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【第三章】 一



 器の姫君であるということは、極力秘密にしなければならない。

 外国から祖父に会いに来た孫娘という形を貫くため、いつもどおりに過ごせばいいと言われていた。しかし、一庶民として生きてきたディーナに、外国の宮殿で『いつもどおり』の生活ができるはずがない。

 第一、庭に出て散策しようにも、「器の姫君の存在は極力知られないほうが」と、神官が飛んでくる。宮殿の探検をしようとしても町におりようとしても飛んでくる。

 結局、部屋に閉じこもる以外なにもできなかった。

 どこにも行くあてがないから、祖父の部屋に行く。親族の部屋を訪れるのは、問題ないらしい。

 最初は、ジャファールの言葉もあって、器だったというイマードの大叔母の話を聞くためにその部屋を訪れたのだが、祖父の気難しい顔が怖くて怖くて、話を聞きたいものの睨まれるのもイヤで、かなりの時間、祖父の部屋の前で懊悩していた。


『―――なにをしている。さっさと入れ』

 突然向こうから掛けられた声に、びくっとディーナの肩がはねた。

 扉の前でうろうろしている気配が伝わったのだろう、部屋から鋭い声が飛んできたのだ。

 恐るおそる入ってみる。部屋の造りは、ディーナに与えられた部屋とそう変わらない。

 目を転じると、窓際で長椅子にもたれ、外を眺めている祖父の姿があった。

『あの……ディーナです、けど……』

『判っておる。いちいち自己紹介はいらん』

 機嫌の悪そうな声だった。せっかくの勇気がしぼみそうになる。

『昨日の夜は、途中で退席してしまって、済みませんでした』

『―――で、どうなんだ』

『?』

『身体の具合は、どうなんだ。無理はしてないだろうな』

 吐き捨てた声だったが、気遣う響きが混じっていた。

(? もしかして……?)

 ジャファールが言っていたように、祖父は頭ごなしにディーナを嫌っているわけではない、のかもしれない。胸の内に、ほっこりとあたたかなものが燈る。

『はい。休ませてもらったので、もう大丈夫です』

『ならいい。お前は身体が細すぎる。もっとたくさん食べなさい。そんなだから多少のことですぐにひっくり返るんだ』

『はい。……おじいさま』

 イマードの肩が、ぴくりと震えた。ゆっくりと振り返る。

 おじいさまと思いきって呼んでみたけれど、早まっただろうか。胸に燈ったあたたかなものが、音をたててしぼんでいく。

『―――ディーナ』

 祖父の顔は、仏頂面ながらも、その眼差しには包み込むような熱いものが宿っていた。

『そんなところに突っ立ってたら話ができんではないか。もっとこっちに来なさい』

『……はい!』

 祖父は、感情表現が下手なだけで、そんなに怖いひとではない、のかもしれない。


 そんなこんなで、ディーナはその日からイマードの部屋に通っていたのだった。

 前回の器の姫君だったという大叔母の話も、覚えている限りしてくれた。大叔母はとても穏やかでなひとで、やんちゃだった自分をあたたかく見守ってくれていたのだと、懐かしそうに語ってくれた。彼女のしわしわの手と、どんな悪戯をしても笑ってくれたこと、いつだって味方になってくれたことなどを、思い出すたびに祖父は目を細めてディーナに話してくれた。

 八十歳で亡くなるまで、笑顔の絶えないひとだったという。

『生きて、わたしも帰ってこられるんでしょうか』

 一番の不安を尋ねると、

『ああ。大叔母のように、きっと長生きをする』

 そう、深い笑みを瞳の奥に湛え、答えてくれた。

 祖父は、こちらから訊けばなんやかんやと理由をつけながらも若い頃の母の話をしてくれた。ディーナも、現在の母や兄の様子――父のことは聞きたくなさそうだった――を話した。イマードは顔をいかめしく作りながらも、身を乗り出して母や兄の話を楽しそうに聞いていた。表だってディーナに甘い態度を取らないけれど、彼女を受け入れてくれている。

 そんな日々を過ごしていたのだけれど、さすがに何日もイマードの部屋に入り浸っていては、話題もなくなってくる。

 この日も、だから早くにイマードの部屋を辞したのだった。

(どうしようかなぁ。なにしてよう)

 まだ昼前だった。なにをしていようかというよりも、なにができるか、だった。少し離れたところで、神官がディーナの行動を見張っている。悪いことをしたわけでもないのに、着かず離れずで見張られるのは、気分が悪い。

「……」

 かといって、神官たちをまいてまで行きたいと思える場所など知らない。結局、考えをめぐらせても部屋にこもる選択肢しかないのだ。他の王族の女性たちは庭に出て涼んだり商人を呼んで気に入ったアクセサリーや服を買ったり、中庭の涼しい場所を見つけてそこでお喋りしながらレースを編んだりしている。

 自分だって同じようにバハーバドルの時間を過ごしてみたいのに。器の姫君だなんて窮屈なだけで、恨めしくなる。

 バハーバドルの女性はレースをよく編むらしい。それを聞いて暇つぶしになるかと挑戦してはみたのだが、手先がとにかく不器用なディーナは、レースの絡まり合った玉ができただけで、簡単だと言われたコースターすら完成できなかった。それが悔しくてもう一度もう一度とやってみたものの、どう頑張っても進歩しなくて、結局諦めてしまった。

 エル・ザンディでは、絵物語を読んだり、その絵物語の気に入った登場人物の格好を真似たり、友人たちとお喋りをしたりで日々は流れていた。

 その一日が、こんなにも長くて疲れるものだとは。

 溜息ばかりが出てしまう。

「ディーナ」

 息を吐ききったとき、後ろから声がかけられた。耳に優しい艶めいた声は、ジャファールのものだ。

「おじいさまのところに行ってたのか?」

 声に振り返ると、穏やかな表情を湛えたジャファールがいた。

「あ……、はい」

「どうした? 溜息をついていたようだったが」

 ジャファールをついじっと見上げてしまうディーナ。

「愚痴を言ってしまいそうです……」

「おじいさまになにか言われでもしたのか?」

「いえ、それはないんです。そうではなくて」

「おれでよければ聞くけど?」

「えと、でも、用事があるんじゃないですか?」

 どこかへ外出するのか、いつもの上衣に、端が金糸の刺繍で縁取りされている豪華な外衣を着ている。

「まだ時間に余裕があるからな。聞いてやれる」

 廊下の向こうを見ながらも、ジャファールは快くディーナに付き合ってくれた。

 このときとばかり、ディーナは宮殿での窮屈な時間をせつせつと訴えた―――というより、

「あっちに行ってはダメ、みんなに姿を見せてもダメ。友達呼ぶのもとんでもない。こっちの字なんて読めないから絵物語もよく判らないし、普段どおりの生活を送れって言われたって、じゃあなにすればいいの? なんにもできない!」

 本当に愚痴になってしまった。

 壁にもたれてそれを聞いていたジャファールは、考える様子でふむと頷く。

「少し、神官たちは気を揉みすぎかもしれないな。君はおれの従妹だ。エル・ザンディに住む従妹が祖父である前王を尋ねに来ることは特別なことでもなんでもない。おれから神官長に話を通しておこう」

 ぱっとディーナの顔が輝いた。

「ありがとうございますッ!」

 眩しい笑顔だと、ジャファールの頬がつい緩んでしまう。

 一週間ほど前、ディーナがやって来た翌日。ジャファールは祖父に呼び出され、注意を受けた。

 あのとき、部屋を訪れたジャファールを祖父は厳しい目つきで迎えたのだった。

『今朝、お前がディーナの部屋から出てきたのを見た』

 その冷え冷えとした響きは、耳の底深くにいまだにとり憑いている。

 器の姫君はグリュフォーンの花嫁でもある。純潔でなければならない。恋愛感情を抱くことも、女として見ることも冒瀆にあたる。相手は人間ではなくバハーバドルの現在と将来を支える守護神獣だ。誤魔化しなど効かないし、そんな不遜なことが許されるはずもない。

 下手をしたら、国が滅ぶ。

 ディーナの背負っているものの大きさを、ジャファールも理解はしている。

 けれど、ライラにあまりにも似ているせいだろう。彼女の存在が気にならないといえば嘘になる。あのとき気持ちが揺れたのは、確かに事実だ。

 ライラへの敬愛をディーナに重ね、その想いを独り歩きさせてはいけない。

 判っている。ちゃんと、判っている。

 目の前で自分の言葉にほっと胸を撫で下ろしている娘は、守護神獣の花嫁なのだ。

 ジャファールはつい緩んでしまった頬を引き締めた。

「あの。お時間を取らせてしまって、済みませんでした」

 ぺこりと頭を下げて部屋へと戻ろうとするディーナに、ジャファールはおやと気付いた。

「ディーナ」

「はい?」

「このあと、なにか予定でもあるか?」

 え、と、ディーナの動きが止まる。

 このひとは、ひとの話を聞いてたのだろうか。胡乱な眼にそれが現れていたのだろう。すぐに、

「なにもできることがないとは聞いたが、今日の予定がまったくないとは聞いてないよ」

 ジャファールの指摘が入る。

「あ、そ、そうですよね。済みません」

「なにも予定が入ってないのなら、これからラクダレースを観に行くことになっている。その帰りにキディスを作りに行こう」

「キディス? どうしてですか?」

 ジャファールは、ディーナの右上腕に視線を落としている。今日着ている上衣には袖の部分に切れ込みが入っていて、そこから母から預かったキディスが覗いているのだけれど。これが、なにかあるのだろうか。

「王家の姫がキディスをひとつしか身に着けていないというのは、問題だ。しかもライラさまから譲られたものだろう?」

「問題、なんですか」

 王族はもっときらきらとアクセサリーを身に着けなければだめなのだろうか。

「ですけど、わたし、王家の姫じゃないですし」

「ライラさまの娘なら、王家の姫も同然だ」

 母のことが絡むと、ジャファールには反論しづらい。

 言葉を呑むしかないディーナに、

「エル・ザンディの婚約者に遠慮をしているのか? 異性からなにかを貰ってはならぬと命令されているとか?」

「と、とととんでもないです! そんなことまさかありませんッ!」

〝異性〟という単語を口にしたジャファールの顔が一瞬、従兄のものではなく男のものに見えた。そんな自分の妄想に、恥ずかしくなる。

(従兄なのに皇太子さまなのに! アミナさまだっているのに!)

 ジャファールを好きになってと言ったアミナの声が、いきなり耳の奥によみがえる。彼はきっと好きになってくれるという懇願にも似た声も。

(ななななに考えてッ!)

 ひとり顔を赤らめるディーナの気も知らず、ジャファールは婉然と微笑んだ。彼はよく微笑む。それが見惚れてしまうほどに美しい笑みだと、本人は自覚しているのだろうか。

 こんなひとが婚約者なアミナが、少し羨ましい。

(―――あたしの婚約者って、どんなひとなんだろう)

 頭の片隅だったけれど、初めてそんなことを思った。

「では迎えを寄こすから、用意をしておいてくれ」

「え。あ、は、はい。わか判りました」

 ディーナの返事に小さく頷くと、ジャファールは廊下の向こうへと歩いていったのだった。

 彼は、なにもすることがないとぼやいた自分を、気遣ってくれたのだろうか。

 頭と気持ちを熱くかき乱されながらも、そんなことをディーナは思った。



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