生きている、生きていたい理由
『誰も私は…、何も出来なかった…
助けられなかった……
誰も……誰一人も!』
痛々しいながら
俺に対しては、
これまで
笑みを絶やさなかった
彼女が初めて
飾らない激しい感情を
剥き出しにしてまで
放った言葉は
図らずも、
俺の予想を裏付ける結果となった
俺が「それは、どういう事」等と
そんな野暮な事を聞ける筈もない
俺は放心するしかなかった
我に返った彼女は
「ごめんね…」との言葉を残し
俺の上から慌てて飛び退くように
俺との距離を取ったのが
数十秒前の事
それから
俺から少し離れた場所で
膝を抱えるように小さく踞り
沈黙を続けている
俺は、漸く上体を起こして
改めて彼女を見るも
そこには
俺の数歳年上でありながら
それでも、俺より幼く見えた
彼女の姿があった
そんな状態の彼女に何をすべきか
そもそも、何と言葉をかけるべきか
そんな事は
分かるはずもない
かといって
何もしない事すら出来ない俺に
唯一、出来た事は
彼女の隣に
座る、といった
極めて幼稚で
何の意味もないと思える事だけだった
俺の肩が
そっと彼女の肩に触れた瞬間
彼女は、酷く驚いた様に
一瞬こちらを見た気がしたが
多分それは、
俺の気のせいだ
彼女の震えが
触れている肩をとおして
俺に伝わってくる
無知で無力
この冷たい牢には何もない
無論、持っているものは何もない
気の効いた言葉を紡ぐ
能すらない
そんな俺でさえ
存在している
生がある以上、
文字通り、体温だけはあるのだ
ふと、いつの間にか
彼女が身体を俺の肩へ寄せ
身を預けてきていた
そうして、
初めて
彼女の身体が震えている事に気付いた
続いて、必死に我慢しながら
それでも抑えられない
微かな啜り泣く声が
俺の耳に届き出す
そして
「ごめん……、ごめんね…」
と、詰まりながら
涙で歪んだ声で
再び、謝罪を繰り返す
俺は
何も言えなかった
彼女は
こんな状況で長年を過ごし
【慣れた】とは言え
ただの子供に耐えられるはずがない
気丈に振る舞って見せたところで
【耐え偲ぼう】と、
思えば思うほどに裏腹に
人として、大事な所が
少しづつ磨耗していく
一定の考えで自らを納得させ
降りかかる理不尽を耐える
勿論、そんな事をしても
何の意味もない
ずっとは
続くはずかない
そうして、
限界を迎えては
考え方を僅かに変えては
再び、自らを納得させる
そして
自分が【壊れる】のを
少しづつ先延ばししてきた
常に崖のギリギリに立ち
半歩踏み出すだけでも
現状から
真っ逆さまに落下する
いつ擦りきれてもおかしくない状況で
いったい何が彼女を留めていたのか
「私ね………、
生きていなきゃ…、ならない…」
彼女は
ポツリと
そして、
ゆっくりと
絞り出すように
口にする
「え…?」
瞬間、
ハッとした表情を浮かべたものの
次第に諦めたように
語り出す
「私…、私には……
妹が…いるのよ………」
その
わずか数ヵ月後
その日は
なんの前触れもなく訪れた
俺が覗くライフルスコープの中心に
彼女の姿があった
指が震え
引き金が引けない
俺の背後、
防弾壁の向こう側で
教官が喚き散らす
常ならば
それらは耳を劈く程に
煩いはずだが
今は
自分の呼吸音
そして、やたら速い鼓動の音しか
聞こえない
スコープの先では
彼女が俺に向けて拳銃を撃つ
銃口がオレンジ色に断続的光り
少し遅れて発砲音と
跳弾する音、
更には傍を掠める
銃弾が風を切る音が
耳に届く
流石、
彼女だ
この距離を
あんな遠方命中精度の低い
サブマシンガンで
俺までの距離を夾叉してくる
彼女は俺の射線を振り切るように
不規則に左右へとジグザグに走りながら
着実に此方との距離を急激に詰めてくる
瞬間、すぐ横で
彼女の放った弾が跳ねる
もう、
残された時間はない
彼女なら
これ以上距離を詰められれば
そろそろ命中させてくるだろう
彼女の言葉が
俺の中で何度も、何度だって
反響する
「妹の名前は
みらい、
【望んで来た】って書いて
みらいって読むんだ
いい名前でしょ?」
銃弾が俺の頬を掠め
鋭い痛みがはしる
変わらず
彼女は俺のスコープの中
彼女はもう
すぐ目の前
本来なら
狙撃には向かない距離
スナイパーにとっては
致命的な距離だ
「妹に会うまで
私は死ねないの…」
俺は絞るように
ライフルを構える
彼女が教えてくれた構え方
正直、構造上
気持ちが迷ったままでも
銃は撃てるが
引き金は
この上なく重たい
「でも……、もし私が…
もしも死ぬ時は…
君がー」
気付けば、
俺のライフルの引き金は
引かれ
その時、
響いたはずの銃声は
驚く程に無音だった
たった一発
それが、俺が放った銃弾
瞬間、目の前で
彼女の背後に真っ赤な華が開いたと思ったら
彼女の身体は仰け反り
全身の力が抜ける様に崩れ
地に広がった血の華の中心に
彼女は無防備に倒れる
その動きは
荒いコマ送り
目の前の全てが
スローモーションのように
流れる
倒れゆく
彼女の
その顔は
どこか
笑っているように
見えた
「君が、殺してね」