第七話
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二日後西園寺ゆかりは現場に戻ってきた。しかしレイチェルを前にして監督と何やらもめているようだ。
「あっ、私は急きょ、声がかかってゆかりんさんの代役で姫子をやることになったんですけどぉ……ゆかりさんは姫子以外の役をやるんですか?」
「どういうことなんですか?? 姫子の代役って何なんですか??」
彼女はまだ状況が読み込めないらしい。
「あ、いやぁね……実はねぇ、く、くるみちゃんがね……」
監督は明後日の方向を見ながら言葉を濁している。
「くるみちゃんが何か言ってたんですか? もしかして私の演技が悪いとか?」
「いや、ゆかりんの演技は素晴らしいよ。しかしねぇ……く、くるみちゃんがあんなことを言ってきたものだから仕方ないというかなんというか……ハハハッ……」
「監督! ちゃんと理由を教えてください! そうじゃないと私、納得できません!」
「まぁ、この業界にはいろいろあるんだよ。トップの人には逆らえないというかなんというか……き、君もわかっているだろう? くるみちゃんは日本一のアイドルだって。俺は正直言ってゆかりんの姫子の演技は素晴らしいと思うよ。でもでもね、あの人に言われたら言う通りにするしかないんだよ……彼女の事務所は日本で一番大きい芸能事務所だし……わかってくれるだろう? 大人の世界には理屈では通せない複雑なことが多々あるんだよ」
彼女はその言葉を聞いて何とも言えない悔しそうな表情を浮かべている。
「監督、姫子の役は私でいいんですよね? 私、そのために今日来たんですから。やっぱりゆかりんさんで! なんて言わないですよね?」
彼女の横でレイチェルが眉間にしわを寄せながら監督に尋ねていた。
「あぁ、もう決まったことだからね。あ、準備しておいてね」
「はぁ、安心した。わかりました、じゃぁ準備してきまーす!」
そういうとレイチェルは、早足であの場を去り、私のところへやってきた。
「くるみ先輩! おはようございます!」
「おはよう」
「もうびっくりしちゃったじゃないですかぁ!」
「何が?」
「だってゆかりんさんが来てたから、私の姫子役の話はおじゃんになっちゃったのかなぁって……ホント焦ったんですからね!」
「ごめんごめん。でも監督がいけないのよ。彼女が復帰する前にそのことを伝えれば良かったのに。まぁでもいいじゃない。もう姫子はあなたのものよ」
「そうですね! もうこの役は私のもの! 誰にも渡すもんですか! ハハハッ!」
「じゃぁ、監督が困っているようだから、助けに行くわね」
「決してゆかりんさんとケンカしちゃだめですよ~」
レイチェルはおどけながら私に注意を促す。フン、大丈夫よ。なぜって……
その前に潰してあげるから!
私はカツカツと音を立てながら西園寺ゆかりと監督のもとへ近づく。そしてさも今気づいたかのように彼女に話しかけた。
「あれ? ゆかりちゃんじゃない? 現場にきてどうしたの?」
「?! く、くるみちゃん?」
「あれ? 監督ちゃんと言ってくれました? 姫子の役はレイチェルになったって」
「あぁ、言ったよ……」
監督は彼女を気遣ってか、ごく小さな声で答える。
「そう。ゆかりちゃん、今回は残念だったわね。また機会があれば一緒にお仕事しましょうね! ウフフッ……あらごめんなさい! じゃぁ、私は撮影があるから。サヨウナラ!」
必死におなかからこみあげてくる笑いを堪えようとしたのだが耐え切れずについ声を出してしまった私。でもちゃんと本人に謝ったからいいわよね? フフフフッ。そして私は踵を返しセットに入ろうとしたところ、聞いたことのある声がスタジオの扉から聞こえてきた……
バタン!
「監督どういうことですか? 説明してください!」
今現場入りした直人が一目散に監督の所へ向かい険しい表情で監督に詰め寄った。
「お、遅かったじゃないか~! 撮影もう少しで始まるよ。早く準備しておいで」
「話を逸らさないでください! ゆかりんがなぜ姫子役を下されたのか知りたいんです! 納得する説明を受けるまで俺は、撮影には入りませんから!」
直人が顔を真っ赤にさせ怒涛の勢いで監督に迫る。
「こ、困ったなぁ、青木君まで……いやだから、それはだね~、話せば長くなるけども、お、大人の事情ってものがあるんだよ……」
監督はまたもや苦笑いをし誰かに助け舟を求めるようにきょろきょろしながら答えた。
「答えになってませんよ監督! 大人の事情って何なんですか?」
「あ、その、あのね……あ~、どうしようかな……困っちゃったなぁ~あはははっ……」
そして監督と私は目が合った。お願いだ。助けてくれ! と言わんばかりに私に目で訴えてくる。しょうがないわね……
「あ! 直人やっと来た! 遅いわよ! みんなあんたを待ってたんだからね!」
私は小走りで直人のところまで行き笑顔で軽く叱る。
「あ~、くるみちゃん、ごめんね~! 撮影に入りたいところなんだけどさ、青木君にちょっと責められちゃって~」
監督はそう言いながら私の側に近寄ってきた。そして小声で「助かったよ」という言葉を私に告げる。私もそんな監督に調子を合わせ直人にこう言う。
「直人、一体どうしたの? 早く撮影しようよ!」
しかし直人は怪訝な顔をし私にも詰め寄る。
「くるみもそれでいいのかよ? ゆかりんが姫子役を下されたことについて何も思わないのか?」
「え? いや……まぁ……」
言葉が上手く見つからない。どう言おうか目をキョロキョロさせながら迷っていたとき、西園寺ゆかりが言葉を発する。
「あ、青木くん、ありがとう。でももう大丈夫。もう私は下されたことが決まったことだし、潔く帰る。本当に私の心配してくれてありがとう」
「ゆかりん! それでいいの?」
「うん……また次の仕事を頑張るよ。あとそれと、青木くんのワタルの演技すっごく好きだよ。だから辞めないでね」
すると彼女は直人に満面の笑みを投げかけた。直人は悲しげな表情を見せぼそりとつぶやく。
「ゆかりん……」
直人……どうして直人はそこまで西園寺ゆかりのことを好きなの? ファンとして当たり前のこと? それとももっと深い……深いところで彼女を愛してしまったの? 直人! ねぇ! 直人! 振り向いてよ! 私のことを好きになってよ!
◆◆◆
こうして姫子役は夏目優香からゆかりんへ、そしてゆかりんからレイチェルへと変わった。もちろんゆかりんが務めた姫子役のシーンは撮り直し。あの教室でのシーンだ。あの時のワタルはまだ萌絵を女性として意識はしていなかった。二次元に夢中なワタルだった。そのときのワタルに演技とはいえ逆戻りするのは気が引ける。それは俺自身の気持ちも前に戻るような気がするから……俺とワタルは似ている。二次元女性に夢中で、三次元の女性になんてまったく興味がなかった。でも俺もワタルも次第に三次元の女性に惹かれていく。そしてワタルの方は萌絵に告白までした。俺より成長していたワタルを以前のワタルに戻すことは……俺の中ではありえない!
「なーおーと! いつまでもそんな顔しないでよ!」
くるみが俺に笑顔で声をかけてくる。
「くるみ、ごめん。俺やっぱりこの役降りるよ……」
「え?」
案の定くるみは口を開け目を丸く見開く。
「ど、どういうことよ?」
「もう一度以前のワタルを演じることは俺には不可能だから」
「レイチェルの姫子とは演技したくないってこと?」
俺は間髪入れずに言葉を述べる。
「そういうことじゃないって。俺は成長していくワタルを演じたい。ただそれだけだから……」
「ちょっと! 私は許さないわよ! ワタル役を演じられるのはあんただけなのよ! 直人しかできない役なんだから!」
「ありがとう。でももう決めたことだから。じゃぁ俺、監督に言ってくるよ」
そして俺はくるみに背を向け監督のところへと向かう。しかし背中越しに聞こえてくるくるみの声。
「待ってよ! お願いだから行かないで! 直人! ……そんなに西園寺ゆかりのことが好き?」
俺は振り向き堂々と答える。
「好きだよ。大好きだ」
「そう……」
俺の言葉にくるみは大きくうなだれた。
「私がどんなことしようとも直人は彼女の方に行っちゃうのね……」
「あぁ、ごめん……でもくるみには感謝してる。本当だよ……だから行かせて」
「わかった……」
いくつもの涙がくるみの頬を伝った。でもなぜかくるみは笑っていた。嫌みのない優しさが伝わってくるような素敵な笑顔だった。ありがとうくるみ。俺を好きでいてくれて……
そして俺は……ワタル役を降板した。
つづく
こんにちは! はしたかミルヒです!
第七話を読んでくださりありがとうございます!
直人、ついにドラマを降板しちゃいました……次回の直人の行動が気になりますね。
お楽しみに♪
※土日は朝7時に投稿いたします。
ミルヒ




