会議は踊る(2)
「だ……だから何なのですか!? アデレーナさんや王妃様がひどい目に遭わされた、だから私もひどい目に遭っても仕方ないって言いたいんですか? そんなのただの八つ当たりでしょ!? 無意味な苛めの繰り返しじゃないですか!」
「リサ、もう少し言葉を選んで話しなさい。王妃殿下に向かってその口調は不敬だろう」
王妃の言葉に耐えかねたのか、リサが強い口調で反発する。いつも天真爛漫で誰に対しても優しい態度だったリサの、思いがけず荒れた口調にルークは思わずのけぞる。トーリスは顔をしかめて歯噛みし、リヒャルドは頭を抱え、マーカスは顔を青ざめさせていた。
大司教が窘める口調でリサを宥め、リサは悔しげに唇を噛んで「すみません」と小さな声で謝った。対する王妃は優雅に口元を扇で隠したまま、感情の読めない瞳でリサを見つめている。
「男の私からも口添えさせていただくなら、我が妻も娘もロートギルト家を背負って社交に挑んでいる。ロートギルト家は大きく、それだけに敵も多い。娘は特に、殿下の婚約者。未来の王太子妃、あるいは将来の王妃としての振る舞いが求められていた。貴方のように平民女性が貴族の領分に入り込んできたのであれば、貴族流に礼儀を教えるのはアデレーナに課された義務に等しいのだ」
「そ、そんなの……そんなの知りません。私が平民だと言うなら、私に貴族のしきたりなんて押し付けないで!」
公爵の声は重い。貴族社会の何もかもを飲み込んで、筆頭公爵としてこの国の貴族たちを取り仕切ってきた威厳がある。そんな言葉に、リサはまたしても強く反発した。異世界から召喚され、貴族社会に触れたのは学園に在籍した二年半あまり。そんな彼女に、貴族のしきたりが理解できないのはある意味当然かもしれない。
「――では貴方にお伺いするが、貴方の祖国には独自の文化はおありだったか。他の国には見られない文化や、しきたりや、マナーなどは」
「な、何ですか急に……」
「おありか、と聞いている」
「あ、ありました、けど……」
「例えばどのような」
「え、と……家の中に入るには靴を脱ぐとか……」
ロートギルト公爵の強い詰問に、つっかえつつもリサが首肯した。トーリスが思わず身を乗り出しかけたが、国王の強い視線に制されて浮かせかけた腰を落とした。
リサの言葉に、ルークも思い出す。リサの故郷、ニホンという国は、この国、この世界とは全然違った文化が多くあったという。家の中では靴を脱ぐ。食事のときには二本の細長い棒を使う。食事の前と後に短い感謝の言葉を口にする。他にもたくさん、この国にはないマナーや文化を教えてくれた。近隣の異国にも見られないそんな珍しい文化の話に、ルークたちは夢中になって聞きいったものだ。
「ほう、それは珍しい。では貴方の国に我々が訪れたとして、貴方の家に靴を脱がないまま立ち入ったらどうなる」
「ど、どうって……靴を脱いでもらいますけど……」
「私が『貴方の国のしきたりなど知らないから、私は靴を脱がない』と主張したら?」
「そ、そんなの、うちの国ではそれが常識なんだから従ってもらわなきゃ……、ぁ……」
「そう。『我が国の貴族の常識なのだから、貴方は従ってもらわなければ』ならなかったのだ」
無感動な、しかしそれ故に明確な言葉に諭され、リサは理解に至ったようだった。同時にルークも理解する。今まで自分たちは「リサは聖女だ」「特別な存在だ」「そもそもこの国の生まれではない」「だから貴族のしきたりなど理解できなくても仕方ない」と考えてきた。だが他の貴族たちにとって、リサは礼儀知らずな人間だと認識されていたのだろうか。
「娘は貴方にご忠告差し上げなかったか。この国の貴族は、婚約者のいる男性にみだりに近づくのはマナー違反であると。ましてトーリス殿下はこの国の第一王子で、アデレーナの婚約者だ。いや、だった、ですな。また同学年ではないが、レーニッヒ公爵令息にも、ヘルン侯爵令息にも婚約者は存在する。ルーク・ロートギルトにも家同士で婚約の話は進んでいた。だからトーリス殿下たちに無暗に近づくのはマナー上よろしくないと、我が娘は貴方にお伝えしなかっただろうか」
「…………」
「伝えなかったのか、と聞いている」
「……い、言われました……」
委縮して口を噤んでしまったリサにも、公爵の詰問は容赦ない。震える声で俯き、やっとの思いで答えたリサの姿が哀れでかわいそうで、しかしルークにはどう庇ってやることもできなかった。
「それを貴方は無視し、殿下たちの周囲から離れなかった。アデレーナは自分の警告を無視され、貴族の責務として貴方を叱責した。娘は『礼儀知らず』と口にしたと貴方は言った。貴方は娘の家に靴を脱がずに上がり込んだのだ。注意されても靴を脱がなかった。それが礼儀知らずでなくて何だというのか」
「で、でも、服を汚したり池に落としたりすることないと思いますけど……」
「貴方が注意の段階で聞き入れていれば、娘はそんな行動にでなくて済んだのだ。違うか?」
「やめろ公爵。責任転嫁ではないか。実際にリサを害したのはアデレーナだ」
追いつめられるリサを見かねて、トーリスがやっと二人に割って入る。公爵の冴え冴えとした冷たい視線がトーリスを貫き、その目を向けられたわけでもないルークまでが心胆寒からしめられた。
「意見の相違ですな、殿下。そもそも殿下は何故この平民女性を傍に置かれたのです」
「そ、それは異世界から召喚された聖女だからだ。この国の国賓であろう」
「違います。アデレーナからは『聖女であれ、殿下がお傍に置かれる必要はありませんでしょう』とご忠言申し上げていたはず。なのに御自ら傍に置かれたのはいかな理由かと伺っております。
また、此度のように皆の前にて大々的にアデレーナを追いつめたのにはいかな理由があったのでしょうか。事前に娘とは話し合いの場を設けなかったのはどうしてでしょう。少なくとも娘は王妃教育のために頻繁に王宮に足を運んでおりました。どうしてその際に、娘にお声がけいただかなかったのでしょうか」
公爵の容赦ない詰問に、トーリスが言葉を失って黙り込む。確かにアデレーナは王妃教育を名目に、この王宮を毎週のように訪れていた。しかしトーリスはリサを苛めるアデレーナを疎ましがって、王宮にいる彼女と会いもしなかったらしい。夕食の席で時折愚痴のようにこぼしていたのをルークは覚えている。その時には「リサを苛めた報いだ、トーリスの行動は当然のことだ」と、トーリスに袖にされるアデレーナをいい気味だと見ていたが、事ここに至っては完全に考え違いだったと思い知らされた。
「……殿下もそちらの平民女性も、不都合になるとお黙りになる。これはアデレーナが苦労したわけです」
言葉を失ってしまったトーリスと、青い顔で皆の顔を窺うリサを見比べ、公爵は呆れたように溜息をついた。本来であれば不敬にあたる言動だが、国王と王妃までもが同じ表情で溜息をついているので窘める人間はこの場に存在しなかった。




