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      二



 少年の恰好で国王に会うのははばかられると、ディーナはバハーバドルの衣装に着替えさせられた。

 胸元が緩く開いた薄いワンピースに、袖口の広いゆったりとした上着。この上着の袖の生地は透けるほどに薄くて、肌にくすぐったい。その上から、ヒマールというベールを頭から背中へと流し、額に垂らした銀の頭飾りでそれを固定する。

 胸元の開き具合が大きすぎる気はするが、エル・ザンディの服装とだいたい似ていた。

 案内されたのは、長い廊下を何度も曲がった先にある部屋だった。一面深紅の絨毯が敷かれていて、毛足の長い絨毯には、色の濃淡で幾何学模様が織り込まれている。

 部屋の中ほどに、ひとりの人物が腰を下ろしていた。強い眼差しを持った、大柄ではないのにどっしりとした存在感のある男性だ。

 ジャファールが男性の前で膝をつき、(こうべ)を垂らした。

「陛下。お時間を割いていただき、感謝いたします」

 国王カマールだった。

 ディーナもジャファールを見習い、慌てて頭を下げた。頭飾りがしゃらりと鳴る。ワンピースの胸元が開いてしまって慌てて手で押さえた。その動きにまた頭飾りが鳴ってしまい、気が気ではない。

「国の大事とは、その娘のことか?」

 突き放すような声。は、とひとつ頷きジャファールは顔を上げた。

「ライラさまの娘にございます」

「ライラの?」

 僅かに、国王の声の色が変わる。

「はい」

「確かか」

「ライラさまのキディスを腕にはめております」

「あれの腕を切り落として盗んだものやもしれぬぞ」

 物騒なことを言うと、ディーナの背筋が冷える。彼女は知る由もなかったが、ライラのキディスは天界の金属ゆえか、腕に吸いつき、どんな力でもっても外せない代物だった。娘に譲ろうとしたとき、すんなりキディスが外れたことに、ライラ本人こそが、実は驚いていた。

「ディーナ。顔を上げなさい」

 ジャファールが促す。

 容赦のない強い眼差しに射抜かれる中、ディーナは逃げ出したい思いを抑えながら、ゆっくりと顔を上げた。

「―――なんと」

 吐息まじりにカマールは口走る。

「ライラではないか」

「いいえ。ディーナ・アルカヴァーレです。この顔も、ライラさまの娘である証拠になりましょう」

「ふむ……」

「国の大事とお伝えしたのは、実は、ディーナの存在ではありません」

「? なんなのだ?」

 こくりと、ジャファールは唾を呑む。

「グリュフォーンが、伝言を彼女に」

 その硬い声は、掠れていた。

 カマールは目を瞠り、身を乗り出した。

「なッ、グリュフォーンが!?」

「そのようです。ディーナ。頭の中で聞いたという言葉をお伝えしなさい」

「え。あの……」

 穴のあくほど見つめてくるカマールに、迷いながらも、ディーナは勇気を出して口を開いた。

「その、確認したいんですけど。……あなたは、本当に、国王さまなんでしょうか」

 彼女の口からこぼれた信じられない言葉に、ジャファールはぎょっとした。自分にも本当に皇太子かと尋ねてきたディーナだったが、まさか父王にまで誰何するとは。

 王宮の偉容に圧倒されてか、どこかおどおどと腰が引けているかと思えば、度肝を抜くような発言をずばりとする。

 天然なのだろうか。どう扱えばいいのだ。

 ついていけず、ジャファールはめまいすら覚える。

 国王カマールは、思わぬ質問に虚をつかれていたが、すぐに声をあげて笑い出した。

「そんなこと聞かれたのは、初めてだ」

 カマールは、笑うと母ライラに似ている気がする。バハーバドルの国王は兄であると母は言っていたから、やはり彼は本当の国王なのかもしれない。

「リハールのことは知っているか?」

「ジャファールさまから教えていただきました。生まれたときからある皇太子の証だと」

「そうだ。前王から位が譲られるとき、リハールは五つに増える」

 指を開いて数字を表すカマールの額には、確かにジャファールの額と同じような石が五つ填めこまれていた。

 ひとの手で填めこんでいくのか、それとも自然に増えていくものなのかのニュアンスはディーナの語学力では読み取れなかったが、額の五つのリハールが、国王の証らしい。

 しかし、リハールの話なんて聞いたばかりのことだし、たまたま母に似ているだけでまったくの別人かもしれない。

 本当に、目の前の人物は国王なのだろうか。彼から醸し出される重厚な雰囲気に、本物なのかもとは思えるけれども。

〈大丈夫だ。カマールはバハーバドルの王だ。間違いない〉

 突然、頭の中に例の声が響いた。

「!」

「どうした」

「あ……、いえ」

〈ライラからの手紙とやらを渡すといい〉

 頭の中の声は、ライラの手紙のことを知っているのか。この声が原因で、バハーバドルにまではるばる来る羽目になったのだ。いつも同じセリフばかりだったが、ここに来て初めて違う言葉を聞いた。

 この声の主は、いったい誰なのだろう。

 母の手紙の存在を知っているということは、他のすべても知っているのかもしれない。

 ディーナは、自分の直感と頭の声に決断をした。

「―――母からの手紙を、国王さまにと、預かってきました」

 改めて姿勢を正しそう言うと、ディーナは懐奥深くに隠していた手紙を、カマールへと差し出した。

 それを読んだカマールの顔色は青ざめ、みるみるうちにこわばっていく。

「グリュフォーンの声が聞こえるとは、まことか」

 カマールは、手紙をジャファールへと渡し、彼にも読ませた。

「ぐゆほーん?」

 聞いたことのない単語だった。

「ディーナ。グリュフォーンだ」

「あ、す、済みません」

 横からそっと訂正された。グリュフォーン、グリュフォーンと口の中で繰り返す。

「頭の中で声が聞こえると、この手紙にはあるが」

「えと、グリュフォーン、という名前のひとが、あの声の持ち主なんですか?」

 そう返したディーナに、カマールはジャファールに怪訝な顔を向ける。

「彼女は、少年に扮して砂漠を越えてきたようです。その危険性を考えれば、なにも知らせなかったのは当然かもしれません」

「少年に? どうやってここまで?」

 バハーバドルとエル・ザンディの間には狭いが砂漠が横たわっている。狭いとはいっても、女が男のふりをする程度で越えられるほど、砂漠は容易なものではない。

「叔父の隊商に入れてもらいました。両親や兄は、バハーバドルに入国できないからと」

 ディーナの答えに、腑に落ちたようにカマールは軽く頷く。

「幻聴は、なんと?」

「〈ラシャブ・ヒルラール、ロストゥス。アルー・カウン、ダザ・ハディーラ。アレァートゥ。ディーナ・アルカヴァーレ。ダンティ・ベイ・キュッラ。ダンティ・ベイ・キュッラ、ディーナ〉」

「―――なるほど」

 噛み締めるように聞いていたカマール。聞き終えるとひとつ大きな息をついたが、国の主だからだろうか、さすがに顔色を変えることはなかった。

「ライラからはなんと言われてここに来た?」

「その手紙を国王さまに届ければ、声の正体が判る、と。―――母は、知っているようでしたけど」

「そうだな」

 言って、カマールはひとり思念に沈む。ときどきちらちらとディーナに目を遣っている。目が合うごと、背筋が震えた。考え込むカマールの眼差しは、姪を見るものではなく、一国の王の厳しいものだった。

 厳しい眼差しのまま、カマールは口を開いた。

「―――グリュフォーンとは、バハーバドルの守護神獣だ。数百年に一度、天界へこの国の様子を報告するために帰っていく。その間グリュフォーンの代わりに守護を請け負う者として、王族の姫が選ばれる。我々はそれを器になると言い、選ばれた姫を(うつわ)の姫君と呼んでいる。その選定の第一は、グリュフォーンからの伝言があるかないかだ」

「?」

 複雑な言いまわしと知らない単語ばかりだったため、カマールの説明をディーナは理解できなかった。

「彼女はバハーバドルの言葉に不自由です。エル・ザンディの言葉でなければ、込み入った事情は理解できないかと」

 ジャファールがエル・ザンディ語で通訳してくれたあと、助け船を出してくれた。

 カマールの目に、落胆の色が浮かぶ。

「血は繋がっていても、もはや異国の民か……。そのような者に、国の根幹となる役目を任せろというのか?」

「済みません……」

 カマールがついこぼしてしまった内容くらいは、ディーナにもなんとなくだが理解できた。自分のせいではないけれど、そう言うしかなかった。

「敢えて訊く」

 エル・ザンディ語でカマール。

「はい」

「ライラやダンテが、ここに来るようにと画策したのではないのか? 君は前王からの勘当の処分を受けていない。ダンテの商売の販路を広げるため、嘘をついて王宮に乗り込んできたのでは?」

「!?」

 父ダンテは、エル・ザンディで一、二を争うほどの豪商である。国外に進出するつもりだったかは、娘であるディーナに判るはずもない。ただ、カマールの言うとおりなのであれば、ディーナがバハーバドルに赴くとなったとき、なにかあってもよかったはずだが、父親からは、無事であれ、元気でいろ、くらいしかなかった。なんの伝言もなんの指示もなかった。

 それよりも気になったのは、国王の別の発言だった。

 カマールは、ディーナの様子を見定めている。ジャファールも、どんな対応をするのかと静かに窺っていた。

 ディーナは、混乱しそうな頭をなだめるも、うまくいかなかった。

「あの、勘当って、両親と兄がですか? あ……だから、どうしても一緒には行けないって……そういう、こと……?」

 知らないふりをするのは思考を整理するための時間稼ぎかもしれないと、国王と皇太子はただじっとディーナの返答を待つ。

「両親が駆け落ちしたとは聞きましたけど、兄はどうして? 関係ないじゃないですか」

「子ができて、駆け落ちしたのだ。前王の怒りは、腹の子にも向けられた。さあ、どうなんだ? 君の本当の目的は何なんだ?」

「本当の目的って……。そんなこと言われても……」

 ただ、バハーバドルの国王に会えば幻聴は解決するのだとばかり思っていた。

 頭の中で、舌打ちが聞こえた。

〈面倒くせぇなァ。おい、ディーナ。いまから言うことを、一言一句間違えずに口にしろ。いいな〉

「え、ちょっ……」

「どうした。真実を言う気になったか」

「あ、いえ。そうじゃなくて……そうではなく。頭の中の声が、言うことをそのまま口にしろと言っているのですが」

 さんざん頭の中で一方的に語りかけてくるばかりで、言葉を伝えろだなんて初めてだった。わけが判らない。

「グリュフォーンが? 語りかけてくるのか?」

 目を瞠るカマール。

「あの……はい。いま、そう言ってきました、けど……」

 頭の中は、まだ男の声の名残りで軽く痺れている。

「口にしてみなさい」

 カマールと目を交わしたあと、ジャファールは促す。そのまっすぐな中にも深い眼差しに、ディーナの混乱は、風が凪いだかのように不思議とすとんと収まっていく。

「はい」

 ディーナは目を伏せ、思考の奥深くへと意識を集中させた。

 グリュフォーンはそれを見計らったのか、語りだす。

「〈昨日授けたオリハルコンの槍。根元の鳥はアル・ケツァルという天界の鳥。審判を司り、疑心暗鬼を打ち砕く鳥である。アルラ・カイモールよ。お前の眼はいつから曇った〉」

 バハーバドルの言葉だった。発音はたどたどしいが、完全にバハーバドルの言いまわしである。

 ディーナがバハーバドル語を話せないふりをしていたとは考えにくい。古代とまでは言わないが、現代ではまず使わない古い文法を使っている。グリュフォーンが言わせたのだろうか。

 ジャファールはどこか危なっかしいディーナが口にした言葉に、グリュフォーンの神秘を垣間見た気がし、感嘆した。

 国王カマールは、感嘆どころでなく驚愕していた。

 アルラ・カイモールという、父以外誰も知らないはずの自分の真実の名をディーナが口にしたことに、心の臓を鷲摑みにされた。だがそれ以上に度肝を抜かれたのは、昨晩、枕元に授かったオリハルコンの賜物が、確かに槍だったからだ。

 オリハルコンの賜物。

 これが、バハーバドルの神秘だった。

 天界の金属、オリハルコン。銀にも金にも見える淡い輝きを持つこの金属は、単なる輝きの美しさだけで人々を魅了するのではなかった。武器となってはいかなる鋼も貫き、あらゆる攻撃に堪えた。羽のように軽いが、打撃に用いると巨石に打たれるほどの衝撃をもたらす。肉を突いても刃が(こぼ)れることはなく、また何百年経っても錆びることがない。

 奇跡ともいえるこのオリハルコンは、他の金属のように大地を採掘して採れるものではなかった。

 バハーバドルの守護神獣グリュフォーンが、天界からこの国に根付いた、薔薇に似たただひとつの花―――カルリコスの雫を精製してできるのだ。ひとの手では決して加工のできない天界の金属だった。

 満月の夜、グリュフォーンはオリハルコンを精製し、血の契約によって国王の枕元へとそれを授ける。

 昨晩が、その満月の夜だった。

 授けられた槍、刃の根元には、ディーナが言ったように四つの翼を持つ不思議な鳥が彫り込まれていた。授かったオリハルコンは一昼夜秘しておかねばならないため、このことはまだ誰も知らないはず。

 知っているのは、賜物を授けたグリュフォーンと、授けられたカマール、その二者しかいない。

 己の真実の名。オリハルコンの槍への言及。

 カマールの身体から、どっと力が抜けた。

「あの……国王陛下?」

「どうやら、君は器の姫君のようだ」

 力のない声で、カマールはそうディーナに告げたのだった。



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