第九話
■■■
そんな山田さんとの楽しい日々がうそのように続いた。山田さんとのことだけじゃない。俺の漫画「モンスターバスター シュート」はアニメになった。そのことを山田さんに伝えるとすごく喜び、涙まで流してくれた。しかも俺は忙しい中で手話を学び、少しだが簡単な日常会話ならできるくらいにまでなっていた。俺が手話ができるようになっただけで山田さんとの距離がぐっと縮まり、いつしか俺は彼女のことを『まりなっち』と呼ぶようになった。
そしてある日のこと、俺はまりなっちに告白された。
手話での告白。すごくうれしかった。それに女性から告白されるなんて俺の人生で一生ないことだろうと思っていただけに本当に信じられない気持ちでいっぱいだった。しかもあんな美人に……告白の返事? もちろん決まってるじゃないか!
俺はOKの代わりに彼女を思い切り抱きしめた。しかしなぜか俺は泣いていた。たぶんうれし涙だろう。だがこの時まりなっちを抱きしめながらも俺は森川さんとの約束を脳裏に浮かばせる。
いや、変なこと考えちゃいけない。きっと森川さんはあの日の約束を忘れているに決まってる。だってあんなに美人なんだからもうすでにイケメンの彼氏がいるはずだろ? あんな美人を世の男性が放っておくわけがない……。うん、過去の想いは忘れよう。過去は忘れて前を見なきゃ。このまりなっちと共に……。
■■■
まりなっちから告白を受けて一週間たったある日のこと、俺とまりなっちはいつも通り俺の家で仕事をしていた。
「ごめん、この原稿のベタお願いしていいかな?」
まりなっちは手話でOKのサインを出し、原稿を俺から受け取る。その時だった――――
『夢の中であの人と踊ってるの♪ 夢の中で一緒に笑ってるの♪ 夢の世界が本当だとずっと思ってたけど……でもこれは本物の世界じゃない~』
俺の携帯がジャケットの中で鳴り響く。
だがこの曲の着信相手が一瞬誰だか忘れてしまっていた。しかし携帯を手に取るまでに思い出す。
森川さんからだ……。
その瞬間森川さんとの約束が一気に脳内によみがえってくる。
『英治君が売れっ子漫画家になったら付き合いましょう』
汗が一気に噴き出す。俺はこの電話に出るべきかどうか躊躇する。もしこの電話に出たら俺はなんて答えれば……するとまりなっちが俺の不審な行動で携帯が鳴っていることに気づき、手話で俺に「取らないの?」と聞いてきた。当たり前だ。携帯が鳴ってるのに出ないなんで不自然だからな。俺はなんとか平静を装いつつ、ジャケットから携帯を取り出す。携帯の画面を見てみるとやはり森川さんからだった。
俺は手に汗握りながら通話ボタンをゆっくりと押した。俺は堂々としていればいいもののの、男の本能ともいうべきか口元を見られないようにまりなっちに背を向けて電話の向こう相手に話しかける。
「も、もしもし……」
『も、もしもし……え、英治君?』
冬だというのにシャツはべちょべちょに濡れていて、額には大粒の汗が流れていた。
「はい」
ヤベー、声が上ずった!
『ご、ごめんね、急に電話して……今大丈夫かな?』
「は、はい」
俺はまりなっちが今どんな表情をしているのか気になるも怖くて後ろを振り向ける状態ではなかった。別に何も知らない本人はベタを塗っているだけだろうけど……。
『あっ、まずは最初にモンバス、アニメ化おめでとうございます!』
「あ、ありがとうございます」
俺は思わず電話越しの森川さんに向かって頭を下げた。
『すごいよねー。もうすっかり売れっ子漫画家さんだね、英治君』
「い、いえ……」
森川さんにそんなことを言われ思わず照れてしまう俺。
なーに照れてんだよ? 俺はバカか!
『あ、あのさ、明日時間空いてる? あっ、忙しんなら無理しなくてもいいよ』
明日か……今日で仕事終わらせれば明日の午後からは休みが取れる……。
そして俺は――――
「い、いいですよ。午後からなら空いてます」
『ほんと? 無理とかしてないよね?』
「もう原稿は仕上げ段階に入ってるので今日中に終われるはずですから」
『良かった~! じゃぁ……も、もしよかったら夜一緒に食事でもしながら話さない?』
「はい」
『じゃ、じゃぁ、詳細はメールで伝えるね! ありがとう、楽しみにしてるからね!』
「はい、こ、こちらこそありがとうございます」
『じゃぁ、また明日!』
「はい、明日……」
ツー ツー ツー ツー
約束してしまった……。しかも一緒に夕食を食べることになってしまったし……。森川さん、きっとあの時の約束のことで俺と会うんだよね。はぁ、なんて俺はバカ野郎なんだ……。まりなっちにはなんて言えばいい?
そんな不安な気持ちになりながら俺はゆっくりと後ろを振り返る。案の定まりなっちは真剣にベタ入れをしていた。
「はぁ……」
俺は思わず深いため息をついてしまう。するとまりなっちはそれに気づき、「どうしたの?」と心配な面持ちで聞いてきた。
「いや、なんでもない」
俺はまりなっちに本当のことが言えずはははっと空笑いまでしてしまう始末。なんて情けねー野郎なんだ? 俺ってやつは……。
でも森川さんに会ったときにちゃんとまりなっちと付き合ってることを言えばいいよな。別に会ったからってやましいことするわけじゃないし……そんな気落ちすることないよな。
そう自分に言い聞かせながら俺は水道水を飲んで精神を落ち着かせた。まりなっちの顔を再び見てみる。彼女は今もなお真剣に原稿と向き合っていた。俺も余計なこと考えている場合じゃない。早く仕事終わらせないと……って別に森川さんに会いたくて言ってるわけじゃないぜ。ほんと、ほんとだってばよ!
■■■
「ありがとう。これで全部終わったよ。あとは明日、林さんにこの原稿渡すだけだから」
するとまりなっちはホッとした表情をし、それから微笑を浮かべた。するともじもじしながら彼女は手話で俺にこう尋ねてきた。
『もしよかったら明日、デートしませんか?』
「?!」
言葉が出ない。な、何でこんなタイミングでそんなこと言うんだよ……。なんて答えればいいんだ……? 明日は午後から森川さんと約束がある。それを彼女に伝えるべきか……?
「じ、実は俺、明日出版社の人と一緒に飲む約束してるんだ。ごめん、だから、その……今度の休み、デートしないか?」
バカかバカかバカかバカかーーーーーーーーー?! 俺はほんとクソ野郎だなーーーーーーーー!! なーにが出版社の人と飲む約束だって? 嘘つきやがって! 森川さんと食事するんだろう? 何で本当のことをまりなっちに言わない? 本当のこと言えばそれでいいじゃん。森川さんには謝ってちゃんとお付き合いしてる人がいるって言えばいいだけだし! 嘘言っちまったらこの先も森川さんのことでずっとまりなっちに嘘を突き通さなくちゃいけないじゃんかよーー!!
つい心の中で頭を抱え込んでしまう俺。そんなことは露知らず、まりなっちは俺に笑顔でこくりと頷いた。そんなまりなっちの天使のような笑顔を見て俺は罪悪感に苛まれる。
こんな俺が情けなすぎるよ……ホント誰か俺を殴ってくれ……。
続く
こんにちは、はしたかミルヒです!
第九話を読んでくださりどうもありがとうございます!
英治、これから一体どうするつもりなんでしょうか? ちゃんと森川さんにまりなっちと付き合っていること、言えるのでしょうか?
次回もお楽しみに♪
ミルヒ




