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      三



 ジャファールが神官に口添えしてくれたからだろう。その後ディーナは、中庭に出たり宮殿内をそれなりに自由に歩きまわることができるようになった。

 そんなある日のこと。アミナがディーナの部屋に来てくれた。

 アミナもディーナの腕に目を留め、キディスがひとつきりというのは寂しすぎるから、作ってもらうべきだと言った。ジャファールからのお守りとして、いま製作している最中なのだと言おうとしたけれど、喉の奥が詰まった気がして、本当のことが言えなかった。

 隠し事は、したくないのだけれど。言ってはいけないような、言いたくないような、言葉が喉の奥で引っかかって絡まっている。

「それ、全部アミナさまが編んでるんですよね?」

 だから、当たり障りのない話題に無理やり変えた。

「これ? ええ、そうよ。大きなものだから大変。まだまだ完成まで時間はかかりそう」

 アミナは手元のレースを軽く持ち上げる。椅子に腰かけた膝あたりにまで広がるレースを編みながら、彼女はお喋りをしていた。

 初歩のコースターさえ満足に完成できないディーナと違って、アミナはさらさらと手を動かすだけで目を瞠るほど美しいレースを編みあげていく。同時進行で、ディーナと話をしながらだ。

 同じ女性で、同じような年齢。それなのにどうしてこうも違うのだろう。アミナは美人でひと当たりも良く、手先も器用だ。

 そんなアミナの表情が、僅かに曇った。

「これ、結婚式に被るヴェールなのよ」

 ずきんと、胸の奥が引きつれた。

「本当は、完成させたくないのだけれど」

「そんなこと、言わないでください」

「わたしも……、わたしもライラさまのように連れ去ってもらいたい。もうそれしか、それしかないの」

 思いつめた表情でレースを見つめるアミナ。きっと彼女はそれでも、ジャファールと結婚をするのだろうと、ディーナは感じた。好きなひとからもらったというキディスが、腕で輝いている。

 アミナはあのキディスを、鋳潰すのだろうか。鋳潰して、好きだというひとに返すのだろうか。それとも、キディスをはめたまま、結婚をするのだろうか。

 どうしてと、(くら)い感情が湧いた。

 自分は、結婚なんてできない。

 できないのに。

 アミナは、結婚相手を捨てようとしている。

 ジャファールが傷付いても、どうでもいいとでも?

 ずるい。

 そう思ってしまう自分が、醜くてイヤになる。アミナにそんな感情を抱くのは、筋違いなのに。

「ジャファールさまのお気持ちは、アミナさまにあるのでは? アミナさまが母のようになってしまったら、ジャファールさま、深く傷付かれるのではないでしょうか」

「わたしに気持ちがあるのかどうかは判らないけれど、そうね。皇太子が花嫁に逃げられただなんて、とても屈辱的なことよね」

「本当にアミナさま、母のように……?」

 駆け落ちをするのか、という単語は口にはできなかった。

「ディーナが、ジャファールさまを支えてくれると、嬉しいのだけれど」

 苦しみを堪え、哀しげな顔を返すアミナに、これ以上踏み込んで言うことはできなかった。

 アミナも、恋を諦めなければならない運命にある。恋を求めることを身勝手だと、ずるいとなじることなんて、できない。本当に好きなひととの未来を描くことを責めることなんて、誰にもできない。誰にも。

 かといって彼女の提案にディーナが乗れたとしても、ジャファールは国を背負う皇太子。婚約者に逃げられたからといって、こちらの勝手でおいそれと結婚相手を変えられるわけがない。

「ごめんなさいね。ディーナ。あなたにそんな顔して欲しいわけじゃないのに。莫迦を言って、ごめんなさい」

 俯いて黙り込んだディーナの肩を、アミナはそっと優しく抱いてくれた。

 自分は器。ジャファールは皇太子。たとえジャファールのことを本気で好きになったとしても、叶うわけがないのだ。

(―――え)

 唐突に、ディーナは気付く。

(あたしさっき、アミナさま〝も〟恋を諦めなければならないって、思った……?)

 ということは。

(あたし)

 ジャファールのことが好き、なのか。

 恋、なのか。

 判らないけれど。

(そうなの……かも……)

 脳裏に翻る、ジャファールの様々な姿。そのどれもに、胸が―――ときめいている。

 ときめくという単語が、一番しっくりくる。

 これが、恋……?

 母ならば、答えてくれるだろうか。

 それとも、誰かに恋をしているアミナ。彼女に訊けば、教えてくれるだろうか。この感情の名前を。

 ディーナは胸の痛みに、瞳を閉じた。

 アミナは、そんなこと訊いてはならない相手だ。

 答えてくれたとしても、ディーナに選択できる道は、ない。



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