第16話『涙の願いと、揺らぐ“陰キャの矜持”』
文化祭まで、あと三週間。
学校はどこもかしこも音があふれ、いつの間にか“戦場前のフェス会場”みたいな空気になっていた。
「蕨、この構成、こっちの方がいいかな?」
放課後、音楽室で逗子がイヤホンを差し出す。
「うん。そこのブレイク、八分だけタメ作ったほうが曲が締まる。あと、ドラムの入り、半拍だけ後ろに倒した方が映える」
音の話になると、蕨の口は自然と動く。
「それ! それだよ! お前、ほんと助かる!」
「……ま、まぁ……音のことなら、ね」
こうして表では裏方をしつつ――
蕨にはもう一つの日課があった。
放課後、人がいなくなった後の音楽室で、
毎日、こっそりスタンウェイを弾くこと。
もちろん、その見張り役はいつもの宿屋の娘だ。
「きょ、今日も誰も来なかったよ」
「そ、そっか……ありがと」
彼女は本当に毎日、廊下の角に立ち、誰か来ないか気配を探ってくれる。
(……なんでこんなに一生懸命なんだろ)
理由は分からない。
でも、その存在が心強いのは事実だった。
そんなある日のこと。
いつものように静かな音楽室で、蕨がスタンウェイを弾いていたときだ。
曲の余韻が消え、空気が落ち着いた瞬間――
「……ねぇ、蕨くん」
後ろから、宿屋の娘の小さな声。
「ん……?」
振り返った瞬間、彼女の顔が緊張でこわばっているのに気づいた。
「ひとつ……お願いがあるの」
「お、おねが……?」
娘はぎゅっと袖を握りしめた。
そして、息を吸い――
「文化祭で……ピアノ、弾いてほしいの」
「…………………………は?」
時間が止まった。
耳がバグったのかと思った。
「ふ、文化祭……で……?」
「うん。あなたの曲、すごく綺麗だったから……みんなにも、聴いてほしい」
「む、無理無理無理無理無理ッ!!」
全力バリバリな勢いで叫んでいた。
「ぜ、絶対無理だから!! 僕なんかが表に出るなんて……ただの住民が魔王の前にしゃしゃり出るようなもので……そ、それ裏切りだしッ!」
娘は驚かない。
むしろ、少しうつむきながら呟いた。
「裏切りじゃないよ……わたしは、そう思わない」
その声が震えている。
理由が分からず、蕨は言葉を飲んだ。
「わたし……あなたの曲、初めて聴いたとき……すごく嬉しかったの。胸がぎゅってして……」
そして――ぽたり、と涙。
「……えっ、ちょ、なんで泣いて……?」
蕨の声が裏返る。
女性が自分の前で泣くなんて、人生初すぎて脳が処理落ちした。
「ごめん……でも……こんなにも素敵なのに……誰にも届かないの、いやだよ……」
「……っ……」
「文化祭って、みんな自分の好きなもの出すでしょ……?
だったら……蕨くんも、自分の“好き”を出していいじゃない……」
涙の跡を残したまま、娘は必死に言葉をつなぐ。
「お願いだから……弾いてほしい……!」
――強い。
陰キャの抵抗なんて、一撃で押しつぶされるほどの“勇気”だった。
オレも陰キャだから、提案した彼女の覚悟がものすごく伝わる。
「……ちょ、ちょっとだけ……考えさせて……」
震える声で、それが限界だった。
「……うん。待ってる」
娘が微笑んだその瞬間、蕨の鼓動は完全にバグった。
その夜、ベッドに潜っても眠れなかった。
(……無理無理無理……いや……無理だけど……でも……)
布団に顔を埋める。
(泣くの……反則……だろ……)
頭の奥で、娘の言葉が何度も再生される。
『あなたの曲、すごく綺麗だった』
『みんなにも聴いてほしい』
(……考えるだけ……だから……! 弾くとは言ってない!)
自分に必死で言い訳をしながらも――
蕨の心は、もう揺れ始めていた。
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