魔女の御伽噺
アージェント王国が勝利を宣言してから、ちょうど一年が経ちました。
王都ルミナスは、「戦勝一周年記念祭」の熱気に包まれていました。
白い花吹雪が舞い、広場ではリュートや笛の音が鳴り響き、市民たちはワインを酌み交わして英雄を讃えています。
「……セシリア。無理をして付き合うことはないんだぞ」
王宮のテラス。お忍び用のマントを羽織ったユリウス様が、心配そうに私を覗き込みました。 私は首を振りました。
「いいえ。……見ておきたいのです。 世界がどのように『平和』になったのかを」
私たちはテラスから、広場で上演されている「劇」を見下ろしていました。
それは、旅芸人の一座による、この戦争を題材にした演劇でした。
『さあさあ、お立ち会い! これよりお見せするは、西の海を支配した極悪非道、赤き悪魔の一族の最期だ!』
観衆がワッと沸き立ちます。 舞台に現れたのは、奇怪なメイクをした「魔女」でした。 ボロボロの赤い布をまとい、口からは赤い絵の具を垂らし、子供の人形をかじっています。
『ウヒヒ! 我はテオドラ! 海神の生贄となりて、人間の血を啜る夜叉なり! もっと血をよこせ! 子供の肉をよこせ!』
「……ッ!」
私は手すりを握りしめ、指の爪が白くなるほど力を込めました。
あれが、テオドラ様? あんな下品で、汚らしい怪物が? あの方は、誰よりも清らかで、誰よりも静かに愛を貫いた女性だったのに。
続いて登場したのは、ひょろりとした猫背の男。「トリスタン」役です。
『ヒィィッ! 助けてくれ、死にたくない! 部下などどうでもいい、俺様だけ助かればいいんだ!』
観客たちはゲラゲラと笑い、舞台に向かって腐った果物を投げつけました。
「死ね! 悪党!」「地獄へ落ちろ!」
その罵声は、かつて誇り高く散った私の主たちへ向けられた、二度目の処刑でした。
そして最後に、白銀の鎧を着た颯爽とした「勇者ユリウス」が現れ、魔女と悪党を剣で叩き斬りました。
広場は割れんばかりの拍手喝采。 正義は勝ち、悪は滅びた。なんて分かりやすく、残酷な御伽噺でしょう。
「……行くぞ、セシリア」
ユリウス様が、私の肩を抱いて背を向けさせました。 彼の顔は、苦痛に歪んでいました。 彼にとっても、あの劇は屈辱なのです。
彼が敬意を払った「好敵手」たちが、あんな道化として描かれていることに、誰よりも傷ついているのは彼自身でした。
部屋に戻ると、私はドレッサーの前で崩れ落ちました。 鏡に映る自分は、綺麗なドレスを着て、健康的な頬をしていました。 それが、どうしようもなく醜く思えました。
「……ユリウス様」
「なんだ」
「止めてください。あんな嘘、歴史に残してはいけません。 あの方々は、あんな怪物では……」
「できない」
ユリウス様は、窓の外の歓声を背に、力なく首を振りました。
「民衆は『分かりやすい悪』を求めているんだ。 戦争の傷を癒やすには、すべての罪を背負ってくれるスケープゴートが必要なんだよ。 ……俺が『彼らは立派だった』と言えば、遺族たちは納得しない。平和が揺らぐ」
彼は、王としての残酷な現実を語りました。 平和を維持するためには、ヴァーミリオンを「絶対悪」として固定しなければならない。 たとえそれが、死者への冒涜だとしても。
「すまない、セシリア。……俺には、彼らの命を奪うことしかできなかった。 彼らの名誉まで守る力は、今の俺にはないんだ」
英雄の肩が、小さく震えていました。
私は気づきました。
この人は、勝者になどなりたくなかったのだと。 ただ国を守るために剣を取り、結果として、愛する人の大切なものをすべて踏みにじってしまった自分を、誰よりも責めているのだと。
その夜、私は眠れませんでした。 月明かりの下、机に向かい、震える手で羽根ペンを取りました。
(私が……書かなければ)
世界中の誰もが彼らを忘れ、あるいは怪物として記憶したとしても。
私だけは知っている。 オクタヴィア大公妃の気高さを。 トリスタン公爵の孤独な知性を。 そして、テオドラ王妃様の、あの透き通るような純愛を。
もし私が黙ったまま死ねば、本当の彼らは永遠に消滅してしまう。 それは、肉体の死よりも恐ろしい「存在の死」です。
『生きなさい』
海の底で聞いた、あの言葉の意味がようやく分かりました。
ただ呼吸をして心臓を動かせという意味ではなかったのです。 「証人」になれ。
勝者が塗り替える歴史の奔流に抗い、たった一つの真実を後世へ運ぶ箱舟になれ、と。
「……書きます。すべてを」
私はインク壺を開けました。 真っ白な紙に、黒いインクが落ちます。 それは弔辞であり、世界への静かな反逆の始まりでした。
『これは、世界から怪物と呼ばれた、愛しき人々の記録である――』
ペン先が紙を走る音だけが、夜の静寂に響き始めました。 私はもう、白き檻の鳥ではありません。 墓守として、そして誇り高き赤の一族の最後の娘として、戦う武器を手にしたのです。




