第6話:デート
俺は今、T駅の切符売り場にいて、葵が来るのを待っている。
待ち合わせの10時は既に過ぎているが、葵はまだ来ない。
まぁいつものことだ。
暇つぶしに携帯を見ていると、ようやく待ち人の声が聞こえてきた。
「ゆーちゃん!」
振り向くと、少し遠くから満面の笑みを湛えた葵が手を振っていた。
まわりの人が怪訝な顔で俺を見るからやめて!
葵は急ぐでもなくゆっくりと歩いてくると、俺の前に立った。
「おまたせ〜」
「おまえな、人前でゆーちゃんって呼ぶなよ!」
「なんでよぉ!」
「な、なんでもいいから、人前ではおにいちゃんって呼べ!」
葵は頬を膨らませてプィっと横を向いている。
俺たちは恋人同士でもないけど、兄妹でもない、言葉で表すのが難しい奇妙な関係だ。
高校生と幼女という取り合わせで、恋人同士のように呼び合うのは、
世間的に見てヤバイと感じたので、ここは兄妹のように呼び合うのが適当だと思う。
「俺が警察に捕まってもいいのか?」
警察と聞いて葵が驚いた顔をして聞き返す。
「え? どうして捕まるの?」
「そ、それは、大人の事情ってやつだ…」
まぁ捕まることはないだろうけど、まわりの視線が痛いからしょうがない。
「だから、おにいちゃんって呼べ、な?」
葵は分かったのか、分からないような顔をして少し考えた後、俺の顔を見た。
「ゆーちゃんを困らせたくないから分かった」
どうやら俺が困るということだけは理解できたようだ。
なんとか葵の説得? に成功した俺は、改めて葵を見てみる。
薄い水色のワンピースに、猫の柄の入ったポシェットを
肩から斜めに掛けていて、スカート丈は膝小僧が見える程度だ。
それは派手な印象はまったくなく、清楚な感じがにじみ出ていた。
「そ、そんなにじろじろ見ないでよぉ」
顔を真っ赤にしながら、もじもじとしている。
パジャマ姿もいいけど、これもなかなか可愛い、なんて思いながらとりあえず謝る。
「……あぁ悪い悪い」
「じゃあ、いこっか」と、俺は葵に切符を渡す。
「え? あ!……切符代…」
慌ててポシェットから財布を出そうとする葵を制した。
「今日は全部俺の奢りな」
「え? なんで? 葵もおこづかい持ってきたよ?」
「いいからいいから、女の子が気使うなって」
がしがしと葵の頭を撫でる。
「う、うん」
何故か顔を真っ赤にしている葵に首を傾げながら、改札を通ってホームに向かう。
動物園に向かう電車に揺られながら、ふとあることに気が付いた。
まわりの10歳くらいの子と比べて、葵は身体も小さく華奢で儚げな印象を受けた。
「おにぃちゃん、もう着くよ」
大人しく座っていた葵の声に思考を停止し、単純に葵が小さいだけだろうと結論付けた。
…
「うわぁ、ぬいぐるみみたい!」
葵はとても嬉しそうに頬を緩めてレッサーパンダを見ている。
続いて、ゾウ、熊、ライオンなどを見て、ふと気付くといつの間にか1時を過ぎていた。
「そろそろ、昼飯にするか?」
「うん」
おれは入り口で貰った園内図を見て、ファーストフード店に足を向けた。
「なぁ、本当に動物園で良かったのか?」
美味しそうにハンバーガーにかぶりつく葵を見つめる。
口いっぱいに頬張ったハンバーガーで、もごもごと何か言っているが聞き取れない。
その姿が少し滑稽で笑えて来る。
「食ってからでいいから」
しばらくもぐもぐと口を動かし、ジュースでそれを飲み込んで言った。
「どうして? とっても楽しいよ?」
「それならいいんだけどさ」
「変なおにぃちゃん」
そう言ってまたハンバーガーにかぶりつく葵を見つめる。
なんだろうこの違和感は?
確かに楽しそうには笑っているけど、まわりの子供のようにはしゃぐことは無い。
普段の会話から察すると、もっと大はしゃぎするような気がしていたが…。
…
お腹を満たし、キリンやトラなどを見て、ペンギンを見ているときにそれは起こった。
「うぐっ!」
葵が、突然胸を押さえてうずくまった。
「葵! どうした!」
慌てて葵の顔を覗き込むと、額に汗を浮かべて苦しそうに顔を歪めている。
「葵! 葵!」
いくら呼びかけても、苦しそうにうずくまったままだ。
冗談とか、からかうとかそんな雰囲気じゃないことを感じて、
すぐに近くを通りかかった動物園のスタッフに怒鳴った。
「すみません、救急車呼んでください!」
切羽詰まった声に、すぐ異変に気が付いたのか、慌てて無線で連絡するスタッフ。
どうすることも出来なくて、ただ苦しむ葵を見つめていた。