最後の王子サマ
ちょっと暗いかも。
ハッピーエンド大好きで、そうするつもりだったけどなんかずれてしまった。
これで、お姉さんの方が活躍してくれたら面白いな。
「うわ。こりゃあひどいな」
あまりの鼻をさす異臭に、下級役人の男は袖口で鼻を覆った。彼は上司に、ある塔にある一室の処理を命じられてやってきたのだった。相棒の男も顔をしかめている。
「まったく、なんで俺たちがこんな事しなくちゃいけないんだよ」
ぶつぶつぼやく。
さして広くもない部屋。
その部屋の中一面に、腐り蠅が飛び交う食事だった物が並べられていた。室内という事もあり、籠った空気は吐き気を催すほどの臭気を放っている。
この室内においては下級役人の襤褸切れのような服でさえも、あかぎれて薄汚く見える手でさえも、極上の品のように見えてしまうだろう。
かつては美しく設えられ、部屋を豪奢に飾っていた調度品もこの空気の中では朽ちてしまっている。かつて美しかった物は醜く、醜くかった物が高尚な物へと反転していた。
先に換気をしようと思ったのだろう。
下級役人の男は錠のかけられた戸口とは反対側にある、小さな小窓の方に足を運ぶ。
「まったく、大したもんだよな。死んでいるのに気付かないで食事を運び続けちまうんだから。俺らが飢えてるってのに、上は死人なんぞにメシをやってたんだぜ」
信じられるか、と相棒の男に問いかけるが、相棒の方は目線を動かしただけで特に答える事はしなかった。役人の男の方も舌のない相手に返事を期待した訳ではなかった。
腐った山をかき分けながら進むと、こつり。それまでとは異質な、なにやら固い物に靴先が当たった。
何気なく役人が下を向く。
「…う…」
そして、青ざめて口元を押さえ込んだ。
無理もない。彼の足が蹴ったのは、腐った内蔵を飛び出させ、それでいながら顔だけは木乃伊のようにすっかり干涸びさせた僕の死体だったのだから。
*
僕の中の一番古い記憶は、国王であるお父様と、王妃であったお母さまが楽しそうにそれぞれ楽器を演奏している姿だ。僕はそれを姉上と一緒に聞いていた。
姉上と僕が自分も弾いてみたいとせがむと、お父様はしょうがないないな、と弦楽器に触れさせてくれた。
お母さまは微笑みながら、私の天使、って僕の額に口づけた。僕も笑ってお返しする。
僕はお父様とお母さま、姉様と一緒にいるだけで何の不安を感じる事もなく過ごす事が出来た。
そんな楽しい記憶だったのだけれど、姉上はこの記憶を覚えていないらしい。きっと、その後が大変すぎて忘れちゃったに違いない。
幼かった僕は知らなかったのだけれど、僕の国は大変な事になっていたらしい。
度重なる飢饉、大陸を隔てた所にある新興国家の王政からの独立、いろんな要素がかさなって国民達は我慢の限界に達していた、という。
国民はそれで、国王であるお父様にいろんなお願いをしたけれど、国民の要求を受け入れるには、伝統主義の貴族達の反対が強すぎた。
お父様は強くて、賢い方だった。
だけど、そのお父様でさえ手の施しようがないくらい国は腐っていたんだ。板挟みの状態で身動きがとれなかったんだ。
僕のお母さまはものすごく、評判がよくなかったらしい。
お婆さまが暮らしている国から嫁いできたお母さまは、贅沢三昧。その上、愛人までいた。別に、お母さまが贅沢したくらいで国庫が揺らぐ訳もないのだけれど、国民にはそれも許せなかったみたいだ。
贅沢の象徴だったお母さま。お父様と仲良くなかったらしい。お母さまは僕たちには隠そうとしていたみたいだけど、そうじゃないかなって思ってた。だからこそ、姉上は僕の記憶を疑ったんだと思うけど。
それでも全然好きじゃない訳じゃないと思う。だって次第に揺らぐ国を憂いて、お母さまは国から逃げ出そうとしたんだ。その時お父様も一緒に連れ出したんだもの。一緒に逃げようとするくらいだから、きっとちょっとは好きだったんだよ。
その馬車の中で姉上は、御者は実はお母さまの愛人なのよ、って僕にこそこそって言ってきた。
実は僕たちの逃避行は失敗してしまった。家の近くに連れ戻された僕たちは高い塔の中に閉じ込められたんだ。
しばらくはチェスとかして、家族で過ごしていた。
でも、先にお父様がいなくなって。
次にいなくなったのはお母さまだった。
二人は断頭台にのぼったんだ、ってその時見張りをしていた人が言っていた。僕には断頭台が何かは分からなかったけど、きっともう二人には会えないんだろうな、なんてぼんやりと思った。後から知ったんだけど、断頭台っていうのは新しく出来た機械の事だったらしい。
僕と姉上は二人きりになった。
僕はなんどか、ここから逃げ出してお母さまたちを探しに行こうよ、って言ったけど、姉上は無理よ、って悲しそうにしてた。
そんなことを話しているうちに、姉上までどこかに行っちゃった。
こうして僕は独りぼっちになったんだ。
悲しくて、怖くて。
塔の中で一人でうずくまってしばらく過ごしていた。
けど、ある朝突然塔から出された。どこに行くんだろうって思ったら、連れて行かれたのは、肉を売っているお店だった。連れてきた、役人の人は今日からここでお前は働くんだ、って言っていた。
僕は手仕事なんてした事なかったから、大変だった。朝から晩まで働いた僕の体重は、すぐに落ちて、皮と骨だけみたいになっちゃった。
それに、もっと辛かったのが、僕を見るたびにひそひそ話す人たちだった。でも、どんな時でも堂々としてるのよ、ってお母さまの言葉を思い出して、僕は出来るだけ胸をはっていた。人はいつもどんよりしていて、何かに怖がっているみたいだった。
靴屋にいたのはほんの少しの事だった。
またやってきた役人のおじさんは、また僕を塔に連れて行った。
「これで、もう移動はなしだ。お前は今日からここで暮らすんだ」
そう言って、塔の鍵をかけていった。
塔の部屋は狭くて、する事がなにもなかった。それに、薄暗くて、夜になると幽霊なんかがでるんじゃないか、って怯えなくちゃいけなかった。
食事は一日に二回ちゃんと出された。けど、たまに係の人が忘れちゃうのか、出ない時もあった。
なんにもする事がなくなった僕はよく家族の事を考えた。
お父様、姉上、…お母さま。会いたいな。
もし、僕がもっと強かったら、こんな壁やぶって出て行くのに。
もしかしたら、優しいおとぎ話に出てくるような妖精が僕を助けにきてくれるかもしれない。
そんな事をずーっと考えていた。
もしかしたら、僕の事をだれかが助けにきてくれるかも、もしかしたら昔お父様のところで一緒に働いていた人とか。
でも、だれも来なかったんだ。
どのくらいの時間が過ぎたのか分からなくなった。けど、僕の体は大きくなっていたみたいだった。
ずっと、着替えがなくて替えられなかったズボンが僕の体を締め付けて、歩く事もままならなくなった。
一回、歩く事をやめちゃった僕の体は、どんどん弱っていった。
こほっ。
こほっ。
寒い冬になって、僕の咳は止まらなくなった。
固いパンは食べる事が出来なくて、残してしまったけど、引き取りにきてくれないからどんどん溜まって腐っていった。
もしかしたら、僕死ぬのかな。
死ぬのは怖かった。
死ぬ前に、まだやってない事もあった。
もし。
もし死んじゃうなら、その前に一目でいいからお母さまともう一回会いたい。
会って、大好きだよ、って言ってから死にたかった。
もしかしたら、ずっと念じていれば、この気持ちが届くかもしれない。
そんな事を考えた僕は、うすくらい所よりも明るいところにいた方が、きっと伝わるに違いない、そう考えて、窓辺の方に這っていった。まるで、芋虫みたいな進み方だった。
ずっ。
ずっ。
ずっ。
おじいさんのようにしなびてしまって手で体を進ませるけど、どうしようもなく体は重かった。
顔に光があたり、自分が窓の下まできた事が分かった。
お父様、姉上、会いたいよ。
お母さま、大好き。
守ってあげられなくて、ごめんなさい。
窓からは、青い青い空が見えた。
僕は、死んだ。
*
『ルイ十七世亡くなる』
大きく書かれた新聞の見出しに、貴族の家に軟禁された少女が俯いた。やがて手は震えを隠しきれなくなり、その心のうちにはどうしようもない虚無感が広がった。
「まだ、十三歳の子供なのに…」
ごめんね、姉様が助けてあげられなくて、どうしようもない現実に少女は打ち震えた。
もし自分が交通事故に遭ってもう死ぬってなっても、気力で持ちこたえて、お母さんに大好きっていってから死にたいな、って幼い頃本気で考えていた作者です