二.
一般に、ダウン症患者の顔立ちはどれも似通っていると言われる。
釣り上がり気味の瞳にぱっちりとした二重。鼻は潰れたように低く、顔全体がのっぺりと平坦な印象を受ける。目と目の間は少し広めで、耳の位置が健常者より低いことも特徴的だ。もちろん例外もあるが、傾向として、ダウン症患者には上記諸条件が散見される場合が多い。
どうしてこういう摩訶不思議なことが起きるのかと言うと諸説あるが、一説には、ダウン症患者は顔の中心部の骨の発達が周囲の骨に比べるとゆっくりであるからだとされている。
周囲の骨ばかりが先行して成長するために、目は自然と釣り上がる。顔の中心部である鼻は潰れたままで、目や耳の位置に影響を及ぼす。
まあ、要するに、『ダウン症患者だから』ではないということだ。
ダウン症患者の顔立ちが似通っているのは、『ダウン症患者だから』ではなく、『ダウン症患者は顔の中心部の骨の発達が遅いから』なのである。これは同じことを述べているようで、まったく次元の違う話である。
なぜならば、ダウン症患者でなくとも、顔の中心部の骨の発達が遅いということは、まあ、ありうるからである。そうでなくとも、人の顔の造形は、奇跡のようにありとあらゆる要素が複雑に絡み合って成している。たとえ骨の発達が遅からずとも、どこかでなにかの歯車がどうにかなれば、健常者であっても、ダウン症患者特有の顔立ちとなることは、十分にありうることなのだ。
なぜならば、繰り返しになるが、ダウン症患者がダウン症患者特有の顔立ちをしているのは、『ダウン症患者だから』ではないからだ。
そして、その“天災”は悠介の頭上に降った。
自覚はしていなかった。
自分の顔が“そうである”ということなど、当時六歳の悠介はもちろん理解してやいなかった。しかし、とある日、母親に連れられたバスの車内で、運転手から手帳の提示を求められた。
むろん、言うまでもなく、それは運転手のあまりにも愚かな勇み足だった(後日、怒り狂った母により運転手は退職に追い込まれた)。あまりにも無知で、社会人失格で、ダウン症ということについて理解がなく、頭の悪い運転手のあまりにも愚かすぎる勇み足だった。しかし、ともかく、その運転手が悠介を一目でそう見定めたのだという事実は母の中に深く強く刻まれた。
そして、まるでその日の出来事を契機とするように、悠介がダウン症だと誤認されることは日に日に増えていった。