黒き雨の葬列
ジークムント卿の葬儀は、まるで空までもが涙を流しているかのような、土砂降りの雨の日に行われました。
アウレリア王国の国教である聖光教会の作法に則り、棺は白い百合で飾られ、大聖堂へと運ばれていきます。
けれど、空を覆う厚い雲のせいで、昼間だというのに世界は薄暗く、降り注ぐ雨は、工場の煤煙を含んだように黒く濁っていました。
雨水には魔導装置から漏れ出した重油のようなぎらつきが混じり、傘を打つ音はまるで誰かが背後から呪詛を囁き続けているような、不快な旋律を奏でていました。
大聖堂を飾る壮麗な白亜の彫刻たちも、この黒い涙に濡れるたびに、まるで苦悶に顔を歪めているかのように見えました。
清らかな死さえ許さぬ、この国特有の湿った重苦しさが、参列者たちの肺をじわじわと埋め尽くしていきます。
私は喪服の濡れた裾を引きずりながら、テオドラ王妃様の傘を差して参列していました。
私の「目」には、大聖堂を取り巻くように、今まで見たこともないほど濃密な「黒い霧」が渦巻いているのが見えました。 それは、ジークムント卿という「清浄な柱」を失ったことで、抑え込まれていた帝都の澱みが一気に噴き出したかのようでした。
「……忌々しい雨だ。これでは、せっかくの金糸の刺繍が台無しではないか」
不敬な舌打ちが、私の耳に届きました。
声の主は、ジークムント卿の弟であり、次期当主の座に就くことになったマリウスです。
彼は兄の死を悼むどころか、湿気でうねる自慢の髪と、泥が跳ねた靴のことばかりを気にしています。
その浅ましく肥え太った背中には、黒い霧どころか、ドブ鼠のような灰色に濁った気がまとわりついていました。
兄という巨大な盾を失ったというのに、彼はその盾がどれほど重く、そして尊いものであったかを一欠片も理解していませんでした。
彼の周囲に漂う不浄な気配は、一族の「狂気」という才能さえ受け継げなかった、空っぽの凡庸さが生む醜悪な澱みでした。
ジークムント卿が命を懸けて繋ぎ止めていた帝国の理性が、このような男の指先から、砂のように零れ落ちていく。
その絶望的な光景に、私は奥歯を噛み締め、込み上げる吐き気を必死に堪えました。
(この方が、次の帝国の支配者……)
絶望感にめまいがしそうになった時です。 ふわり、と芳醇なワインと退廃的な香水の匂いが鼻を掠めました。
「嘆くなよ、セシリア。兄上は幸運だったのさ」
私のすぐ後ろから、甘く、低い声が囁きました。
振り返ると、そこには濡れた黒髪をかき上げ、気怠げな瞳をした美貌の青年が立っていました。
ヴァーミリオン家の四男、トリスタン公爵。 帝国最強の将軍と謳われながら、その瞳には常に「虚無」を宿している方。
彼は、聖なる葬儀の場であるにも関わらず、片手にはクリスタルのグラスを持ち、赤ワインを揺らしていました。
「トリスタン様……。不謹慎です」
「不謹慎? 誰もが地獄へ行くと決まっている一族が、神妙な顔で祈るほうがよほど滑稽だろう?」
トリスタン様は、口角を歪めて笑いました。
その笑顔は、背筋が凍るほど美しく、そして悲しいものでした。
「兄上は、この船が沈む前に逃げ切ったんだ。羨ましいことじゃないか。 ……残された俺たちは、これから始まる泥沼の劇を、最後まで演じなけりゃならないんだからな」
彼はそう言って、ワインを一気に飲み干すと、空になったグラスを石畳に落としました。
パリン、と乾いた音がして、クリスタルが粉々に砕け散ります。 それはまるで、帝国の未来そのもののように儚い音でした。
トリスタン様は以前も私にそのようなことを仰いました。
深夜、テオドラ様の寝室へ向かう回廊で、トリスタン様に呼び止められたことがありました。トリスタン様はバルコニーで、月光を浴びながら一人、硝子で作られた精緻なチェスを指していました。
「セシリア、お前のその『目』なら、私の次の手が見えるか?」
「……私に見えるのは、結末だけです。トリスタン様」
私の答えに、トリスタン様は愉快そうに喉を鳴らしました。
「結末か。なら、この駒たちが砕け散る音も聞こえているんだろう? この国という盤上が、あと何手で詰むのかも。……私はね、その音が聞きたくてこの劇を演じているんだ」
トリスタン様はそう言うと、盤上の「王」の駒を、指先で弾き飛ばしました。
バルコニーから落下した硝子の王は、暗闇の中で微かな音を立てて砕け散りました。
「綺麗だろう? 滅びゆくものが最後に上げる悲鳴は、どんな楽器よりも澄んでいる」
この方には、ヴァーミリオン家の行く末が見えている。
それは私のような、魔眼というものではなく、もっと別なものによるのだと、改めて思いました。
大聖堂の祭壇では、バルバロッサ大公が、棺に向かって仁王立ちしていました。 息子を失った父の悲しみ。 しかし、それ以上に彼の全身から立ち上っていたのは、神への激しい「怒り」でした。
「神よ! 見ているか! お前がどれほど我らから奪おうとも、私は屈しはせぬ!」
大公の怒号が、雷鳴とともに聖堂内に響き渡ります。 参列者たちは畏怖に震え上がりましたが、私は見てしまいました。 かつては太陽のように輝いていた大公のオーラが、今はどす黒い赤色に変色し、彼自身の肉体を内側から焦がし始めているのを。 「業火の呪い」は、確実に進行していました。
その怒りは、愛する子を奪われた父の悲しみではなく、自分の「所有物」を奪った神への、傲慢極まりない宣戦布告でした。
かつては太陽のように君臨していた彼のオーラは、いまや炭化した死肉のような赤黒い色に変じ、周囲の空気を不気味に焼き焦がしています。
大公の心臓が刻む激しい鼓動に呼応するように、足元の石畳からは、地下深くで眠る巨大な魔導エンジンが放つ微かな振動が、不吉な地鳴りとなって伝わってきました。
テオドラ王妃様は、その光景を、ただ無言で見つめていました。 黒いヴェールの奥の瞳は、乾ききっていました。 兄の死を悲しむ感情さえも、彼女は心の奥底にある「海の底」へと沈めてしまったのでしょう。 そうでなければ、この狂った家族の中で正気を保つことなどできないからです。
葬儀が終わる頃、雨はさらに激しさを増しました。 黒い雨に打たれる帝都アウレリア。 かつて黄金と称えられた都は、今や腐敗した薔薇の香りと、死の予感に満ちていました。
「……セシリア」
馬車へ戻る途中、テオドラ様がぽつりと呟きました。
「この雨音……。まるで、波の音のようね」
その言葉に、私は背筋が寒くなりました。
王妃様の耳には、もう都を飲み込もうとする「津波」の音が聞こえているのかもしれない。 もう、誰も止められない。
ジークムント卿という重しを失った帝国は、坂道を転げ落ちるように破滅へと加速していく。
窒息しそうな不安の中で、私はふと、あの銀色の仮面の男――ユリウスの言葉を思い出していました。
『この船はもう沈む。逃げろ』
あの夜は拒絶したその言葉が、今は唯一の救いのように、私の胸の中で点滅していました。 光を。 この漆黒の闇を切り裂く、あの鋭い銀色の風に、もう一度だけ触れたい。
私は強くドレスの裾を握りしめました。 それは、侍女としての忠誠と、一人の女としての渇望がせめぎ合う、痛いほどの葛藤でした。




