第七話
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私たちが行った焼肉店から徒歩十五分ほどのところにビジネスホテルがある。今の時刻は午後九時半。私たちはあのあとすぐに会計を済ませ、店を出てから直行でこのホテルまで来た。その間私たちは互いに話すこともなく、無言のまま十五分間ここまで歩いてきた。
「このホテル最近できたらしいぞ」
ホテルを見上げながらようやっとここで金子が口を開く。
「そ、そう……」
その言葉に対しぎこちない返答をする私。
「入ろうか? 部屋空いてるといいな」
「えぇ……」
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平日ということもあってか部屋数が少ないダブルルームでも空室があった。金子は受付の女性から説明を聞いた後、私に声をかける。
「朝食食べていくよな?」
「えぇ……」
焼肉店を出てから、ずっと相槌程度の言葉しか発していない私。それにずっと俯いているので正直首も痛い。じゃぁ顔を上げればいいじゃないか? って思うかもしれないがとても前を見る気にはなれないのだ。
金子は先に会計を済ませ、それからカード型ルームキーを受付の女性から受け取る。
「エレベーター、右の角にあるって。行こうか」
「えぇ……」
エレベーターに乗り、十二のボタンを押す。十二階はここのホテルの最上階だ。エレベーターを降り、エレベーターから一番遠い奥の部屋に進む。心臓の鼓動が激しく胸を打つ。強く打ち過ぎて胸が痛くなるほどだ。もう後戻りはできない……。そう思っていてもなかなか踏ん切りがつかない。口でははっきりと言ったくせにいざホテルに着くと自分の言ったことを後悔してしまう。なんて馬鹿なことを言ってしまったんだろうと……。
私たちが泊まる部屋のドアの前まで着く。金子がカード型ルームキーを取っ手の下にある差込口にカシャッと差し込むとドアが開いた。そのドアを金子が開ける。当然部屋の中はまだ灯りをつけていないので真っ暗だ。その暗さが私の不安を扇ぎ立てる。
金子がそのルームキーを部屋の入り口の横にある差し込み口に差し込むと灯りがついた。その灯りがついたことで部屋の内部が私の目に入ってくる。しかしなんの変哲もない、どこのビジネスホテルでも見かける普通のダブルルームだ。部屋のサイズも大きくもなくかといって小さすぎず、一泊するならそれで十分の大きさだといえよう。
金子は先に進み、疲れているのか「あぁ~」と言いながら倒れる様にベッドに横になった。私もゆっくりと部屋の中に入る。軽く震えた足を無理やり前に進ませ窓際に設置されているデスクの上に自身のショルダーバッグを置いた。すると金子が口を開く。
「どうする? 俺が先にシャワー浴びるか? それとも茜が先に浴びるか?」
その言葉が私に現実を突きつける。軽く放心状態の私。しかし時は待ってはくれない。
「茜? 大丈夫か?」
「あっ、え、えぇ、大丈夫よ……」
心とは裏腹なことを言う自分自身に嫌悪感を感じずにはいられない。
「んじゃ、俺先に浴びてもいいか?」
「えぇ……」
私の返事を聞いた後、金子は体を起こし、バスルームへと入って行った。
どうしよう……?
私はつい頭を抱えてしまう。
なんてバカなの? 私はこうなんでいつもいつも……そう思いながらちらりとベッドに内蔵されているデジタル時計を見ると午後十時を回っていた。
今から逃げようか? ここから逃げた方が……するとバスルームからシャワーの音が聞こえてきた。静けさの中で金子の身体とバスタブに当たるシャワーの音だけが部屋中に響き渡る。
やっぱりここで逃げたらこいつに疑われてしまうよね……。何か情報を得るためにノボルと結婚して、金子に近づき不倫……。絶対こういう風に今思われてる……。一回だけなら……疑われずにすむなら……金子と愛し合うべき? この現実はきっとノボルを裏切った神様からの罰なのでしょうね……。
ガチャ
バスルームの扉が開かれる。
「あぁ、気持ちよかった。いいぞ、入って」
バスタオルを腰に巻き、顔をほんのりと赤らめながら金子は出てきた。
「え、えぇ……」
私はまだ心の準備がつかないままバスルームへと向かう。
バスルームに入ると金子が入った後の湯気がまだ浴室にこもっていて鏡が曇っていた。浮かない顔をしながらゆっくりと服と下着を一枚ずつ脱ぎ捨て、私は生まれた状態の姿になった。先ほどの湯気が自分の肌にまとわりついて体がしっとりとなる。
あぁ……私がシャワーを浴びてここから出れば、私は金子と愛し合わなければいけないのね……。これはすべて自分のせいでこうなった。わかってるはずなのに、今は誰かのせいにしたい気分。でも誰のせいでもない。答えは分かってる。自分が行動を起こした結果、こうなった。身から出た錆だって……。
バスタブに入り、立った状態でシャワーのバルブをひねる。いつもはシャワーを浴びるのは気持ちいいはずなのに今日はそのシャワーの水圧がやけに痛い。無数の針が肌を突き刺す感じ。体がバラバラになりそう。もういっそこのままバラバラになればいいのに……。
このままシャワーを浴びること十分ぐらいだろうか、いい加減体が火照ってのぼせてしまいそうだったのでそこでシャワーを止めた。すると今までシャワーの音で聞こえなかったのだが、金子の声が耳に入ってくる。きっと電話で誰かと話をしているのだろう。ノボルだろうか? それとも……そんなことを思いながら棚の上にあるバスタオルを手に取る。正直、これが夢ならどんなにいいか? そんな叶いもしない希望を胸に抱いてしまう私。バスタオルでぬれた肌の水分を拭き取っていたのだが、ずっと拭き続けていたので肌が痛くなってきた。鏡で見ると肌が赤くなっている。ここから出るのが怖くてこんなバカなことをしてしまったのだ。
そこからさらに十分が経過する。せっかくシャワーで汗を流したはずなのに、再び汗がジワリと出てしまっている。その時――――
「茜ー、まだか?」
金子の声が聞こえてきた。その問いに答えようとするが上手く声が出てこない。再び金子が声を出す。今度はさっきよりも大きな声で。
「茜??」
声が出ないので私は仕方なしに意を決してバスルームから出ることにした。しかしドアノブを握る手がプルプルと震えている。
どうしよう? 声が出ない上にドアも開けることができない……。
すると金子の足音がこちらに近づいてきた。
「茜?? 大丈夫か? 具合でも悪いのか?」
「だ、大丈夫」
ようやっと声を振り絞り言葉を発する。
「そっか。のぼせたら困るから早く出て水でも飲んだ方がいいぞ」
その言葉を言った後、金子はベッドにでも戻ったのであろう、パタパタと足音がここから向こう側に向かって小さくなっていった。
一応は私の体を心配してくれたのね……。そう思い今度こそはと震えた手に目一杯の力を加えドアノブをひねる。当たり前だがあっけなく扉は開いた。バスタオルを巻き付けた体は部屋のひんやりとした空気に当たり、ほとぼりが冷めていくのがわかる。
「ようやっと浴びてきたか~。女っていうのはほんとなんでもかんでも長いよな? ハハハッ」
「ハハハッ……」
金子の言葉に私は顔をひきつらせながら苦笑いを浮かべる。今の自分には笑える余裕など全く残っていない。
「ほら、水、冷蔵庫に入れておいたから飲めよ」
「え、えぇ……」
部屋にはホテルからのサービスで五百ミリリットルのミネラルウォーターが二本デスクの上に置いてあったのだが金子が気を利かせて冷蔵庫に入れておいてくれたらしい。私はデスクの下にある冷蔵庫を開けペットボトルを一本取り出し、その場で立ったままそれをグビグビっと喉を鳴らしながら飲んだ。
「生き返ったか?」
金子は笑いながらそう尋ねる。
「えぇ……」
「じゃぁ、そろそろ……」
「え?」
そう言うと金子はスッとベッドから立ち上がり私に近づく。
「ヤメテ! 心の準備がまだできてないの!」とは言えるはずもなく、全身が硬直状態に陥った。部屋の照明は薄暗い。その薄暗さはムードを出すにはもってこいなのかもしれないが私の今の状況でこの照明の薄暗さは本当に辛い。何かが襲ってきそうな予感を感じさせてしまう。
「そんな怖がるなって」
そう言いながら私の背後に立つ金子。そして私の両腕に手を乗せてきた。その瞬間全身に鳥肌が立つ。寒いわけじゃないのに……今すぐにでもその手を退かしたい! 今そんな気分だ。
もう後戻りはできない。ここで我慢してコイツに私の体を捧げるしかもう方法はない……そう思うと涙が出てくる。神様、ごめんなさい。これはわたしへの罰ですよね?
その瞬間金子は私の首筋に――――
「チュ」
この感触は……! 今、私の首筋に何かが当たった――――
そう思った瞬間だった。私は何を思ったのであろう、振り返りながらデスクの上に置いてあったガラスの灰皿を手に取り無意識に――――
ドンッ!
鈍い音がした。何が起こったのか放心状態の私には状況を把握するのに時間がかかった。でも確かにもう誰も襲ってこないのは事実だ。だって――――
それは床に倒れた金子が証明しているのだから……。
続く
こんにちは、はしたかミルヒです!
第七話を読んでくださりありがとうございます!
このお話は『真珠夫人』でも『牡丹と薔薇』でもありません。ドリームショップでございます(/・ω・)/
次回、ホテルの部屋にとある人物が尋ねてきます。それはいったい誰なのか?茜はこの状況をどうするつもりなのか?
お楽しみに♪
※明日は朝7時に投稿します!
ミルヒ




