乙女ゲームの世界は生きづらい
乙女ゲームの世界に転生してみて思ったこと。
それはゲームの主要キャラクターになるような極端な性格の持ち主なんてものは、現実に身近にいれば付き合いにくくて堪らんということだった。
黄集院波留は、前世で人気を博し、アニメにもなった乙女ゲーム『木漏れ日の中のアスターゼ』の攻略対象の一人だ。
特徴的な五人のキャラクターの一角を担っており、端的に言えば癒し系を担当している。
当然のごとく資産家の息子で、見目麗しく、人気声優の穏やかで甘い声音が婦女子に大人気の十六才だ。性格は優しくて物静か。好みはあれど女性受けはいいだろう。
波留は物心つく頃にこの記憶を蘇らせ、しばし考えた後、とりあえずはシナリオ通りに進めることに決めた。
特に支障があるようにも思えなかったし、何にせよ生まれ変わったからにはこの人生は波留のものだ。一から十まで。
ゲームの舞台となる学園生活が始まり、そして終わってからも人生は続いていく。例えどのようなエンディングを迎えようとも、その後のことを考えれば適当な生き方をするのは得策ではない。
ゲームはやったことがなかったが、アニメなら何度か見たことがあった。おそらく本筋は変わらないだろうから、進めるに支障もない。
公式で穏やかキャラなだけあって、ことさら子供らしく活発に振る舞う必要もなさそうだったのは楽だった。
ネット小説にありがちな幼児らしからぬ言動にさえ気を付ければよく、それも大人しい性格だということを逆手に取ってのんびりやり過ごした。
いつもにこにこと静かにしている波留を、品のよい優等生だと褒めこそすれ、奇異の目を向けてくるような者はいなかった。
馴染みの無い上流階級の生活は、実際それなりに波留を戸惑わせもしたが、うまく隠して過ごすことができたと思う。たまに間違えても子供のすることならさほど取り沙汰されることもない。
そうして幼少期の英才教育を、波留は常識と価値観を擦り合わせることに使った。
もちろんいくつか馴染みきれないこともあった。
自宅の中にプライベート用と来客用それぞれのエリアがあることも(波留の常識では自宅=プライベートでしかなかった)、自室まで土足であることも(と言うか室内履きがスリッパではなく普通の靴だった)、小学校に上がる前から卒業レベルの学力を必要とされることも(しかも入学試験に二次方程式が出題された)、市販の商品を手に取る機会がないことも(歯磨き粉まで専用の容器に移し替えられていた)、友人の選別基準に家庭環境や家柄が含まれることも(当たり前に調査結果を渡された)、家族と顔を合わせることが少ないことも(週に一度の食事の約束さえドタキャンされた)、ごく平均的な一般家庭に育った波留にとってはドン引きものだった。
今でも少し疑っている。これ本当に上流階級の生活なのだろうか。ゲームだからって適当に設定されているのでは。
だがまぁなんとか慣れたし、ボロも出さなかった。
黄集院の家人にとって波留は、非常に接しやすい子供だった。
賢く、穏やかで、癇癪を起こすこともなければ、不平不満を口にすることもない。言われたことを素直に受け入れ、躓くことも投げ出すこともせず、淡々とこなしていく。
多忙な両親に会えずとも、寂しがって泣くこともなかった。五つ年上の兄など夜泣きが酷く、専用に夜番をシフトしていた使用人たちは、聞き分けのいい次男坊に拍子抜けしたほどだ。
そんな生活の中で波留は学んだ。
上流階級というものは家族とのコミュニケーションが少ないらしい。父親とキャッチボールをすることも、母親に寝かしつけられることもない。
波留はそのギャップを咀嚼しながら、うまく環境に馴染んでいった。ギャップを感じていることに気付かれないよう、それが当然だという顔で両親の不在を受け入れたのである。
とは言え別に無関心というわけでもなかった。顔を合わせるたび嬉しそうに微笑んだし、日頃の優秀ぶりを聞き及んだ父親に褒められれば、はにかんで礼を言った。社交の場に出されても、マナーにうるさい母親が満足そうに頷くほど、家でも外でも文句なしの振る舞いだった。
まさに優等生。
それでいて変に遠慮するようなこともなく、頑張ったご褒美だと言われれば、子供らしく本やオモチャをねだってみせた。贈り物を開けて嬉しそうに顔を綻ばせる様子は、誰の目にも微笑ましく年相応に映った。
そう、黄集院波留は完璧だった。
ゲームの世界の彼は、そんなふうに周囲の顔色を窺って、優等生であり続けることに疑問を覚えていた。
自身のアイデンティティーを見失っていたとも言える。
非の打ち所がない代わりに、面白味もない自分にコンプレックスを抱いていたわけだ。
それが攻略の鍵でもあったわけだが、波留は今の自分に満足していた。よくもここまで忠実にゲームキャラクターを再現したと、自画自賛したい気分で毎日を過ごしている。
そこに至るまでにかなり苦労したこともあり、コンプレックスなど抱く余地はまるでなかった。
さて、そんな波留には四人の友人がいる。
家柄と優秀さで両親に認められた幼なじみたちだ。
言うまでもなく残りの攻略対象である。
一人目は「俺様」担当のキャラクター、赤馬原劉生。
たぶんメイン攻略者だ。
国内有数の財閥令息で、居丈高な態度と傲慢な言動が目立ち、ごく自然に他者を見下している。
頭脳明晰、スポーツ万能、何をしても一番優れているため、自分は他の人間とは違うのだと思い込んでいる。誰にも否定されたことがないせいで、自己肯定し続けてきたらしい。
他者の痛みを知らない暴君が、初めて自分を非難したヒロインに恋をするとか、そういう筋書きなのだろう。
そしてたぶんサイコパスだ。
「つまんねぇな、おまえが黄集院の末っ子かよ」
これが波留と初めて出会った時の、彼の第一声である。
お分かりだろうが、これだけで友達になれる可能性は消えたと言っていい。どこの誰だろうと、初対面の人間に否定から入るような奴は嫌われて当然だ。何をしても一番優れているんじゃなかったのか。対人スキルが低すぎて呆れてしまう。
波留は非常にうんざりした。
流石の攻略対象者である。キャラが濃い。
ゲームやアニメならまだしも、現実にこんな態度を取る人間がいたら、あまりの頭の悪さに憐れみすら覚える。
「ふん、しょうがねぇ。友人になってやる」
「いやいいよ」
「………なんだと?」
「話していて楽しくないんだ。友達になりたいと思えない」
「…テメェ、だれにむかって言ってやがる」
「ここには僕と君しかいないよ。理解力も低いし、人間的な魅力が乏しい。悪いけど他を当たってくれる?」
「………………」
シナリオ通りにいくことにしていたので、波留は彼の友達という名の下僕指名をバッサリ切り捨てた。いやシナリオを詳しく知らないので、実際には友達になった過去があったのかもしれないが、少なくとも本編ではさほど付き合いが無かったから支障はないはずだ。
たとえ支障があったとしても、あんなイカれた男と友達になるつもりは毛頭ない。
それからもパーティー(何のパーティーなのかは謎だが、月に数回は参加する必要があるらしいパーティー)で、赤馬原と顔を合わせる機会があったが、居丈高に絡んでくるのを悉く切って捨て続けた。
「…ちっ、黄集院か。おまえも来てたとはな」
気付かないふりでスルー。
「おい、その絵が気になるのか? おまえに絵の良し悪しが分かるとも思えねぇけどな」
絵というか額縁を見ていたので聞かなかったことにした。ちなみに良し悪しは分かるが、興味はまったくない。
「甘味ならあっちだぞ。……ふん、男のくせに」
親切と嫌味がセットで反応しにくかったので無視。甘味は美味しくいただいた。
「……おいコラ、ぶつかっといて挨拶もなしかよ」
これはまぁ、謝った。面倒臭いし。
何が気に入らないのか、ほとんどチンピラと言っていい絡み方である。当たり屋かと思った。慰謝料を請求しだしたら流石にアレだが、舌打ちして去っていっただけなので本当にただのチンピラであった。
彼の言動はまったく支離滅裂で意味不明だ。何がしたいのかさっぱり分からない。ネジくれ曲がったツンデレかと思うこともあるが、現実に出逢うツンデレという生き物は、それはそれで面倒臭い。
赤馬原は自己中心的で他人を理解せず、冷淡とも言える無関心さで周囲を睥睨している。
共感能力がなく、人が傷つくことにも鈍感。
うん、サイコパスだ。
二人目は「クール」担当のキャラクター、青稜寺雅。
由緒正しい武家の血筋らしく、武道を嗜んでおり、常に涼しげな雰囲気がある。折り目正しく、姿勢もいい。
ほぼほぼ無表情キャラで、ただの高校生のくせに凄腕の暗殺者ばりに冷たい目をしている。他人への関心度が低く、と言うかほとんど皆無で、男女問わず寄ってくる相手は冷たくあしらう。
ヒロインは時に真っ向から正論を振りかざし、時に回りくどく優しさを押し付けながら、彼の氷の心を融かしていかなくてはならない。めんどい。
そしてたぶんサイコパスだ。
「………………」
「………………」
「………………黄集、院」
「なに」
「………何、してる」
「読書」
「…遊びにきたんじゃないのか」
「だって君と遊んでも楽しくなさそうだから」
「………………」
初めて会った時はお互いまだ幼かったが、彼はまるで恵まれない家庭で育ったかのように、その頃から無味乾燥な目をしていた。もちろんこの上なく恵まれた環境で育ったことを波留は知っている。
何がそれほど気に入らないのか知らないが、こんな人形のような目をした子供、不気味で仕方がない。彼の家族は何も感じないのか。
「……俺は強い」
「ん?」
「強くなければ意味がない」
「…ん?」
「意味がないんだ」
まるで会話にならない。
ここまでくると友達になる以前の問題である。全力で見なかったことにして通り過ぎたい。
だからそうした。
だがまぁ何故か彼はコミュニケーション障害のリハビリ相手に波留を抜擢することにしたらしい。例によってなぜ開かれているかも分からないパーティーで、顔を合わせるたびに寄ってくる。
「……黄集院」
「やあ、青稜寺。ごきげんよう」
「…雅でいい」
「それはどうも。試合はどうだったんだい?」
「勝った」
「おめでとう」
「勝たなきゃ意味がない」
そんな彼は剣術くらいにしか興味がなく、それも熱心と言えば聞こえはいいが、要するに勝利以外を認めない。
神捨青陰流という名前からして恐ろしい流派の宗家で、二の太刀要らずの先手必勝を旨としている。日がな一日、刀を振っているような生活らしい。別に強制されたわけでもなく、それが性に合っているとのことだ。
勝ちにこだわるあまり平気で急所を狙うし、対戦相手が怪我を負おうがお構いなし。手段を選ばないその信条は、クールと言うよりも卑劣だ。
「反則スレスレだったって?」
「…負け犬の遠吠えだ」
おまけに結果だけを重視するため、敗者の言葉には耳を傾けない。ついでに言うと、罪悪感もないらしい。
うん、サイコパスだ。
三人目は「やんちゃ」担当のキャラクター、緑香賀賢人。
旧家のお坊ちゃまらしからぬ快活さと放蕩ぶりで、頭がおかしいんじゃないかと思うくらい元気いっぱいだ。ハイが過ぎて人に不安を与える。
彼は楽しいことが大好きで、退屈を嫌っている。
ヒロインは彼にとって意外性に満ちた新鮮な存在であり続けなければならない。好きだの何だのという前に、興味をそそられる相手にならなくては攻略は失敗する。難易度が高い。
そしてたぶんサイコパスだ。
「黄集院ってお前か~! 母さんが友達になれって言うからどんなヤツかと思ったけど、」
「そう。僕も母から紹介されたよ。学生時代の友人らしいね」
「うちは母さんの言うことは絶対なんだ。でもつまんねぇヤツと付き合えねーし、いっちょ遊んでみっか!」
「何をして?」
「そりゃ冒険に決まってんだろ!」
「冒険?」
「車道に飛び出すんだ!」
どうやら母の友人は子育てに失敗したらしい。
その子供は三歳児だって知っている不文律を破り、わざわざ我が身を危険に晒そうとしている。脳に致命的な欠陥があるのでもなければ、教育方法が間違っていたとしか思えなかった。
「一応聞くけど、なぜそんなことを?」
「そりゃ面白いからだよ!」
やっぱり脳の問題かもしれない。
彼には恐怖や不安という感情がないのだ。
楽しいかどうかが行動を起こす基準なので、リスクヘッジは最底辺。究極、面白いと思いさえすれば何でもする。
彼の世界は「面白い」か「退屈」かのみで構成されており、そこではモラルや常識、他者への配慮は一切加味されない。常にスリルを求める人間ジェットコースターである。
うん、サイコパスだ。
「あ、それともあの木の上からさ、」
「一人でやりなよ」
「えー、何でだよ、つまんねえ奴だな」
「親切で言ったのに」
「はぁ?」
「どんな事だって一人でやった方がリスクが高いよ。リスクが高ければ高いほどスリルも高まるから、君にはその方が楽しいかと思ったんだ」
「……………」
当然ながら子供の頃はいつも生傷が絶えなかったが、そのうち成長したのか、見える範囲に怪我をしなくなった。それはそれで怖いな、と波留は思っている。
「やあ、コーガ」
「おう、ハル! ……っと、間違えた。こんにちは、ハル君!」
「今日も元気そうだね。そちらはお友達かい?」
「さっきナンパされたのぉ」
「それはそれは」
そんな彼が最近ハマってるイタズラがこれだ。
いまだに性別を間違われるほど可憐なベビーフェイスの持ち主で、実際わざわざ女装していることさえある。騙された相手をからかうのが楽しいらしい。
「ミキちゃん、そいつ誰? まさか彼氏とか…」
「違うよぉ、ト・モ・ダ・チ!」
「ホントにぃ? すげーイケメンじゃん」
「ミキ、男の子のトモダチ多いんだもーん」
誰だ、ミキちゃん。
「じゃあハル君、またね!」
「楽しんで」
ウィッグを靡かせて去っていく背中はどう見ても少女だ。
病んでいる。
四人目は「お色気」担当のキャラクター、紫ヶ﨑央駕。
華道家元の嫡男で、跡取り息子。優雅な身のこなしと華やかな女性遍歴の持ち主である。
女性と見ればのべつまくなし声をかけ、あっという間に深い仲になってしまう手並みはいっそあっぱれ、見事としか言いようがない。誰にも彼にも甘い言葉を放り投げ、一人に永遠の愛を誓った舌の根も乾かぬうちに、別の三人とベッドインする。
そしてたぶんサイコパスだ。
生粋の大嘘つきとしか思えない歪んだ性質を持ち、罪悪感の欠片もなくふらふらとあちこち飛び回っている。
その口の回ることスクリュープロペラのごとく、豊富な語彙でもって、ありもしない事実を相手に真実と思い込ませる術に長けている。いつだったか彼に恋人を寝取られたという男性が、怒り心頭で怒鳴り込んで来たことがあったが、なぜか帰宅する頃には親友さながら二人肩を組んで笑っていた。怖すぎる。
どんな女が何をすれば彼を攻略できるのか、波留には見当もつかない。さして興味もなかった。たぶんゲームの強制力か何かで、ごく普通のやり取りもドラマチックになるのだろう。
「へぇ、アンタが黄集院のとこの若様か。もったいないなぁ、女の子ならほっとかないのに」
「あはは」
「……ま、男にはキョーミないけど、しょうがないから友達になってあげても、」
「あはは」
「………いや別に冗談とかじゃないんだけど」
「あはは、またまた」
「………………」
どれが嘘でどれが本音か分からないので、とりあえず全部嘘だと思うことにした波留は、何を言われても笑って流し続けた。息をするように嘘をつく人間と、まともな人間関係を築こうとする方が間違っている。
とは言え彼も上流階級の一員には違いないので、努めて顔を合わそうとせずともこうして出くわすことは多い。
「やあ、若様。今日もご機嫌麗しいようで何よりだね」
「君も元気そうだ」
いつも違う女を連れているが、パーティーで会うときは一際派手なタイプだ。顔を見ても名前が出てこないから、ハイソサエティの出ではないらしい。
「ああ、誤解しないでよ。この娘とは別に何でもない」
「それは良かった。先週の子が可哀想だしね」
「嫌だなぁ、あれは別にそういうんじゃないよ」
「ホテルの客室フロアから出てきたのに?」
「ちょっと休んでただけだよ」
「あはは」
「…相変わらずだねぇ」
紫ヶ﨑が苦笑しつつ肩を竦める。
背中が大胆に開いたドレスを着た女が、これ見よがしにその腕に手を絡ませた。女の視線の先には清純なドレスを着た少女が立っている。真っ青になった様子は、確かに先週ホテルで見た顔だった。
身を翻したその姿を追うでもなく、彼は傍らの女を引き寄せた。
「…感心しないね」
「真面目なハルちゃんには刺激が強すぎたかな」
「刺激というより呆れかな」
彼は自分の欲望を満たすためだけに平然と他人を利用し、傷つけることに良心の呵責を感じない。涙を流す恋人を前にして、悪びれることなく他の女を抱き寄せるなんて、どこかイカれてでもいなければ到底できない所業である。
うん、サイコパスだ。
そんな四人の幼馴染みと、波留はずっと同じ学園に通っている。たぶんそういうシナリオなのだろう。
確かに偏差値もホスピタリティーも高く、由緒正しい名門校ではあるものの、探せば同等のクオリティを保つ学校は他にもあるはずだ。だけど選択肢はあるようで無く、何かに導かれるようにして波留はゲームの世界である常磐学園に入学した。
幼馴染みたちと共に。
五人はそれほどべったりというわけではなかったが、付かず離れずの距離を保ってずっと一緒にいた。
赤馬原の傲慢さも、青稜寺の冷えきった目も、緑香賀のスリルジャンキー症も、紫ヶ﨑の歪んだ性嗜好も、ヒロイン無くして変わるはずもなくそのままだったが、それでも淡白な友情は続いた。友情と言っていいかどうかも分からない、たまにふらりと近付いては二言三言交わして離れる、それくらいの仲だ。
それでもゲームの中よりは良好な関係だろう。
確かもう少しギスギスしていたはずで、ヒロインを取り合ってあわや殺し合いにまで発展しそうになっていた。現代日本で、だ。
さすがサイコパスの集団。
目的のためなら幼い頃からの顔見知りを平然と蹴落とす。
その程度の仲だったと言われればそれまでだが、たかだか十六の子供同士が何をしているんだと言ってやりたい。親も止めろよ。煽るな。サイコパス養成講座か何かか。
前々から思っていたが、ゲームやアニメの登場人物というものは、とにかくやることが極端で手に負えない。なぜ急に窓から飛び降りる。公共の場で大声を出すな。刀を出すな。店ごと買い取るとか何の冗談だ。
現実世界にいるような性格では個性が立たないせいかもしれないが、それにしたって面倒この上なかった。
「お前らも今度の日曜、ソイエルのレセプションパーティー出るんだろ」
赤馬原が苦虫を噛み潰したよう顔で言った。
「………仕方ない。御大に呼ばれてる」
青稜寺の抑揚のない声が無感動に答える。
「あそこのつまんねーよなぁ! 余興は代わり映えしないし、食事もありきたりだしさぁ」
緑香賀はつまらなそうに口を尖らせた。
「招かれる子たちも大体一緒だしねぇ…可愛いけど大体もう味見しちゃったしなぁ」
長めの前髪をかき上げて紫ヶ﨑が嘆息する。
学園内にあるロイヤルルームは五人の城だ。
家柄も成績も容姿もトップクラス、学園生徒のヒエラルキー上位を占める一団は、上級生どころか教師にも一目置かれている。ここでくつろぐ彼らを邪魔できる者はこの学園にいない。
いつも五人揃うわけではないものの、波留が読書していると誰かしら顔を出す。
今日は珍しく勢揃いしていた。
「気が乗らないならやめとけば」
人様が頑張って準備した催しに対し、どうしてそこまで上から目線になれるのか。何様だ。簡単にこき下ろす前に、何か一つでも自力で開催してみろ。
波留が本から顔も上げずに言うと、数拍の間があって、聞こえよがしな溜め息が聞こえた。
紫ヶ﨑がやれやれと肩を竦めて軽薄に笑う。こう言ってはなんだが、実際にやられると寒い仕草だ。たとえイケメンであろうとも。
「あのねぇ、ハルちゃんがそれ言う?」
「なんで」
「誰のせいで僕らまで逐一呼びつけられると思ってんのさ」
「キオはまたそうやって人のせいにして」
しがさきおうが、で「キオ」だ。
公式のニックネームで、ゲームの中ではやたらと「キオ様」と呼ばれていた。波留などフルネームを憶えていなかったくらいで、今もごく自然にそう呼び続けている。
初めて呼んだのは波留だと彼は言うが、だから何だと言ってやりたい。どうでもいい。
「いやいや、ハルちゃんがやたら老人受けがいいせいじゃん」
「ふ、なにそれ」
文字を追いながら片頬で笑うと、舌打ちされた。
ちろりと目を上げて苛立たし気な赤馬原を見る。スチルのデフォルトとも言える仏頂面で、我慢の嫌いな彼らしい表情だ。
波留を睨み付け、吐き捨てるように言った。
「ふん、優等生の皮をかぶった人タラシが」
言いがかりにも程がある。
八つ当たりにしたってずいぶん稚拙だ。
波留は嘆息しつつ本を閉じた。
「ご機嫌斜めだね、リュウ。またどこかのお嬢様とお見合いの予定でも?」
「…うるせぇ」
「そうやって露骨に嫌がるから、パーティーのたびにわざとらしく引き合わされるんじゃないかな」
「黙れ」
今度こそはっきり唾でも吐きそうな顔をされた。どうやらよほど気が乗らない相手らしい。
「またお見合いをぶち壊すために呼びつけるのはやめてくれよ?」
「……ふん」
この男の社交性はごくごく短時間、限られた場所でのみ発揮される。パーティーとか、式典とか、お茶会とか。そして我慢の限界を迎えるととっとと退散してしまう。
結果、溜まった鬱憤をぶつけられるのは決まって波留の役目だった。なぜかは分からない。初対面の時に友達になるのを突っぱねた腹いせのつもりかもしれない。つくづく面倒な男である。
「……俺らだけなら呼ばれない」
驚くほど平淡な声が話題をぶった切った。温度の感じられない、聞いてるだけでヒヤリとさせられる声だ。夜中に聞きたくないなと波留は思った。何年経ってもまるで慣れない。
視線を巡らせると、青稜寺が日本刀の手入れを始めていた。
「ミヤ?」
「…御大の囲碁の相手をしてるんだろ」
抜き身の刀身が蛍光灯の下で淡く発光している。いつものことながら家宝の刀を持ち込んだらしい。
こいつ、銃刀法を知らないのだろうか。
「ああ、たまにね」
「…あの癇癪持ちによくそこまで気に入られたな」
「そこまでじゃないよ。大袈裟だな」
「……屋敷から蹴り出された連中はそうは言わない」
「その噂よく聞くけど、実際に蹴り出されたって人には会ったことないね」
上流階級の社交場は噂と欺瞞のサバイバルだ。
とても厄介で、なかなか面白い。
波留はそこで生き抜くコツを知っている。
楽しむことだ。
「あ、沙原のばーさまは現場を見たことあるらしいぜ? こないだ堂島の展覧会で会ったんだ。もうちょい若い頃にはよくあったって言ってた」
緑香賀も他人の不幸をさも愉しげに話している。
「あのばーさま、御大と古馴染みらしいし」
「ああ、ここの卒業生だってね」
「…ハル、御大とそんな話までしてんの?」
「コーガだって沙原夫人に訊いたんだろ」
「ばーさま記憶力すげーんだもん。偉ぶってるオヤジ共の弱味掴んだら面白いかなーって」
政財界で陰のフィクサーとも謳われる件の老人は、跡継ぎに恵まれなかったせいでひねくれてしまい、若い者をからかったり叱りつけたりすることで憂さを晴らしている。らしい。
地位も名誉もある立派な紳士たちが、彼の前では赤ん坊同然になることが、このナチュラルハイには面白いようだ。いつか現場に遭遇して大笑いするんだと息巻いている。
病んでいる。
「沙原女史はおしゃべりだからねぇ」
「こないだなんて碧山の末っ子が高校中退した話を大声でしゃべりまくってたよなぁ! あれは笑えたわ」
「……その話は禁句だろう」
「ふん、あのババアの前じゃ天気の話だって禁句だろ」
読書に戻った波留をよそに、四人が好き勝手話している。和やかと言ってもいいだろう雰囲気だ。ゲームとはやや違う。
波留はあれ?と首を傾げつつまぁいいかと頷いた。ギスギスしているよりずっとマシだ。
「それで、ハルちゃんは出席するの?」
紫ヶ﨑の言葉に三対の視線がこちらを向いた。
波留は微笑んで頷く。
「そりゃね。招待されてるし」
「でも今はお父上も帰国されてるんでしょ? それならハルちゃんが行かなくても…」
「招待状は俺宛てだったから」
「………あー、やっぱり」
陰のフィクサーだろうと、孫くらいの年齢の波留からすれば、面白くて優しいおじいさんに過ぎない。幼い頃から可愛がってもらっているので、パーティーに招ばれるくらい何でもなかった。
たまにお小遣いまで貰える。
それに波留のことをとやかく言うが、一般的な現代日本人の感覚からすれば、年長者に気に入られるのはさして難しい話ではない。
長幼の序を重んじ、経験談に耳を傾け、礼儀正しくかつ子供らしい素直さを見せれば大抵はうまくいく。相手が気難しそうなら強引に取り入ることはせずに、控えめながらしっかりと受け答えさえしていればいい。
むしろそれくらいのこともできないという、彼らの将来が心配なくらいである。
「適当に相槌うってればいいのに」
「…それができれば苦労しないよ。というかハルちゃんて結構辛辣だよねぇ……みんな何を見て温厚だの穏やかだの言うんだろ」
波留はただ処世術とは斯くあるべきという通りに立ち回っているだけだ。
そしてお前らの感覚は普通じゃない。人に難癖つける前にカウンセリングに行ってほしい。
「そういえば転校生が来るらしいね」
ふと紫ヶ﨑がティカップを傾けながら言った。
広く浮き名を流しているだけあって情報通だ。
「こんな時期にか。どこのアホ息子だ」
「………中途入学は認められていないはずだが」
「すっげー問題児とか? 面白そうじゃん!」
「いや、白峰家のご令嬢だって噂だよ。訳有りっぽいけどね」
白峰は黄集院家とも並び立つ有数の資産家だ。
二十年前、当主の息子が出奔して社交界を賑わせた。駆け落ちだ何だと憶測が飛び交ったらしい。
ほんの数ヶ月前にその息子が交通事故で亡くなり、残された一人娘が本家に引き取られることになったという。
「ふん、つまり庶民の生まれか」
「いや血筋は白峰でしょ。育ちは庶民だろうけど」
「変わらん。育ちが庶民なら庶民だろ」
「まぁそうかな」
ヒロインだ。
ゲーム開始は高二の秋。
十六になるまで一般家庭で育ち、両親の死によって資産家の祖父に引き取られ、常磐学園に編入し攻略者たちと出会う。平凡ながら優しく朗らかな性格で、上流階級の偏った価値観に染まることなく、持ち前の率直さで向き合っていく。
彼らはそんなヒロインのひたむきさ、素直な温かさに惹かれるのだろう。幼馴染みの初恋騒ぎを間近に見ることになりそうだ。やりにくい。
「可愛い子だといいねぇ」
紫ヶ﨑の希望は叶う。
ゲームヒロインは愛らしいゆるふわ女子だ。
「ま、面白い奴なら遊んでやってもいいかな」
緑香賀の希望も叶うだろう。
彼らの言う庶民の感性とやらは、何にせよ新鮮に見えるはずだ。
「……騒がしいのはごめんだ」
青稜寺の希望も叶う。
ヒロインは明るい性格だが、ミーハーではないし、一般常識は弁えている。
「興味ねぇな」
赤馬原の興味だって問題なくそそってくれる。
なにせ彼を真っ向から否定する初めての存在となるのだから。
ようやくかと、のんびり顔で心踊らせる波留は知らない。
挫折を知らない彼らにとって、生まれて初めての思い通りにならない存在は、既にヒロインではなくなっている。
穏やかで控えめな物腰ながら、決してぶれることのない凛とした立ち居振舞い。一本筋の通った言動は、柔軟な価値観と独特の感性によって築かれ、おっとり微笑みながらも芯は硬い。
誰が相手だろうと反らない、曲がらない、揺るがない。そんな存在を身近に置き続けた彼らは、もはやゲーム通りとは言い難かった。
己こそ至高であるとの認識はそのままに、並び立つ個の存在がいると知った。
剣の腕で勝ち取るものだけが勝利ではないのだと知った。
完全には理解しきれない、把握しきれない、そんな相手に心を預けるスリルを知った。
口八丁で支配できない苛立ちさえ凌駕する親しみを知った。
本質は変わらなかった。
しかし変わらずにいることを受け入れられるのは、この上ない充足感をもたらした。
誰もが眉をひそめることに頓着せず、涼しげな顔で何もかもを許容する。かといって言いなりになるでもなく、意に沿わないことは当たり前に撥ね付けられる。
彼を中心に置いておけば、個性の尖った幼馴染みたちさえ、ごく普通に友人と呼び合えた。
その得難さは、もはや奇跡だ。
彼らは初めての恋に出逢う前に、奇跡と出逢ってしまった。
そのことを波留は知らない。