第二話
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土曜日、午後二時半。
もう九月下旬だというのに東京の日中は暑い。当然英治のTシャツは汗でぐっちょりと濡れていた。英治はその体を冷やすかのようにスターバッグに入って行く。
扉を開けると冷房の効いた涼しい空間と共にジャズ調のシックなBGMが店内に心地よく流れていた。
(あぁ、マジ天国。超涼しい~!)
ちらりと客席を見てみると、もうすでに亜弥が窓側の席に座っていた。
(やー、喉乾いた。でもカネねーし、亜弥にでも借りてくっか)
そう思い英治はフゥフゥ言いながら亜弥のもとへと向かう。英治のドスンドスンと地面に響くような足音に亜弥が気づき、英治の顔を見るや否や睨んだ。そんな亜弥の顔を見て英治はビクリとする。
「亜弥、いきなりなんだよ? 鬼みたいな顔して」
「遅い!! あの電話から何時間たってると思ってるのよ!」
「何時間もたってねーよ。それより亜弥、カネ貸して。なんか冷たいもん飲みてーからさ」
そんな英治の言葉に亜弥は信じられないといった表情を浮かべる。
「はー? 飲み物ぐらい自分で買いなさいよ!」
「俺マジ今、カネねーんだよ。頼むよ。なっ?」
「知るか! お金がないんなら、水でも飲みな!」
「おいおいおい、あんたはスケ番か! スタバに行ってコーヒー飲まずに水飲むなんて拷問だろ~。ここじゃなくてもよくね? いっそ公園でもいいだろ?」
そんな英治にお構いなしに亜弥はズズズッとキャラメルフラペチーノをストローですする。
「って言ってるそばから涼しげな顔でドリンク飲むなーーー!」
そんな亜弥は口からストローを離すとグイッともう一度英治を睨み付けこう言葉を放った。
「ドリンク、買うなら買う! 買わないんなら早くここに座れ!!」
亜弥の鬼のような形相とその迫力ある声に饒舌な英治もさすがに黙り込む。
「はい、水もらってきまーす……」
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「今日、何であんたをここに呼んだのかわかる?」
そう言い亜弥は再びドリンクをズズズッとすする。英治は水をごくりと飲み、その答えを述べた。
「えぇと……ドリンク飲んでるところを俺に見せびらかすため」
「ちがーーーう!!」
「じゃぁ、スタバでコーヒーも頼まずに水をもらい、ひもじい思いをしながらその水をチビチビ飲む俺を見て笑ってストレス発散するため」
「もういい……こんなバカ、いちいち付き合ってらんないわ……」
亜弥は俯き額に手を当てながら思い切りため息をついた。
「もう私の口から言うわ」
「最初からそうしてくれよ~。まどろっこしいなぁ。『時は金なり』って諺知ってるか? 英語で言うと『タイムイズマネー』だよ。時間は大切に使おうな」
その時、亜弥の頭のどこかの細い血管がぷつりと切れた。そして小刻みに体を震わせながら言葉を返す。
「今は理性で我慢できてるけど突然そのパンパンマンみたいなあんたの顔にパンチ入れるかもしれないから何が起きても文句言わないでね……」
(ヤバッ、マジで怒ってる……しっかし息継ぎなしであの文章を滑舌よく言うとはさすがアナウンサーだな)
萎縮しながらも亜弥のプロフェッショナルな姿を目の当たりにした英治であった。しかしこのままでは確実に亜弥に殴られると思い、一応謝罪する英治。
「はい、すいませんでした……」
「本題に入るわね」
「はいどうぞ、ご主人様」
「……バカにしてる?」
(おっと、ヤバい! ご主人様の右手がグーになってる!)
「いえ、どうぞ……」
「いい加減、今月までに十万返してくれる?」
亜弥の冷酷に放たれたその言葉に英治はビクリと体を動かす。
「こ、今月までって、もうすぐじゃんか! そんなの無理だって~! こうなったら俺、体売るしかないよ?」
「何意味の分かんないこと言ってんの? あんたの脂身いっぱいの肉なんて誰も食いたくなんかないわよ! っていうか、あんた私にいくら借金してると思ってるのよ? 十万どころの騒ぎじゃないのよ!」
「あぁ、俺肉にされちゃうんだ。そっちなんだ……違う意味の方だったんだけど……えぇーと、カネの話だったよね……ハハハッ。俺、十分間しか記憶持たないからさ、言われたことタトゥーで刻んでおかないとな~」
「マジ死ねや……」
そう言うと亜弥は再びこぶしを握り、その握りこぶしに息をハーっと吹きかける。
(うわ、昭和のにおいプンプン! 俺と一個しか歳違わないのにこの差は何だ……?)
「ミサイル発射まで、ごー、よん、さん……」
「すいません、すいません!」
危険を察知した英治は亜弥にぺこぺこと頭を下げた。
「う゛う゛ん、五十万よ! 五十万!!」
「ご、五十万も! 俺そんなに亜弥から借りてたっけ? ハハハッ」
(ごまかしとけー、ごまかしとけー)
そんなことを英治が思っていると衝撃の一撃が亜弥から放たれた。
「ハハハじゃないでしょ! このデブ!!」
(この女、大衆の前でこんなこといいやがって~! デブなめんなよ……なんたって今の俺は汗臭い! 民よ、この匂いが嫌いなら今すぐエイトフォーンを持って来い!)
「デブってお前もそのうち俺みたいな体型になるんだって。なんたって遺伝子がそうさせるからな~」
「私はあんたみたいに一日中ヒマして、食っちゃ寝、食っちゃ寝してないから大丈夫よ!」
「あー、言っちゃったよ……その言い方、俺様をひどーく傷つけたからね。俺は人生をかけて漫画描いてるんだよ。こんな俺でも忙しいの~! あ、忘れてたけど今日四時からバイトもあるんだよ。なっ、忙しいだろ?」
そう自慢げに言いながら英治は残り少ない水をワインを飲むときのようにくるくると回す。
「あっそ! 忙しいのは分かったから、じゃぁなんでそんなにお金に苦労してんのよ? 人生掛けて漫画描いてる割にはまだ結果でてないじゃない」
(ウッ……ボディブロー来た……ってか忙しい理由、あれでいいんだ……)
「いやまぁ、まだデビューして二年しかたってないから、これからだよ。これから有名になるんだよ。ゆっくり焦らずの精神で進むんだ……うん、俺今いいこと言った!」
それを聞いた亜弥は何かを思い立ったようで勢いよくテーブルを両手でバンッと叩いた。
(おっ、俺の言った言葉に感動したか?! おぉ、これでまた一人、民を救った……俺ってば、やっぱ王に向いてんな!)
英治が上を見上げ、笑みを浮かべるのもつかの間、亜弥が英治に対し衝撃の言葉を言い放つ。
「一年以内に漫画で稼げないようだったら漫画家辞めて、父さんの言う通りに堅実な職に就いて!」
「え?!」
その言葉に一瞬体が固まる英治。
「ちょ、ちょっと待てって! さっきも言ったけど俺は漫画に命かけてんだよー。 漫画家以外の職なんてこれぽっちも考えたことないんだよ~!」
「そう。じゃぁ、私に今すぐ五十万返して!」
そう言うと亜弥は手を前に出す。
「お、おい今月中に十万ってさっき言っただろう? お前はヤミ金か!」
「気が変わったの! それにそのお金は私の物よ! さぁ、どっち? 今すぐ五十万を私に返すか、それとも漫画家辞めるのか? 決めなさい、英治!!」
「うぅ……でも五十万、今手元にないし……」
「サラ金でもなんでもいいから借りて来れば、返せるでしょ!」
その言葉を聞いて萎縮してしまうこの男。
「やっぱりお前はヤミ金の職員だな……うぅ、胸が苦しいぃ……民よ、わしは命がもう長くはない……だから最後にせめて甘えさせてくれ……ウッ!」
「あんた、その歳で厨二病……? いいから早く決めなさい!」
「じゃ、じゃぁ……」
その時英治は誰かが唾をごくりと飲む音が聞こえた。
(誰だか知らんが俺たちの話に耳を傾けているやつがいるな……コノォ~!)
「英治!」
亜弥はその答えを催促するかのように英治の名前を呼ぶ。
「じゃぁ……五十万はまたあとで……」
亜弥は英治のその言葉を聞いた途端、両手を胸元で合わせ、目を輝かせた。
「ということは、堅実な職に就いてくれるのね! じゃぁ、返済は就職して給料をもらってからでいいわよ!」
「いや、堅実な職にも就かん……」
「は?」
亜弥はその一文字で英治に説明を要求する。
「だから、堅実な職にも就かないし、五十万も今すぐ返さん」
「どういう意味よ? 全く理解できないんだけど……」
「亜弥、お前言っただろ? 一年以内に漫画で稼げないようだったら~って。じゃぁ、一年以内に人気漫画家になって稼いでやるよ! もちろんその時にきっちり五十万も返すぜ! プラス毛皮でも買ってやろうか? カァッ~カッカッカッ」
そう豪語しながら殿様のような笑い声をあげる英治に訝しげな顔で見つめる亜弥。
「それ、本気で言ってるの?」
「本気も何も現実になるわけだし。今までは、あんまり本気だしてなかったんだよ~。もうすぐだって!」
その言葉を聞いて深くため息をつき呆れた顔つきで亜弥は英治をたしなめる。
「あのね~、あんたが一番よく分かってるとは思うけど、漫画家だけでご飯が食べられる人はごくわずかな才能がある人だけなのよ。本気出すも何もあんたが本気出したところで漫画でご飯なんて食べれないわよ。あのね、もうこの際言っちゃうけど、お父さんもお母さんもあんたのこと心配してるんだから。せっかく有名な大学卒業したのに、就職しないで漫画家やって、それで食べていけるのかしら? って……両親に心配かけたくないんなら、いい加減就職しなさいよ。お父さんのコネを利用すればすぐいい会社に就職できると思うしさ。それでお金稼いで私にした借金を返すっと! 漫画は趣味程度にしなさいな。コミケとかで自分の漫画売ればそれで十分でしょ? ほら、一石二鳥じゃない!」
亜弥の長い説教を聞き、うなだれるように下を向く英治。
「英治、これでわかったわね? 無理するんじゃないって。あんたが今できることをやればいいだけよ」
「わかったよ……」
「そう。じゃぁ、契約成――」
亜弥が『契約成立』と言おうとしたところで英治はその言葉を遮った。
「絶対に人気漫画家になってやるからさ! 契約は一年だろ? 心配すんなって! なんたって俺、才能あるし! じゃぁこの契約成立な!」
「え……?」
英治の言ったことにまだ理解できない亜弥。思わず口をポカンと開けてしまう。そんな英治は、何食わぬ顔で席を立つ。
「ちょ、ちょっと、私の言ったこと聞いてなかったの?!」
「聞いてたよ。俺の仕事にそこまで反対するやつがいて逆に燃えるっつーの! じゃぁ俺、バイトあるから帰るわ」
「ちょ、ちょっと、待ちなさいって! まだ話は終わってないでしょ! 私、お父さんに言われたのよ! 英治を説得するようにって!」
「親父に言っといて。人気漫画家になったら親父の話聞いてやるって。じゃぁな!」
英治は亜弥の叫びを背中で聞き、スタバを後にした。
「英治! このデブ!!」
続く
こんにちは、はしたかミルヒです!
まず最初に明けましておめでとうございます!! 昨年は読者の皆様には大変にお世話になりました! たくさんの嬉しいお言葉をいただき充実した一年になりました!今年もドリームショップを引き続き書いていきたいと思いますのでこれからもお付き合いのほどよろしくお願いいたしますm(__)m
次回は英治の想い人、森川さんが登場します!(茜も出てきますよ!)
お楽しみに♪
ミルヒ




