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      二



「期待だけさせて申し訳なかった」

 ディーナが呼ばれた部屋に行くと、ジャファールが謝罪をしてきた。

 一国の皇太子から神妙な顔で謝られるというのは、いささか居心地が悪い。

「いいえ。あの、気になさらないでください。全然ジャファールさまのせいじゃないですし」

「だが、浅慮だった。少しは楽しみにしていたのだろう? それとも実はどうでもよかったとか?」

「ままさか、そんなことないですッ!」

 ラクダレースに誘われたディーナだったが、神官たちがこぞって大反対をしたため叶わなかった。

 たんなる従妹を誘うのならなんの問題もないのだが、それが器の姫君となれば話は別。皆が興奮しはめを外すのが当たり前のラクダレースの観戦など、言語道断、なにかあっては大変だ。

 同行は断固認められませんと、神官たちのほうこそ興奮甚だしかった。

「ラクダレースに行ったことなんてなかったですし、ジャファールさまからのお誘いですし、どうでもいいだなんて、とんでも、とんでもないですッ」

 ふるふると首を勢いよく振るディーナ。そのまっすぐな愛らしさ。

 彼女は、正直ジャファールがこれまで会ったことのない人間だった。

 目の前のことに一生懸命で、自分がどれだけ無防備でどんな言動をとってしまっているのかを全然判っていない。

 一生懸命すぎて、ときどき頭の回転が止まってしまうのか、言葉が見つからなくて焦るさまも、なんだか微笑ましい。

 次はどんな行動をするのだろう、どんなことを口走るのだろう。

 小さくて予測のつかないほわほわしたもの。そんな彼女を、あらぶる男たちの集うラクダレースの会場に連れていくのは、よくよく考えてみれば器の姫君でなくとも危険すぎた。

 だから、そのあとに宝飾店に寄る予定を変更し、あらかじめ宮殿に御用達の銀細工師を呼んだのだった。

 銀細工師とその弟子たちが、部屋にキディスや耳飾り、指輪や首飾りなどの装飾品を並べていた。中央に座り弟子たちに指示をするイマードほどの年齢の男が、親方でもある銀細工師、テイムールだった。

 テイムールは、ディーナとジャファールのやり取りに、しみじみと呟いた。

「これはなんとも、ライラさまそっくりでございますなぁ」

「ライラさまの姫君だからな」

 どことなく誇らしげにジャファール。

 にんまりとテイムールは笑みを深くさせた。

「それはようございましたなぁ。前王さまの勘当が解けたのでございますか」

「いや。ディーナはその処分を受けなかったんだ」

「さようでございますか。では、ディーナさまには兄君か姉君がいらっしゃるのですな」

「えと。兄がいます。ひとり。キアーっていいます」

「さようでございますか。キアーとは守護者という意味がありまするな。めでたいことにござります」

「あありがとうございます。兄も両親も喜びますッ!」

 この国のひとに寿(ことほ)がれるのは、兄のことであっても嬉しかった。

「ところでディーナさま。ご存知でいらっしゃいますか?」

「な、なんでしょう」

 テイムールは神妙な顔になって尋ねてきた。

 ライラの顔を知っているということは、彼は御用達の銀細工師として長い付き合いであること、そして気軽な口調から、王家の信頼が厚いことが判る。意味ありげな顔で声をひそめてきたそんなテイムールに、ディーナも知らず居住まいを正す。

「ジャファールさまはいつもこんなふうに無表情でしかめっ面ですがね、お小さいときは『ライラさま~ライラさま~』とディーナさまのお母上にそりゃあもうべったり懐いてましてな」

「テイムール」

 遮るジャファールに構わず、テイムールは続ける。

「『大きくなったらライラさまと結婚するんだー!』と誰彼なく宣言なさっておいででな。このわたくしに『結婚する(あかし)にキディスを作って』とおっしゃったほどで」

「黙れテイムール」

「ほほほ。ライラさまがディーナさまの父君と出て行かれたときの落ち込みようといったら、井戸の底を掘り抜いて冥界に魂を持っていかれたのではないかと大騒ぎでの」

「テイムール!」

 小さく肩をすくめて口を閉ざすテイムール。照れちゃって、と同意を求めるようにディーナに目配せをした。

 驚いた。

 当たり前のことだけれど、どこにでもいるような普通の子供時代がジャファールにもあったのか。それにしても、既にその頃から母ひと筋だったとは。

 全身全霊で、ライラのことが大好きだったのだ。彼女がいなくなって、皆に心配されるほどに世界のすべてだったのだ。

 国王も、祖父も、テイムールも、もちろんジャファールも、皆ディーナがライラに似ていると言う。

(あたし……)

 なんだか、胸がむずむずとした。

「今回はキディスをご注文と伺いましたが」

 テイムールが話を仕事に振る。

「ああ。ディーナは自分のものを持ってなくてな」

「そのようですな。現在はめておいでのものは、ライラさまのもののようですが」

 テイムールは袖から覗くライラの腕を見、目ざとく目利きする。

「どのような意匠がお望みです? こちらに並べましたものに近いものはございますか? ―――と、どちらに伺えばよろしいので?」

「ディ」

「えと、わたしよく判ら……ああッ、す済みません横から口出ししちゃってしちゃいましてッ」

 慌てるディーナを、じっと見下ろすジャファール。

 なにを考えているのか判らない彼の視線が、痛い。きっと顔には出してないけれど、内心笑っているのだろう。穴があったら入りたい。

「では指名を受けたので。ディーナに合う意匠はどんなものになる?」

 そうですなぁ、と言って、テイムールはディーナを見つめた。まっすぐなその眼差しは、母ライラに似ているというディーナの顔形ではなく、彼女の内面にいきなり切り込んできた。

 ぞくりとした。

 彼がこうして長く王宮に出入りできているわけが、判った気がした。

「ディーナさまは、けばけばしいものは似合いませぬな。ライラさまは多少そういったものも合いましたが、ディーナさまの場合はせっかくの魅力を消してしまう」

「ふむ。そうか。―――そうかもしれないな。とすると、このあたりの意匠がいいか」

「そうですな、引き立てますな」

 ジャファールの指差した指輪に、テイムールも頷く。関節までを覆うほどに太い指輪で、魚と月が銀で編み込まれていた。

 この部分をキディスに使うと細かすぎるし、かといってただ拡大すると重たすぎる。ではもう少し細いものを使って。そうだ、ここに目の色でもある青を、ラピスラズリを使ってみては。なるほどいいかもしれませぬ。ああ、そんな感じで。

 ジャファールはテイムールと相談しながら、どんどんキディスを決めていく。ときどきディーナの腕に仮に組みあげられていくキディスの型を合わせながら、彼女の意見も聞いてくれる。意見なんて、あるわけがないのに。

 どんどん作りあげられていくキディス。テイムールと打ち合わせをするジャファール。キディスの型をディーナに合わせる際、軽く触れる彼の指。ディーナの意見を聞こうと耳を傾けてくれるその仕草。

 どうしてだろう。―――胸が、痛い。

 顔がほてってくる。

 ジャファールさま、お願いです、あんまり近付かないでください。

 そう言えずに固まるしかないディーナに、テイムールだけが気付いていた。



 しばらくああだこうだと三人で―――正確にはふたりで話し合い、キディスの意匠が決まった。

 完成したキディスが届くのは、五日後。ディーナが器となる儀式に臨むための潔斎に入る前日だった。

「キディスは、お守りとしての意味合いもある。儀式の際、より所にするといい」

 ディーナを部屋に送りながら、ジャファールは説明する。

「ありがとうございます。気を遣っていただいて」

 深い意味はないのだ。

 あのキディスは、ただのお守りなのだから。

 ディーナもジャファールも、同じことを自分に言い聞かせる。

「気に入らなければ無理に着ける必要はないから、外してもらえばいい」

「そ、そんなことありませんッ! ジャファールさまが選んでくださったものなのに!」

 言って、ふと不安を覚えた。足が、止まる。

「あの……」

「どうした?」

「キディスの代金なんですけど」

 純銀製のキディスは細工も複雑で、さすがに豪商と言われるディーナの実家でも、おいそれと気軽に支払える額ではないはず。

「おれからのお守りだ。気にするな」

「ですけどッ」

「キディスは男が女に贈るものと昔から決まっている。気にする必要はない」

 ためらうディーナに、そうジャファールは笑む。

 その笑みに、アミナの笑みが重なった。

 好きなひとに貰ったのだと言っていたキディス。

 ジャファールは、アミナにキディスを贈ったことがあるのだろうか。

 アミナを、好きなのだろうか。

 幸せそうにキディスに触れていたアミナ。そうしてそれは、ジャファールからものではない。アミナが好きなのは、ジャファールではない。

(ジャファールさまは……)

 知っているのだろうか。婚約者のアミナが他のひとを想っていることを。あんな提案をディーナにしてきたことを。

「どうしても気になるのなら、儀式が終わったあとにでも、鋳潰してしまえばいい」

 黙り込んでしまったディーナに、なにを思ったのかジャファールはとんでもない発言をした。

「え。―――ええええッ!?」

 鋳潰すという物騒な単語に、文字どおりディーナはのけぞった。ジャファールは至極当然だといった顔をディーナに返す。

「女は男と別れるとき、もらったキディスを鋳潰して突き返す」

(ホントに!? な。なんという……)

 なんという即物的な習慣なのか。

 隣国なのに恐ろしい。エル・ザンディにそんな習慣はない。断じてない。母がそんな国で生まれ育っただなんて、信じられない。

「たた大切に。大切にします。一生、肌身離さずずっとずっと大切にします。鋳潰すなんて、とんでもないです滅相もございません……!」

 胸の前で手を組み、声を裏返らせるディーナ。

 その仕草が、微笑ましかった。

 まさか一生肌身離さずという表現が出てくるとは思わなかったから、彼女がそう言ったとき、

(やばいな)

 はからずもジャファールの胸の奥が疼いてしまった。

 ずっと想い続けていたいた叔母のライラではなく、目の前にいるのは―――手を伸ばせば届く距離にいるのは、娘のディーナ。

 ライラとは、全然違う。

 けれど。

「そうしてもらえるとありがたい」

「もちろんそうしますッ」

 ジャファールは僅かに動いた己の手を叱咤した。

 ディーナは、触れてはならない存在だ。

 なのに、どうしてこんなにも彼女の笑顔に心乱されてしまうのか。



 部屋にひとり戻ったディーナは、クッションを抱え、絨毯に座り込んだ。

 顔はまだほてっている。胸の鼓動も忙しない。

 キディスを選んでくれるジャファール、微笑んでくれるジャファール、ただ隣を歩いてくれるジャファール。いろんなジャファールの姿が焼きついていて、苦しい。

 祖父は、器の責務が終わっても命を落とすことはないと言ってくれた。大叔母がちゃんと無事に、普通に生きていたのを証言してくれた。

 それでも、儀式ではなにがあるか判らない。本来、器の姫君が選ばれるのは百年以上も先のはずだったと聞いた。時期が早まったのは何故なのか、答えは出ていない。安全と言われている器の儀式も、同様に突発的事項に襲われるかもしれないのだ。湧き起こる不安はなくならない。

 その不安に気付いてくれているのだろう。お守りとしてキディスを作ってくれたり、不満を解消してくれようとしてくれるジャファールの心遣いが、このうえもなく嬉しい。

 彼のことを考えると、胸はよじれるように痛くなる。熱いなにかが燻っているように、焦がされそうになる気持ち。

 苦しくて、切なさも伴うそんな自分に困惑しながらも、どこか甘く心地のよい感情。

 ジャファールと一緒にいると、もっともっと彼のそばにいたいと、欲張った想いが黒くうごめいてしまう。

 これが―――

(恋、っていうものなの?)

 恋がどういうものなのか、ディーナは知らない。母に婚約者を、故郷をも捨てさせたという恋。

 誰かを愛しく思う気持ちとは、こんなふうに、誰かを思うと胸が甘やかな痛みを返すことをいうのだろうか。

 判らない。

 自分は、ジャファールに惹かれているのだろうか。尊敬や憧れではなく。

 判らない。

(でもジャファールさまは)

 アミナと結婚することが決まっている。そうして自分は、器。誰とも結婚することはできない。たとえ恋だとしても、叶うことはない。

 恋でなければいい。

 ディーナは、自覚しそうな危険で複雑な想いに揺さぶられ、胸に抱いたクッションにぎゅっと強く顔を埋めた。

〈そうか〉

「!?」

 いきなり、あの声―――グリュフォーンの声が頭に響いた。

「グリュフォーン、さん……?」

 器に選ばれたことで花嫁とさせられた当の相手、グリュフォーン。

 感情の読めないその声は、ただひと言だけを言って、また沈黙してしまった。

「グリュフォーンさん? なにが、なにが『そうか』なんですか?」

 グリュフォーンはなにかを知っているのだろうか。ディーナの感情を読んで、なにかしようとしているのか。

「グリュフォーンさん?」

 名を呼んでも、けれど再びグリュフォーンが語りかけてくることはなかった。



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