立っていた騎士たちがびくりと警戒し、しかしすぐに元の姿勢に戻る。そんな周囲に構わず、騎士団長はなおもマーカスの腹を強かに蹴りつけた。思わずルークは顔を逸らし、リサがまた悲鳴を上げる。


「ち、父上……!」

「口を開くな、この腑抜け。王国騎士団の恥さらしめが。私の息子がこのような心得違いをしていたとはな。陛下に顔向けできぬ恥辱だ」


 騎士団長の叱責は短く、鋭く、重い。平均よりも長身で筋肉もあるマーカスの胸倉を掴み、その額に思い切り頭突きを食らわせる。会議室に響き渡るほどの痛々しい音に、騎士団長が身体強化の魔術をかけていたことを知った。マーカスの額から血がにじみ出る。


「も、もうやめてあげてください……! 治癒を、治癒をかけます……!」


 耐えきれなくなった様子でリサが椅子から飛び上がり、騎士団長に必死で訴える。心優しいその言葉に、ルークは胸が熱くなる。マーカスの目尻にも涙が光っているのが見えたが、騎士団長の表情は変わらない。マーカスの襟首を締め上げたまま、感情のない瞳でリサを見下ろす。


「これは騎士団長として王国騎士団所属の騎士に指導をしているのだ、手出しも口出しも無用に願おう」

「そ、そんな……暴力はよくないです……」

「貴方は騎士を何だと思っている? 我々は国を守って戦うのが仕事だ。女の傍に侍るだけの騎士など、騎士ではない」


 痛烈な皮肉を口にした騎士団長に、青くなっていたリサは屈辱にカッと頬を赤らめた。トーリスも怒りに唇を噛んでいるが、先ほどの騎士団長の「指導」という言葉のせいで口を出せないでいる。

 王国騎士団は国王直属の組織であり、他の組織系統から独立している。故に騎士団長に直接命令をできるのは国王陛下ただ一人だ。トーリスとはいえ、騎士団長の行動に指図をするのは越権行為となる。まして国王が何も言わずに行動を許しているのだ、他の誰も騎士団長を止める権利を持たない。


「この男はアデレーナ嬢の手首を、痣が残るほど強く掴んだ。アデレーナ嬢は何もしていなかったのに、だ。守るべき貴人であるのに、逆に暴力を働くなど。しかも本人はそれを恥とも思わず、反省もしていない。そんな無能を罰しないのは騎士団長として許されない。何か言い分はあるか」

「……ありません、父上」

「マーカス……!」

「いいんだ、リサ……座ってくれ」


 騎士団長の言葉に、マーカスは反論もなく俯いた。騎士はこの国を守ることが仕事。それはアデレーナであっても同じこと。個人的感情に囚われ、騎士としての本分を蔑ろにしたことを叱責されているのだと、ルークにもようやく理解ができた。当然マーカスには理解ができていることだろう。

 納得できていない様子だが、逆らうこともできずリサが渋々席に戻る。騎士団長は素早くマーカスの背後に回り込み、両手首を捻り上げてその長身を押さえ込み、床に膝をつかせた。奇しくも昨夜のアデレーナと同じ姿勢を取らせたまま、ロートギルト公爵を振り仰ぐ。


「閣下、自ら御手を下されますか」


 その言葉と同時に壁際に控えていた騎士に目で合図を送る。目配せされた騎士はつかつかと公爵に歩み寄り、己の腰から鞘ごと剣を抜いて公爵に恭しく捧げるように差し出した。その一連の行動に、ルークたちは一斉に青ざめる。騎士団長はマーカスを、マーカスの命を公爵に委ねると告げたのだ。アデレーナを愛し、アデレーナを傷つけられたことに怒りを燃え滾らせている公爵に、アデレーナを傷つけた男のひとりを預ける。未来は決まったも同然ではないか、と誰もが腰を浮かしかけた。


「…………」


 浮足立つルークたちを興味なさげに一瞥し、公爵はマーカスを睥睨した。深い青は冴え冴えと凍り付き、瞳の奥には劫火が燃え盛っている。背筋も凍りそうな目つきでマーカスを見下ろしたあと、公爵は静かに瞑目した。


「……今はやめておこう、陛下の御前を血で汚すわけにはいかぬ。それに私の話はまだ終わっていない」

「承知しました。ご英断、ご配慮に感謝を」


 騎士団長は再び目配せし、騎士を壁際まで下がらせた。ほ、と誰もが息を吐く。マーカスも青い顔色がやや和らいだようだ。だがマーカスを立ち上がらせた彼の父は、肌が切れそうなほど鋭い視線で彼を睨み、己の椅子の背後に向けて顎をしゃくった。


「貴様は座るな。そこに立っていろ」

「……はい」


 短く頷いたマーカスは、蹴倒された己の椅子を元に戻し、袖で乱暴に額の血を拭った。そして己の父の背後に回り、背筋を伸ばして後ろ手を組んで立った。頬は痛々しく腫れているが、感情をなるべく表に出さないよう努めているようだ。リサやルークたちの気遣わしげな視線を受けても微動だにしないのは、騎士としての訓練の賜物だろう。


「……何もこんな場で懲罰を与えずともよかろうに」

「恐れながら、殿下。アデレーナ嬢を、筆頭公爵令嬢を人前で押さえつけたこの男を、その場にいた貴族令息や令嬢たちは信頼しますまい。信頼を損ねた騎士は騎士にありません。皆、こんな男に命など預けようとは思いますまい。これでも温いくらいだと愚考いたしますが」


 独白めいた愚痴をようやく吐いたトーリスに、騎士団長の視線は冷たい。リヒャルドもルークも順繰りに睨まれ、ルークたちは恥じ入って顔を伏せるほかなかった。マーカスに愚行を許し、止めもしなかったお前たちも同罪だぞ、と言われている気分だ。否、実際に言われているのだろう。

 そして、悟る。息子を息子とも思わぬ騎士団長の()()はそのまま、ルークたちへの罰でもあったのだ。本来なら全員が受けるべき罰を、あえてマーカスにだけ与えた。連帯責任の反対で、全員の罰をマーカスだけに背負わせたのだ。騎士団長としての職務意識が、あるいはマーカスの父親としての責任感がそうさせた。騎士としての信頼を損ねた彼に、それをみすみす許したルークたちに、事の大きさを自覚させるために。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 凄い勢いで更新している所。 殆どの婚約破棄物が途中経過をすっ飛ばしてその結果へいく為に名前を変えただけの焼き直しになっている中、他の物書きさんがすっ飛ばしている所を書いているのが素晴らし…
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