-特殊技術課ー
序章
「ねぇ、あれなに?」
「ん? どれ? 変わった鳥でもいた?」
「……あれ? 消えちゃった。なんかさぁ、すんごい大きな蚊みたいなのが見えたんだけど……錯覚かなぁ?」
「はぁ? さっき見たホラー映画の残像が残ってたんじゃないの?」
「だよね! それよりさぁ、ご飯なに食べる?」
変わり映えのしない毎日、当たり前のように過ぎて行く日常。
そんな世界に、亀裂が入り始めている事をまだ誰も知らない。
漆黒が支配する闇の国、浮かんでは消える禍々しい光、闇夜を引き裂くいくつもの咆哮。
「全てを焼き尽くせ、全てを破壊し尽くせ、全てを漆黒に変えろ」
中心部にそびえ立つ巨大な建造物、鉄仮面の隙間から漏れる淡く白い光、口から滴り続けている漆黒の液体。
欲していた……この世の終焉を。
第一章
大学の仲間と徹夜でマージャンに明け暮れ、出だしこそ調子が良かったものの、最終的には生活を切り詰めなければいけないほどの負債を抱え、ホクホク顔の友人に見送られ雀荘を後にした賢治は、黄色い太陽に手をかざし自宅に戻り布団にもぐり込んだ。
「――ん……電話か? 誰だよ一体……これから寝る所だってのに」
そう、ぶつぶつと文句を言いながら、ふて腐れたような声で電話に出る。
「はい……」
「えぇ、斎藤ですけど……」
「あ! は、はい。……あ、あああ、あああ、有難う御座います! はい! 内定通知書が送付されてくるわけですね。そ、その中の入社契約書に記入して、提出書類を持参ですね。分かりました! はい! はい! そ、それでは、たいへん失礼致しますです……はい!」
その直後、彼がとった行動は、全身の中で最も神経が過敏である、と言われている数箇所を赤く腫れ上がるほどに抓り倒し、風呂場に入って熱湯を足にかけては悲鳴を上げ、腹も減っていないのにピザを頼み、今ここにこの場所に、斎藤賢治弱冠二一歳が存在している事を確認し、それが現実である事を認識した。
「奇跡だ……純白の天使が舞い降りて来て、この俺に微笑みかけた!」
『八文字科学技術製作所』この名を知らない日本人は、多分いない。いや、今や世界と肩をな
らべる超一流企業として、その名を国内外に轟かせている。
競争倍率百倍強。生まれながらにして秀逸な頭脳を持ち、誰もが畏敬の念を覚えるほどの人材が、民間企業ならここ、と挙って志望する。
選ばれし者は一握り。まるで、掘れば出て来るダイヤモンド鉱山で見つかる、希少なダイヤ。
「俺が……受かったの? オレ~オレオレオレ~!」
と、かなり昔に流行ったJリーグの歌を口ずさむような男である。希少ダイヤ等ではあるはずがない。
神奈川県川崎市にある新人研修施設。参加当日から十日ほどが経ち、ようやく雰囲気に慣れてきた賢治は昼休みに食堂にいた。
この研修には、全国から五百人の希少ダイヤが集められている、約一人を除いてだが。
その例外者の隣で食事をしていた、二人組の一人が賢治に顔を向け、
「ねぇ、君はどんなコネで、ここに入社出来たの?」と、小声で聞いてきた。
その質問に、まただ……これで何回目だよ、と賢治は胸中で呟く。
「いや、父親が町内で有名な『祭り好き』くらいな物で、こんな会社に入れるようなコネなんかありはしないよ」
「それはそうだよな、いくら同期って言っても、簡単には口に出せないのはわかる! 口止めされてるんだろ? じゃあさ、ヒントだけでも教えてくれよ、何系のコネ?」
と、まるでスキャンダルが発覚した芸能人にインタビューをする記者の如く、なんとか真実を聞き出そうと必死である。
……はぁ
と賢治は深いため息をついた。
どこから漏れて、どう流れて行き、何故そこに辿り着いたのか定かではないが、研修初日から賢治の話題で持ち切りだったようだ。
希少ダイヤの中に石っころが混じっているだけであれば、ここまで話は大きくならなかったのだろう。ここまで彼らに疑問と関心を持たせている理由は、その石っころが会社設立以来初となる、『異例の新卒本社勤務』を、新人研修参加前に命ぜられていたからであった。
「親族には一国の首相がいるかも知れんぞ! いや、国際的なシンジケートを持つマフィアのドンの一族じゃねぇか?」
と、憶測と推測が音速で加速して、歪に肥大化した未確認生命体の捕獲作戦が実行されるのは、仕方のない事象であった。
「いや、ほんとだってば……信じられないかも知れないけど……」
「いや、君には失礼になるけど……それは有り得ない」
「あ、有り得ないって……」
「見た感じだと、身長は高い方ではないし、顔のパーツは悪くないけど、イケメンではないよね。着衣に気を使うタイプでもないように見受けられるし。僕が得た情報によると、秀でた何かが有る訳でもない。この時点でなにか反論はあるかい?」
「ま、まぁ……おおまか合ってるけど……」
「仮にだよ、本当にコネがないのだとしたら、君は何故この会社に入社する事が出来たのか、僕に説明出来るかい?」
「……愛嬌……かな?」
二人は、呆れたように苦笑いを浮かべ、鼻を鳴らし小さく何度も頷いて、無言のままその場を去って行った。
「くそ、バカにしやがって。そりゃ確かに、外見も一般的だし、秀でた能力があるわけでもないし、家族はみんな一般庶民だし、名前さえ書ければ受かるような大学ですが、それが何か?
でも、まあ……本当に……なんで、入社出来たんだろ?」
参加する事に意義がある、の精神に基づき、『駄目元』と言う言葉を使用する事さえも、おこがましい状況での内定である、賢治が信じられないのも頷けると言うものだ。
大学生活四年間、苦楽を共にした友人の一人が賢治に言った。
「はいはい、エイプリルフールはまだ先ですよ?」
もう一人は言った。
「……辛い事でもあったのか? 聞いてあげる事くらいしかできないけど、話してみろよ」
まるで、仲の良過ぎるカップルのように、いつも一緒にバカやっていた同郷の友は、唯一その内容を信じてくれはしたものの、
「それは何かの手違いで、おまえにはお門違いだ!」
と罵られる始末。
あろうことか、共に喜びを分かち合えるはずの母親でさえ、
「賢治……責めたりせんから、福岡に帰ってきんしゃい。ちょっと休養してから……精神が安定してからでも就職活動は遅くはなか! 人生は長いちゃけん!」
と、精神疾患と決めつけられた。
そんなこんなで、約一か月間に亘る新人研修を終えるまでに、謎のベールに包まれ都市伝説化した正体不明の賢治は、打ち解ける仲間も誰一人としてできず、日本を代表する超一流企業の新人研修を終える事となったのであった。