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婚約破棄ざまぁシリーズ

婚約破棄された魔力ゼロの私、実は王都結界の演算核でした ~最強王子は国有資産になりました~

掲載日:2026/03/06

「エスメリア・フォン・アストレア! 魔力を持たぬ無能な女に、この国の盾たる王妃の資格はない。貴様との婚約を、今この場をもって破棄する!」


 豪奢なシャンデリアの下、第一王子・カイルの怒声が響き渡った。彼の背後には、歴代最高出力を誇る『守護結界』が、誇示するように青白く波打っている。その圧倒的な光こそが、この国の力の象徴だった。

 周囲の貴族たちから、同情と蔑みの視線が突き刺さる。


「公爵令嬢が魔力測定で『ゼロ』を叩き出したときは耳を疑ったが……」

「殿下の隣に並ぶには、あまりに不釣り合いだ」


 しかし、エスメリアは眉ひとつ動かさなかった。

 彼女は手にしていたシャンパングラスを給仕に預けると、完璧な、そしてどこか事務的な一礼を返した。


「あらよかった。ちょうど、こちらから申し上げようと思っておりましたの。承知いたしました、カイル殿下」

「なんだと!?」


 カイルはエスメリアが泣きわめくと思っていたのだろう。目を見開いて驚いている。


「……では、婚約関係の解消に伴い、私が『個人的な献身』として行っていた、結界の調整役を辞めますわね」

「何をわけのわからぬことを。結界は俺の魔力で成り立っているのだ!」


 カイルは鼻で笑った。彼にとって、結界とは己の膨大な魔力で押し固めるだけの壁に過ぎない。

 それを維持するために、どれほど緻密な魔力の流体計算と、負荷を分散させる多層構造の再設計が必要かなど、考えたこともないのだ。


「ええ。殿下には理解の及ばぬ領域かと存じます。では、失礼いたします。……さようなら」


 エスメリアは一度も振り返らずに会場を後にした。

 王都結界は「出力」ではなく「制御」で保つ。

 そしてその制御は、演算核――エスメリアが抜けた瞬間に、死ぬ。

 それを示す通り、王都の夜空を覆う結界の色が、温かみのある「生きた青」から、わずかに透き通った「無機質な白」へと微変した。

 だが、その変化に気づく者は誰もいない。皆、カイルが放つ力強い魔力の発光に目を奪われていたからだ。


「……ほう」


 カイルが、驚いたように自分の手を見つめた。

 結界が、以前よりも「軽い」。


 これまで感じていた、細かく煩わしい制御の感触が消え、魔力が堰を切ったように溢れ出している。


「ははっ! 見ろ、結界の出力が跳ね上がったぞ!」


 カイルは高笑いした。


「あの女が管理を離れた途端、俺の魔力は本来の輝きを取り戻したのだ! やはり無能な女が、俺の成長を阻んでいたということか!」


 勝ち誇るカイル。

 だが、貴族たちは拍手をしなかった。互いの顔を見合わせている。

 誰一人として、その音を吉兆とは思っていない。

 カイルにはわからなかった。彼が感じている「軽さ」の正体が――ブレーキの壊れた暴走車の加速と同じだということを。

 夜会の喧騒を背に、夜道を歩くエスメリアの口角が、わずかに上がった。


「……出力上昇を確認。制御系の完全損失による魔力の自己膨張。……予測通りですわ」


 それは復讐の喜びというより、実験が仮説通りに進み始めた科学者の笑みだった。

 彼女がふと夜空を見上げると、白く変色した結界の膜が、一瞬だけチリッと、紙が焦げるような音を立てて爆ぜた。

 過負荷に耐えかねた王宮の尖塔の先端が、鈍い音を立てて軋む。

 異変に気づいた夜鳥たちが、一斉に、何かに怯えるように街から飛び立っていった。


「一週間、いえ……三日。配管が破裂するまで、せいぜいその『全開』を楽しんでくださいませ。殿下」


 白く変色した結界の膜に、計算通り最初の歪みが走る。

 それは、誰にも聞こえない破裂音の前触れだった。




 公爵家へ戻ると、待っていたのは地獄のような光景だった。

 屋敷の広間では、通信用の魔導具である『共鳴鏡レゾナンス・ミラー』が、ひび割れたようなノイズを撒き散らしながら点滅している。


「エスメリア! なんということを、なんということをしてくれたのだ!」


 父、アストレア公爵は椅子に崩れ落ち、顔面を蒼白に染めていた。

 先ほど王宮から届いた緊急連絡は、ノイズ混じりながらも最悪の内容だった。「婚約破棄」、そして「エスメリアの不敬」。


「通信が……通信が混濁して繋がらん! 王子殿下が出力を上げた影響で、王都中の魔導回路が過負荷を起こしている。……このままでは、我が家は殿下の『不興』を一身に受けることになるぞ!」


 父は、娘の身を案じているのではない。王家の機嫌を損ねたことによる、家門の没落に怯えているのだ。

 母は、汚いものを見るかのように娘から視線を逸らし、震える手でハンカチを噛み締めている。その瞳には、かつて幼い娘を愛した記憶の残滓と、魔力至上主義という価値観から逃れられない絶望が入り混じっていた。


「エスメリア……。なぜ、謝れなかったの。無能だと言われても、黙って耐えていれば、私たちが守ってあげられたのに……」


 母の言葉は、愛の形をした呪縛だった。

 「魔力ゼロ」の自分を、家のお荷物として「置いてやる」という慈悲。

 エスメリアは、その歪な家族愛に冷めた視線を向けた。


 幼い頃、魔力がないと判明した日に、神殿の書庫で一人泣いていた自分。あの時、一冊の理論書を差し出してくれた若き司祭だけが、彼女にとっての「光」だった。

 この家という構造には、もう一滴の未練も残っていない。


「お父様、お母様。そんなに怯えなくて結構ですわ」


 エスメリアは淡々と、しかし突き放すように言い放った。


「私がここにいれば、アストレア家は『王子の結界を壊した戦犯の身内』になります。近いうちに、殿下は制御不能になったエネルギーを無理やりねじ伏せようとし、術式を根底から破綻させるでしょう。その際、開発者である私がここにいれば、公爵家は連座で滅びます」


「何を……何を言っているんだ?」


「私はゴミとして捨てられたのです。ならば、その通りに……不要な存在を家系図から抹消なさいませ。 本日をもって、私、エスメリア・フォン・アストレアは、アストレア公爵家との一切の縁を切り、籍を抜くことをここに宣言いたします」


 彼女は懐から、あらかじめ用意していた『除籍申請書』を父の前の机に置いた。


「これは……! お前、正気か! 外で生きていけると思っているのか!」


「お父様。貴方が保身のために私を切る手間を、私が代行して差し上げただけです。これで、公爵家に及ぶ責任は『管理不行き届き』程度で済みますわ」


 エスメリアは自室に戻ると、豪華なドレスを脱ぎ捨て、泥にまみれても目立たない機能的な旅装に着替えた。

 手に持ったのは、膨大な数式が書き込まれた数十冊のノートと、最小限の保存食だけ。

 部屋を出ようとしたその時。


「エスメリア……」


 背後で、母が震える声で名を呼んだ。

 ドアノブにかけたエスメリアの指先が、一瞬だけ止まる。

 振り返れば、そこにはまだ「母」がいたかもしれない。だが、彼女は振り返らなかった。


「……さようなら、思い出のない家」


 夜の闇に紛れ、彼女は自分の足で屋敷の門をくぐった。

 背後では、通信魔導具がキィンという耳を突く異常音を上げ、ついに機能を停止して粉々に砕け散った。

 それは、誰にも見えない崩壊の第一音だった。

 都市はまだ眠っている。だが、循環は、止まった。




 公爵邸の門を出ると、そこには場にそぐわぬ漆黒の馬車が、音もなく控えていた。 御者台に座るのは、王家の法すら及ばぬ神殿直属の聖騎士。

 王宮の検閲をすり抜ける『聖域の紋章』が、月光を浴びて鈍く光っている。

 エスメリアが屋敷を出る直前、密かに起動させた小型の共鳴魔導具が、神殿へ「計画段階移行」の信号を送っていたのだ。

 魔力ゼロは、百年に一度現れるかどうかの「欠損値」。

 そして多くは幼少のうちに神殿へと「保護」され、記録ごと封じられる。

 ——王家の結界理論にとって、存在してはならない例外だからだ。

 石造りの荘厳な神殿。その重い扉の影に、一人の男が立っていた。

 大司教、ロクレアス・クレイドル。

 若くして神殿の頂点に立ち、王家の魔力至上主義を誰よりも危険視している男。


「……予定より三十分早いな、エスメリア」


 灯火も持たず、暗闇の中に同化するように佇んでいた彼は、馬車から降り立つ彼女を、まるで長年待ち侘びた逸品を検品するかのような瞳で見つめた。


「ええ。お出しいただいた馬車が優秀でしたから。……それに、これほど美しい『崩壊の予兆』が空を埋めているのです。一刻も早く、貴方に報告したくて」


 エスメリアは不敵に微笑む。彼女はかつてこの場所で膝を抱えて泣いていた無力な少女ではない。

 自分の知性が、この国のどの魔力保持者よりも価値があることを理解している女の顔で、不敵に微笑んだ。

 ロクレアスは、彼女の衣服に付いたわずかな埃を払うこともせず、その瞳の輝きだけを検分するように見つめた。

 あの日、魔力測定で「ゼロ」を叩き出し、世界から拒絶された十歳の彼女に、彼は一冊の禁書を差し出した。


『魔力は力ではなく、現象である。現象は、数式によって従わせることができる』


 それから七年。

 彼女は月に一度、神殿の「懺悔室」という密室で、彼と対等な知の交換を重ねてきた。

 エスメリアは、彼が提供する神殿の極秘演算設備(演算祭壇)を使い、公爵令嬢としての社交の裏で、王家という歪なシステムを解体するための「数式」を研ぎ澄ませてきたのだ。


「お約束の『理論の完成形』を持ってまいりました、猊下。……今さら、拾っていただいた利用料が高いとは仰いませんよね?」


 ロクレアスはわずかに口角を上げ、彼女を聖域の奥へと導いた。


「拾った? 違うな。私はあの日、絶望の底にいた君という『特異点』を見つけ、この神殿で大切に育ててきたのだ。……さあ、始めよう。無能な力に支配された、この愚かな国を書き換える作業を」


 そうして導かれたのは、神殿の最深部、禁書庫の奥にある執務室。

 そこは、かつて魔力測定に絶望した少女が、一冊の理論書に出会った場所だった。


「……酷いものですわね」


 エスメリアは、神殿が守り続けてきた『聖域の防壁』の魔導式をめくり、吐き捨てるように言った。

 そこには、何百年も継ぎはぎを繰り返した、非効率の極みとも言える古い魔法陣が並んでいる。


「神殿の魔力消費量が異常に高いのは、この第十五節の循環不備が原因です。ただ魔力を浪費して熱を逃がしているだけ。こんなものは、こうして……」


 彼女は特殊な『感魔インク』を浸した羽ペンを走らせ、複雑怪奇な数式を次々と削ぎ落としていく。

 神聖視された飾り、恐れに由来する遮断機構、儀礼に堕した術式工程。

 彼女のペンが通るたび、魔法陣は美しく、幾何学的に整理されていった。それはもはや魔法の行使ではなく、世界の構造自体の最適化だった。


「エスメリア。君の手にかかれば、聖職者が百人がかりで維持していた術式が、たった一人で運用可能になるな」


 傍らで紅茶を啜るロクレアスが、愉悦に瞳を細めた。

 その瞬間、部屋の灯火がふわりと揺れ、彼の影が壁に長く、異様に伸びた。その影の輪郭は、人の形をわずかに踏み外しているようにも見える。


「そして、浮いた魔力はすべて、私の『出力』へと回せるわけだ。……私の指先一つで、山の一つも消せるほどにな」


 ロクレアスの微笑は優雅だったが、その瞳の奥には、エスメリアの計算すら及ばない「破壊への渇望」が、澱みのように潜んでいた。

 彼は彼女の知性を愛している。だが同時に、その知性が生み出す「暴力的なまでの効率」を、これ以上ないほど残酷に振るう準備を整えていた。


「猊下、私は『効率的』でないものが嫌いなだけです。……さあ、ここに貴方の魔力を。今の貴方なら、指先一つの出力で十分ですわ。……世界が『再起動』する音を、お聞きなさい」


 エスメリアの構築した完璧な円環に、ロクレアスが指先を触れる。

 瞬間、神殿全体を包む空気が変わった。

 澱んでいた魔力の流れが、一本の清流のように透き通り、神殿の灯火がかつてないほど白く、強く輝きだす。


「……素晴らしい。魔力消費量は以前の十分の一以下。それでいて強度は三倍か。君は、神の定めた法則さえ定義し直すつもりか?」

「法則などではありません。ただの『設計不備』ですわ」


 二人の視線が交差する。

 そこにあるのは恋心などという甘いものではなく、世界を塗り替える「共犯者」としての冷徹な信頼。

 だが、白く輝く光に照らされたロクレアスの横顔は、一瞬だけ、捕食者のような歪な角度を見せた。

 エスメリアという最高精度の「照準器」を手に入れた大司教は、今やこの国で最も美しく、最も危険な爆心地と化していた。




 その頃、王宮の空が、最初の破裂を告げる不気味な紫色に染まり始めていた。

「なぜだ! なぜ結界が安定しない! 俺がこれほど、力を注いでやっているというのに!」

 第一王子・カイルが、制御を失い暴走する結界の核に向かって叫んでいた。

 エスメリアという「演算核」を失った結界は、もはや緻密な魔術建築ではなく、ただの巨大な魔力の塊に退化していた。カイルがどれほど膨大な魔力を注ぎ込もうと、構造を欠いた結界はそれを整流できず、ただ熱と振動となって王宮を削っていく。


「殿下、もうお止めください! 出力が臨界点を突破しています!」

「黙れ! 俺の魔力は歴代最強……神に選ばれた力なのだ! 力でねじ伏せられぬ道理があるか!」


 カイルの瞳には狂気的な盲信が宿っていた。彼にとって魔法とは「意志の強さ」と同義であり、それを数式で制御するなどというエスメリアのやり方は、無能の姑息な小細工だと信じて疑わなかったのだ。

 彼が強引に魔力を増幅させた、その瞬間。

 ゴオオォォォォン!!

 王都の空が、一気に毒々しい紫色に染まり、衝撃波が窓ガラスをすべて砕いた。

 均衡を失ったエネルギーが結界の表層を突き破り、制御不能な雷光となって王宮の尖塔を打ち据える。


「結界が、結界が割れるぞ!」

「王子殿下を止めろ! 街が焼ける!」


 逃げ惑う家臣たち。その混乱の中、王都の民は皆、空を見上げていた。

 だが、彼らの瞳にあるのは絶望だけではない。彼らはすでに、王宮を取り囲む「神殿騎士団」の沈黙と、その背後に控える大司教の姿を、救いの象徴として見つめていた。

 王宮の謁見の間。

 崩落する天井の破片に怯える国王と、魔力の逆流に飲み込まれかけ、廃人のように叫ぶカイルの前に、二人の影が現れた。

 静謐な黒い衣を纏い、神殿の「緊急介入権」を象徴する錫杖を手にした大司教、ロクレアス。

 そして、その隣で、燃える空を背景に冷徹な美しさを湛えるエスメリア。


「エ、エスメリア! 貴様、何をしに来た! 今さら命乞いか!」

「結界の正常化に参りましたの、殿下。……そして陛下」


 エスメリアは、カイルの罵声を塵のように受け流し、玉座に座り込む国王を見据えた。


「神殿の『監査碑文』が赤く染まりました。カイル殿下の魔力は、もはや国家の保護対象ではなく『災害』と認定されました。……陛下、神殿法に基づき、王家の魔力行使権の一時凍結を」


 ——三百年前、暴走した先王を同法で拘束して以来、二度目の発動だった。


「な、何を……! 神殿風情が王家に口を出すというのか!」


 国王が叫ぶが、その声は震えていた。窓の下では、神殿が長年かけて民衆に浸透させてきた『利便性の魔法』に恩恵を受けてきた市民たちが、神殿の旗を掲げて王家の無能を糾弾する怒号を上げている。

 神殿が今日まで沈黙を守ってきたのは、この「決定的な暴走」を待っていたからに他ならない。


「猊下、接続を。——非効率なゴミを、資源に書き換えます」

「承知した。君の描く数式こそが、今のこの国における唯一の法だ」


 大司教が、エスメリアが虚空に描いた青い幾何学模様に魔力を流し込む。

 瞬間、カイルから溢れ出していたドロドロとした紫色の魔力が、エスメリアの構築した「目に見えない導管」へと強制的に吸引され、黄金の輝きへと変質していった。

 一瞬にして、王都を覆っていた紫の雷雲が霧散し、見たこともないほど澄んだ黄金の結界が、街を優しく包み込んだ。


「……は、あ……?」


 カイルが茫然と空を見上げる。自分の魔力では破壊しか生めなかったのに、魔力ゼロのはずの女が、神殿の力を借りただけで「奇跡」を完璧に制御してみせたのだ。


「陛下。ご覧の通り、殿下の強大すぎる力は、もはや人の脳で扱えるものではありません。……カイル殿下は、今日からこの国の『公共資源』となっていただきます」

「……公共、資源だと?」

「殿下の力は、もはや個人のものではございません。地下結界核へ接続し、常時供給源として王都に還元していただきます。……それが、本日の責任の取り方です」

「ふざけるな! 俺を家畜のように扱うというのか!」

 カイルが立ち上がろうとするが、エスメリアの冷たい瞳に射すくめられた。

 その視線は、かつて婚約者に向けていた慈しみなど微塵もなく、ただ不具合の出た部品を検分するような、無機質な鋭利さに満ちている。


「貴方が今日まで、その魔力を誇り、他者を踏みにじってきた代償ですわ。……陛下、この『黄金の結界』を維持できるのは私の術式だけ。そして、私を動かせるのは、神殿という組織のみです」


 エスメリアはあえて自分の横に立つロクレアスを一瞥し、言葉を継いだ。


「私を拒絶すれば、この結界を解きます。大司教猊下も、神殿の全機能を停止させるでしょう。……暗闇と飢えに狂った民衆が、次にどこを襲うか。……かつて栄光を誇った魔力も衰退し、誇りだった王子まで暴走の象徴となってしまった王家、それを止める術がおありですか?」


 国王は、娘の皮を被った「理性の怪物」の前に、力なく項垂れた。

 武力でも信仰でもない。エスメリアが突きつけたのは、情を廃した「国家運営の損益計算書」だった。拒絶すれば滅び、受け入れれば傀儡となる。どちらを選んでも、王家の栄光は今この瞬間に終わるのだ。


「……許可する。カイルを……地下の動力室へ連行せよ。……これは、救国のためだ」

「嫌だ! 離せ! 俺は王子だぞ! 俺の力こそがこの国の……最強の——!!」


 騎士たちに引きずられていくカイルの叫びが、地下へと遠ざかっていく。

 エスメリアは、もはやその背中すら見なかった。彼女の視界には、虚空に展開された無数の魔導数式が、網膜を焼くほどの光量で明滅し続けている。


(……脳の並列処理が限界ね。あと数分、王の決断が遅れていれば……こちらの精神が焼き切れていたところだわ)


 エスメリアの指先が、目立たない程度にわずかに震えた。魔力を持たぬ身で神殿級の出力を制御するのは、生身の人間が剥き出しの高圧電線を素手で操るに等しい暴挙。

 そんな彼女の「綻び」を、隣に立つ男が見逃すはずもなかった。


「……見事な手際だったよ、エスメリア」


 ロクレアスが、周囲の家臣たちに聞こえぬほどの低い声で囁いた。

 彼は、膝をつき、憔悴しきった国王を冷ややかに見下ろしたまま、エスメリアの細い肩を引き寄せる。その手には、救世主としての慈悲と、獲物を逃さない捕食者の独占欲が混在していた。


「これで王家は、文字通り君の描く『回路』の一部になった。……これからは、誰に邪魔されることもなく、私の隣で数式を書き換え続けるといい」


 その言葉は、約束ではなく、呪縛に近い。

 エスメリアはロクレアスの瞳の中に、地下へ消えたカイルとはまた別の、底知れない狂気を見た。だが、彼女はそれさえも計算の内だと言わんばかりに、唇の端を持ち上げた。


「……ええ。最適化すべきゴミは、まだ王宮の外にも、……私の生家にも、山積みですから」


 彼女は、ロクレアスの魔力が自分を内側から焼き尽くそうとする熱に耐えながら、不敵に微笑んだ。

 支配者と協力者、そして捕食者と獲物。

 黄金の光に包まれた謁見の間で、彼らの歪な「新時代」が、音を立てて動き出した。




 数ヶ月後。

 王都の景色は一変した。

 魔力を持たぬ者が虐げられていた時代は終わり、「結界管理局」の設立とともに、魔力は個人の資質ではなく社会を支える共通インフラへと定義し直された。

 かつての魔力至上主義に胡坐をかいていた貴族たちは、今やその「効率」を厳しく問われる立場にある。

 エスメリアの生家であるアストレア公爵家も、その例外ではなかった。


「……お父様も、お母様も。あれほど魔力のない私を『非効率なゴミ』と仰っていたのに。いざ制度が変われば、旧態依然とした魔力設備に固執し、天文学的な資源浪費税に首を絞められる側になるとは。皮肉な計算結果ですわね」


 管理局の執務室で、エスメリアは届いたばかりの「公爵家資産差し押さえ通知」に無機質な視線を落とした。

 彼女はもう、かつて自分を捨てた両親に会うつもりはない。

 魔力ゼロの娘に縋らねば破産するまでに没落した彼らの悲鳴は、彼女の耳には「修正済みのノイズ」としてしか届かなかった。

 エスメリアは一代限りの爵位「結界伯」を授かり、彼女が編み出した論理体系は、国の最高機密かつ、何人たりとも侵せぬ最高法典となった。

 深夜。神殿の最上階バルコニー。

 エスメリアは、静かに、そして力強く脈動する黄金の空を見上げていた。


「……疲れたか?」


 背後から、静謐な黒衣を纏った男が声をかける。大司教、ロクレアスだ。


「いいえ。すべてはあの日、貴方の書庫で導き出した計算通りに進んでいるだけですから」


 ロクレアスは彼女の隣に並び、遠くで淡く、規則的に発光する地下核を見つめた。

 そこには今も、王都の灯を灯し続ける「公共資源」——カイルが繋がれている。


「私は聖職者だ。神の代弁者として、誰かと婚姻を結び、家庭を持つことはできぬ。……あの日、泣いていた君に禁書を差し出したときから、それは決まっていたことだ」

「存じておりますわ。私も、愛だの恋だのという非効率な熱量の消費には興味がありません」


 エスメリアがわずかに口角を上げると、ロクレアスはその手を取り、跪くこともなく、対等なパートナーとしてその指先に唇を寄せた。


「ならば、共犯でいろ、エスメリア。一生、私の隣で、この不完全な世界の数式を書き換え続けろ。それが君に与える私の罰であり……唯一、神に背いて捧げる誓いだ」


 エスメリアは、月明かりよりも強く、賢明な瞳で彼を見つめ返した。


「最初から、そのつもりでここにいますわ。私の共犯者様」


 頭上で、完璧な数式に守られた黄金の結界が、新しい時代の夜明けを祝福するように、一度だけ強く輝いた。

お読みいただきありがとうございました。

エスメリアたちの共犯関係はお楽しみいただけましたでしょうか。

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