6話 はじめてのマッサージ
部屋を出た僕はそのまま階段の近くまで向かい、1階へと視線を向けるが、キョロキョロと見回してもアナさんの姿は見当たらない。
……もしかしてまだ洗濯中かな?
そう思いながらも、準備ができたら伝えるということになっているため、一応声をかけてみることにした。
「アナさ〜ん、準備が整いましたよ!」
「は〜い」
どうやら屋外にいるようで、遠くからそうくぐもった声が聞こえてきた後、少しして裏庭に繋がっている扉が開く。
アナさんはそこからヒョコリと顔を出すと、柔らかい笑顔のまま言葉を続けた。
「すぐに向かいますので、少々お待ちください!」
「わかりました〜」
そう返答した後、施術内容やオイルの様子などを確認しながら部屋で待っていると、およそ5分ほど経ったところで、パタパタと階段を登る音と共にアナさんがやってきた。
「すみません、お待たせしました」
「いえ! あ、お仕事の方は──」
「ふふっ、今日の分はすべて終わりました」
その言葉を受け、僕はホッと息を吐いた。
「お疲れ様です。あ、どうぞこちらおかけください」
言いながら椅子へと案内すると、アナさんは小さく会釈をした後、そこへ姿勢良く腰掛ける。そしてなにやらキョロキョロソワソワと辺りへ視線を向けた後、僕へと微笑みかけた。
「ふふっ、なんだか緊張しますね」
表情を窺えば、その柔らかい笑顔の奥に言葉通りの緊張の色が見てとれる。
……まぁ、そりゃそうだよなぁ。
心の中でそう思いながら、僕はあははと力なく笑う。
「軽く説明をした程度で、まだマッサージのことよくわからない状態ですもんね。無理もありませんよ」
「そうですね……素晴らしい技術だということはわかるのですが、やはり未知のものなので……」
そう言って、僕のように力なく笑った後、彼女はその表情をキラキラしたものへと変えながら言葉を続ける。
「──でも、同時にワクワクもしているんですよ」
「ワクワクですか」
「はい! そんな素晴らしいものを、この町で誰よりも早く体験できるんだって……」
言って満面の笑みを浮かべる彼女の姿を見て、これは頑張らなきゃなと僕はより気を引き締めながら微笑みを返す。
「ご期待に添えるよう全力で頑張りますね」
「ふふっ、よろしくお願いします」
「さて……では早速マッサージを始めて行こうと思うのですが……そうはいっても何も知らない状態でいきなりというのもなんなので、まずは施術の流れをお伝えしますね」
このままマッサージを始めてもいいが、緊張で身体が強張った状態ではマッサージの効果も薄れてしまう。
ということで、マッサージを行う前にまずは今日の施術内容と簡単な効果の説明をすることにした。
「今回はですね、こうして椅子に座っていただいた状態で、頭からデコルテにかけてと、手のマッサージを行おうと思います」
──施術内容に関しては正直かなり悩んだ。
個人的好みとしては全身もしくは半身のオイルマッサージとなるため、できればそれらをやりたいところではあった──が、今回に関しては早々に除外した。
もちろんオイルの量が心配というのもあるが……何よりもこれらを行うためには少なからず衣服を脱いでもらう必要があり、さすがに彼女に警戒をさせてしまうと考えたからだ。
……やっぱり、マッサージ中はリラックスしてもらうことが大切だからね。
ということでベッド上での施術も同様の理由で除外──と、そんな感じで色々と悩んだ結果、彼女に伝えた通りの流れでマッサージを行うことになったのである。
うんうんと頷く姿を見た後、僕は再度口を開く。
「まずは首からデコルテ、頭の順で、手指を使った簡単なもみほぐしをしていきます。……そうですね、イメージとしては手指で圧をかけることで、固くなった筋肉の緊張を少しずつ解いていく感じでしょうか」
アナさんの反応を見ながら、さらに言葉を続けていく。
「……と、こうしてある程度リラックスしてもらった所で──最後はこちらにあるオイルを使った、リンパマッサージというものしていこうと思います」
言いながら、彼女の前で木の容器を揺らせば、チャポチャポと心地の良い水音が響く。
「オイル……」
容器を見つめながら、アナさんはそう言葉を漏らす。
その表情に、僕はもしや……と思いながら「──あ、もちろん料理に使う油とかとはまた別物ですよ?」と冗談めかして言うと、アナさんはその美しい容貌をみるみるうちに赤らめていった。
……どうやら勘違いしていたみたいだ。
マッサージ用ではないにしろ、乾燥を防ぐためのオイルとかであればこの世界にもありそうなものだが、そうでもないのだろうか?
もちろんアナさんが知らないだけだとか、この町周辺では一般的ではないという可能性もあるが……その辺りは追々調べていけばいいか。
それよりも今は彼女へのフォローだ。
「ま、まぁ馴染みがないだけですから」
「そ、そうですよね」
……フォローって難しい。
「と、とにかくですね。今回はこんな感じの流れで進めていこうと思いますが……よろしいでしょうか?」
「はい、よろしくお願いします」
そう言ってアナさんが頷いてくれたため、僕は心を落ち着けるようにフーッと軽く息を吐き──
「では、はじめていきますね」
という言葉と共に、マッサージを開始した。
◇
「では、はじめていきますね」
彼女に説明した通り、まずは首からデコルテにかけての施術から行う。ということで、僕はそう言った後、椅子に腰掛ける彼女の背後へと移動した。
……こうして背後に立つと、彼女の小柄さが際立つなぁ。
と、そんな今はどうでもいい感想が浮かんできたりしながらも、早速マッサージをしようと僕は彼女の肩口へと視線を向けた。
……ダークブラウンの美しい髪。括っているのは、やっぱり仕事中は邪魔にならないようにかな。あ、うなじも凄く綺麗。
普段女性を後方から、しかもこんな近くから見ることがないため、そんなつもりはないのに彼女の様々な場所へチラチラと目がいってしまう。
その視線はついに彼女のうなじ──その奥にそびえ立つ、小柄な彼女には似つかない大きな双丘へと向いた。
──ここで一つ言っておくと、この町の標準である麻の服にはある意味当然ではあるが、襟元にゴムが入っていたりはしない。
つまりどういうことか。
……た、谷間がッ!
そう。胸元が緩く、かつ服を押し上げるほど豊かな膨らみの持ち主を上から見下ろすとなれば──結果はこの通りだ。
もちろん下着らしきものはつけているため、その全てが見えることはない。が、それでも今までマッサージ以外でろくに女性と会話したことがなく、また女性の裸体を直に見たことのない僕には、あまりにも刺激が強すぎた。
……思わず目が釘付けに〜……ハッ。
ここで僕は正気に戻る。今回マッサージを行う目的を思い出したからだ。
……恩返し、そのためにマッサージをするんだ。
それなのに今のようなふしだらな気持ちのまま臨んでは、彼女に対しても、そしてマッサージという素晴らしい行為に対しても冒涜になってしまう。
……集中、集中。
僕はそう心を強く持ち、同時に心を落ち着かせたところで──
いよいよマッサージスタートだ。
「まずは肩からいきます」
言葉と共に、ゆっくりと彼女の白磁のように真っ白な肌へと手のひらを乗せる。
瞬間、滑らかで柔らかい感触を感じるのと共に、僕の手から熱がじんわりと奪われていく。
……冷たい。それに表面は柔らかいけど、奥の筋肉はとてもかたいな。
いわゆる肩こりというやつだが──
……たしか女性は男性に比べて元々筋肉量が少ない上に、バストの重さも支えなきゃならないから肩こりが起こりやすいんだったっけ。
同様に冷えの原因も筋肉量が少ないことにより、血液を巡らせる機能が弱いからだろう。その上日々のストレスや仕事を通して余計に筋肉が硬くなることで、その筋肉により血管が圧迫され、さらに血行が悪くなるという悪循環に陥っているのもあるか。
筋肉量やバストの重さ等こちら側ですぐにどうこうできる訳ではない問題もあるが、とりあえず今回のマッサージでは彼女の肩周りを温めつつ、筋肉の緊張を解いていけば、この辺りの問題に関しては改善できるはずだ。
そう考えながら、僕は肩にあてた手のひらから、少しずつ圧を加えていく。揉み込むというよりも、手のひらを彼女の肩により密着させていくイメージ。なのだが──
「……!」
その際、彼女が小柄ということもあってか、僕の指先が胸元に少しだけ触れてしまった。
……指先にふにゃりと! ……いや、集中しろ! 無心だ、無心で行うんだ。
その感触に、先程の決意はどこへやら、情けなくもドキドキと心臓の鼓動を早めながらも、それを表に出さないよう平静を装いつつ優しくアナさんへと声を掛ける。
「力加減はいかがですか」
「そうですね……少し痛みはありますが、それも含めてなんだか心地いいです」
言って目を閉じながらうっとりとした表情を見せる。
……彼女に触れた段階で思ったけど、やっぱりかなりコリが酷いな。
これだと毎日肩や頭の痛みが酷いんだろうななどと思いながら、ゆっくりと圧をかけては緩めてを繰り返していく。
と、逐一彼女の表情や反応を確認しながらマッサージを続けていく中で……僕はふとあることに気がついた。
……なぜだろう。力加減が、なんとなくわかる。
そう。肩に圧をかける中で、どのような力加減が最適か、その時の手指の扱い方がどうであるべきかが、感覚的に理解できるのである。
確かに元々もみほぐしの手順や、力加減に関してある程度は知っていた。
しかしそれはあくまで自身が受けた施術やセラピストから聞いた情報から得た知識によるものであり、僕自身が誰かにマッサージをしたことで掴んでいった感覚ではない。
当然だ。僕はあくまでもマッサージを受けるのが好きなだけで、誰かにマッサージをした経験など今の今まで一度もないのだから。
……なら、この感覚は──もしかしてスキルの効果……?
スキルの詳細の中に『簡易なマッサージの手順が理解できる』という記載があった。
僕はそれを見た時、『簡易なマッサージの手順を《《知識として》》理解できる』だと思い、知識ならすでにある程度持っているからと、今の自分には意味のないものだと判断した。
だがもしこれが『簡易なマッサージの手順を《《感覚的に》》理解できる』ということなのだとしたら──スキル『エステ』は僕の想像をはるかに超えるチートスキルということになる。
……その辺りの感覚的なところはこれから色々な人にマッサージして覚えていこうと思ってたのに、これじゃなんだかズルをしているみたいだ。
内心でそう悪態をつきながらも、僕の心は躍っていた。
……揉み返しが起こらないようにとか、とにかく慎重に臨んでいたけど、これならその辺りを過度に意識する必要はなさそうか。
そう思いながら、僕はアナさんへのマッサージを続けた。
◇
肩からデコルテにかけて、10分程度マッサージを行った辺りで、僕は手のひらにかけてい圧をゆっくりと緩めると、アナさんへと声を掛けた。
「これで肩周りのもみほぐしは以上となります」
あまり過度にやりすぎるのは逆効果であるため、短いようだがこの辺りでやめておく。
「お加減はいかがでしょうか?」
僕の問いかけに対し、アナさんは腕を軽く回したりした後、驚きに目を見開いた。
「すごい……今までずっと感じていた肩周りの痛みやだるさがだいぶ軽くなりました」
そう言った後、その表情を少し不安げなものへと変えながら、再度口を開く。
「……慢性的なものだったのに──あ、あの本当に回復魔法ではないんですよね?」
「もちろん、魔法ではありませんよ。ちゃんと根拠もありますしね」
一部スキルの影響があったことを考えると、厳密には魔法を使っているとも言えるが、施術に関しては単なる技術であり、なぜ彼女の身体が楽になったのか順を追って説明できることであるため、マッサージ自体が魔法だということにはならないだろう。
そんな考えのもと返した僕の言葉を受け、アナさんは「魔法じゃない……」と呟き、ホッと息を吐いた後、今度はその瞳をキラキラと輝かせた。
「それでこんなに効果があるなんて……マッサージって本当にすごいものなんですね」
魔法が当たり前に存在する世界の人間ならではの感想である。
……それにしても、彼女の反応的に回復魔法を受けるにはそれなりにお金がかかるのだろうか。
今後もマッサージを続けるのであれば、その辺りのことも調べておく必要がありそうだ。
そんなこともあって考えながら、僕はまるで自分のものであるかのように自慢げに言葉を返す。
「凄いでしょう? でも、まだまだ序章……本番はこれからですよ」
「これ以上のものが……?」
「では次の……ヘッドマッサージへと移りましょうか」
「はい、よろしくお願いします」
言って、アナさんは先ほどまでの緊張がなくなったからか、心からの笑顔を返してくれる。
その姿に少しはリラックスできたかなと思いながら「では始めていきますね」という言葉の後、僕は彼女の頭に優しく両手を置いた。
「……あっ」
「……っ!? ど、どこか痛みましたか?」
「い、いえ。あの、頭に手を乗せられることがここ最近なかったもので、その、心地良くて……」
そう言いながら頬を赤らめるアナさん。その姿を見てるとなんだかこちらまで恥ずかしくなってくるが、アナさんが「……すみません、続きをお願いします」と言葉を続けたため、僕は頷き、施術へと戻る。
まずは手で軽く髪をすいていく。
……指通りが滑らか。それに心なしかいい匂いもしてくる。
アナさんとの会話の中で、この世界の一般家庭にはシャワーのようなものはないと聞いている。
では普段どうしてるかというと、基本は水で濡らした布で身体を拭いたり、桶に溜めた水で髪を流しているようだ。
その水はどこから……という話もあるが、そこは今はいいか。
とにかくその程度の洗髪しかしていないようだが、それでもこれだけ髪質と匂いがいいのは、彼女自身の生まれ持ったものなのか、はたまた別の努力によるものなのか。
疑問はあるが、なんにせよこの指通りのいい髪質であれば、マッサージがやりやすくなるため、非常に助かることは事実。
……まぁ、気になることは今度聞こうということで。
そう思いながら軽く髪をすいた後、いよいよヘッドマッサージへと入る。
ヘッドマッサージも、先ほど行った首からデコルテにかけてのもみほぐし同様、頭の筋肉のこりをほぐすことで血流を改善するというものである。
これにより血色の改善や、脳、目などの疲労改善、肩や首のこり改善、リラックス効果……などなど、とにかく様々な効果が出てくる。
実際に何度か施術──いわゆるヘッドスパというものを受けたことがあるが、終わった後の頭がスッキリとしたり、視界が明るくなったりする感覚はなんとも心地の良いものである。
……っていっても、毎回そうという訳ではなくて、やっぱりその人の手腕によるところもあるけど。
僕自身に施術を行なった経験はないが、スキル『エステ』のあの感覚、まるで自身が凄腕セラピストになったような感覚の通りであれば、このヘッドマッサージでも十二分に彼女を満足させられるはずだ。
僕はそう思いながら、まずは側頭部の指圧を行うべく、添える手の形を変えていく。
……手を開いた状態で親指を頭頂部に置き、他の指を側頭部へとおおよそ等間隔に当ててと。
この時、髪の上からではなく、髪を掻き分けてしっかりと頭皮に指の腹が当たるようにするのがポイントである。
その状態で、親指以外の4本の指で円を描くように圧をかけていく。
「……きもちいい」
マッサージを堪能するように目を瞑り、アナさんはポツリとそう声を漏らす。
「ここ気持ちいいですよね。僕もすごく好きなんです」
「……そうなんですね……本当に気持ちいい」
そんな取り止めのない会話を行いながらも、適切な力加減で指圧を続けていく。
……それにしても、側頭部もだいぶ硬いな。
この辺りは歯ぎしりや歯の食いしばりが原因で凝り固まったりするのだが──やはり接客業である以上ストレスがかかるのだろうか。それとも他に何かストレスの原因が?
そんなことを思いながらおよそ数分ほど側頭部のマッサージを続けたところで、続いて前頭部の指圧へと移った。
◇
その後、頭頂部、こめかみ、目元、耳周りとそれぞれ手の形、圧を相応に変えながらマッサージを続けたところで、ようやくヘッドマッサージが完了した。
「……はい、これでヘッドマッサージの方は終わりになります」
僕の言葉を受け、アナさんはこれまで閉じていた目をゆっくりと開けていく。
「いかがでした?」
「なんと言えばいいか……とにかく最高でしたぁ」
ぼーっとしながらそう声を漏らす。
その姿に達成感を得つつ、僕は再度口を開く。
「気に入っていただけたようで嬉しいです。……さて、最後はオイルマッサージを行おうと思うのですが、このまま続けてしまっても大丈夫ですかね?」
「はい、大丈夫です〜」
……本当に大丈夫か心配になるほどの蕩け具合だが、まぁいいか。
「ではやっていきますね〜」
僕はそう言うと、近くの机に置いていた木の容器を手に取り、コルクのような蓋を外す。
そして容器を傾けオイルを少量手に取ると、両手を擦り合わせてオイルを手のひらに広げていく。
途端にふわりと柑橘系の爽やかな香りが漂ってくる。
……この香りもまた癒し効果が高いなぁなどと思いながら、両肩に柔らかく手のひらを当てる。
先ほどのマッサージの効果か、彼女の肩は多少温かくなっていたが、それでも未だ冷たさは残っている。
そのため、肩に当てた手のひらから、ホットオイルの熱がじんわりと彼女に伝わっていくのを感じる。
「あたたかい……それにいい匂い……」
アナさんは再び目を閉じると、うっとりとした様子でそう声を漏らす。
そんな彼女の姿を目に収めながら、僕はそういえばとふと思う。
今回のマッサージを通して、本来であれば繰り返していく中で会得していくであろう力加減などが、スキルの力で感覚的にわかるようになっていることを理解した。
しかし効果として書いてあった、美肌(極小)、リラックス(小)に関してはどうか。
……この効果っていわゆるパッシブスキルのように、マッサージ中に常時発動しているものなのかな?
疑問に思うも、彼女の姿を見てる感じでは特に発動しているようには思えない。
……リラックスの方はまだしも、美肌というやつが発動してたら視覚的にわかりそうなものだけど……いや、効果が極小だからわからないだけ……?
色々と考えても当然結論は出ない。
そのためとりあえずは行動と、この効果がアクティブスキルのように能動的に発動するものである可能性を考慮し、念のため試してみることにした。
………美肌とリラックス効果〜〜発動しろ……!
うーんうーんと心の中で念じた──その瞬間であった。
……!? 手がひ、光ってる!?
突然、彼女の肩に当てていた手が光り出した。
光といっても、辺りを明るく照らすような力強いものではない。むしろ落ち着くような、淡くどこかあたたさかを感じる──そんな光。
……っと、そうだアナさんは……!?
唐突に発生した光に、アナさんは驚いていないかと彼女の容貌へと目を向ければ、どうやら目を閉じているようで気がついていない。それどころか、これまでのマッサージと今回のオイルの温かさと香りから、ウトウトとしているようだ。
……これなら、大丈夫そうか。
別に気づかれたらそういうスキルを持っていると説明すればいいだけなのだが……まぁ気づいていないのならそれでいいか。
それにしても──なんだか見てると、こっちまで心が落ち着いてくるな。
自身が発しているものでありながら、思わずそう思ってしまうほどに柔らかいその光は、ホットオイルの熱と共にアナさんの肩口に浸透していく。
……これで美肌(極小)、リラックス(小)の効果が現れるようになるのかな?
などと色々と考えながらも、その間手のひらを当て続けていたことで、気づけば彼女の肩は僕の手のひらと同化したかのように温まっていた。
……さて。
ウトウトとした彼女をよりリラックスさせるべく、僕は施術を始めていくとこにした。
まずは彼女の肩当てていた手のひらを外すと、その手を彼女の両耳へと移し、耳たぶあたりを優しく掴んだ状態で、前後にゆっくりと大きく回す。
それをおよそ前後10回ほど行った辺りで、続いて耳の下から鎖骨中央に向かって、手のひらでさすっていく。
──今回行っているのはオイルマッサージの中でも、特にリンパマッサージと呼ばれるものである。
リンパマッサージとは、全身に張り巡らされたリンパ管の中を流れるリンパ液の流れを促進させるマッサージ……だと僕は認識している。
これによりむくみの軽減や、免疫機能の向上、筋肉の緊張緩和、あとはオイルによるストレス緩和、美容効果……などなどこちらももみほぐし同様とにかく様々な効果があると言われている。
以前にも話題に出したように、僕が1番通っているマッサージはオイルマッサージなのだが、その中でも特にこのリンパマッサージへ足繁く通っていた。
理由は様々あるのだが、柔らかく当てられた手指がオイルによって滑らかに滑っていくあの不思議な感覚、ふわりと漂うオイルの香りと温かさ、その全てが僕を包み込み、様々なストレスを溶かしていってくれるようなあの心地良さに魅了されてしまったというのが1番の理由だ。
もちろんその心地良さを感じるだけならオイルマッサージのどれでも良いのだが、リンパマッサージならば上記の心地良さの上で身体のこりを改善してくれるため、昔からこりが酷かった僕はこちらをメインに通っていたのだ。
……と、そんな昔を思い出しつつ、この心地良さを彼女も実感してくれているかな? とアナさんの表情を窺うと、どうやらいつの間にか完全に眠ってしまっていたようで、スースーと可愛らしい寝息が聞こえてきた。
その姿に僕は苦笑いを浮かべつつも、こうして心地良さのあまり眠ってしまうのも含めてマッサージだよなぁと心の中で頷きながら、未だ光続ける手を使い、彼女への施術を続けていった。
◇
それから20分ほど経過したところで、僕は想定していたリンパマッサージの工程を全て終えた。
「これでマッサージは終了となりまーす……って、聞こえてないか」
目前には椅子に姿勢良く座りながらもスヤスヤと深い眠りにつくアナさんの姿がある。
そう、結局眠ってしまったあの時から、一度も目を覚ますことはなかったのである。
……信頼されているのか、それとも熟睡してしまうほどに疲れが溜まっていたのか。……うん、多分後者だろうな。
「……にしてもどうしよ。起こした方がいいのかな?」
僕の内心では、このまま寝かせてあげたかった。
マッサージ中に眠ってしまった時の心地良さを、経験から良く理解しているからである。
……それに、今日の分の仕事は終わったって言ってたし。
その言葉通りであるのなら、このまま寝かせてあげても問題はないのだが──ここは宿屋である。そして彼女はその唯一の従業員でもある。
つまりもし突然お客さんがやってきた際、彼女が眠っていてはその対応をする人がいなくなってしまう。
……でもなぁ。
目前でスヤスヤと眠るアナさんの姿を見てると、どうしても起こすのを躊躇ってしまう。
はてさてどうしようか。僕は悩みに悩み、そしてとある結論に至った。
……よし。もう少し寝かせてあげて、その間は僕が1階で店番をすればいいか。
お客さんが来ないのであればそれでいいし、来たとしてもお客さんの対応をしつつ、アナさんを起こしにいけばそれでなんとかなるはずだ。
「……よし、そうしよう」
そう言いながら、僕は1人うんと頷いた。
そしてそれを実行しようと、ゆっくりと部屋を出ようとした──その瞬間であった。
「……ん、ぁ、あれ?」
突然意識が遠のいていく。
……な、なんで。
咄嗟の事に困惑しながらも、しかしどうすることもできず、僕はバタリと倒れてしまう。
更に意識が遠のいていく。
そんな中で、僕の肩を誰かが揺する感覚と共に、美しい女声が聞こえてくる。
「……ソースケさん!? しっかりしてください!」
僕はその声を受け、なんともしまらないなぁと思うと共に、フッと意識を失った。




