第15話『巻き込まれていく日々』
文化祭の準備が本格的に動き出して一週間。
校舎全体が、まるで巨大なライブハウスの控え室みたいな熱気に包まれていた。
そんなある放課後、逗子が突然、真剣な顔で蕨の前に立った。
「蕨。ちょっと話いい?」
教室に残っていた生徒たちが練習道具を抱えて出ていく中、
逗子だけが靴の先をつつきながら落ち着かない。
(……珍しいな。逗子が緊張してる)
そう思った瞬間、彼は勢いよく切り出した。
「スタッフ、やってくれないか?」
「……スタッフ?」
「文化祭ライブの。裏方ってマジで重要なんだよ。
音響とか段取りとか……お前しか頼めないっていうか……頼みたい」
そこには一切の軽さがなかった。
優勝を本気で取りに行く覚悟が滲んでいる。
蕨は少しだけ迷い、そっと目をそらして息を吐いた。
「……裏方なら、いいよ」
人前に出なければ大丈夫。
それに、逗子たちの“本気”を見てしまったらもう断れなかった。
「マジ!? 助かる! お前しかいねぇと思ってた!」
逗子が子犬みたいに喜び、隣で鵠沼も誇らしげにうなずく。
(……まぁ、裏方だし)
胸の奥の小さな不安を押し込めながら、
蕨は文化祭準備の濁流へと巻き込まれていった。
そこからの日々は、驚くほど忙しく、そしてどうしようもなく楽しかった。
逗子たちはステージ構成を何度も練り直し、
蕨は隅で音合わせを聞きながら、
「ここのテンポ、微妙に走ってる……かも」
「サビ前、もう少しタメ作ったほうが……映える」
と、必要最低限の声量で助言する。
「これだわ!」と即座に反応してくれるのが、またどうしようもなく嬉しい。
そしてなぜか――宿屋の娘も、毎日のように音楽室前の角から顔を覗かせた。
「きょ、今日も来てたの?」
「(小声)見張りだよ。危なそうな人、いなかったから安心して」
蕨は思わず想像してしまう。
城へ呼ばれた住民を、城門の影から必死に見守る宿屋の娘――。
(……危なくはないと思うけど)
けれど、その必死さが微笑ましくて、何も言えなかった。
学校中が音と光にあふれ、
昼休みに動画撮影が始まり、
放課後の廊下は機材置き場になる。
文化祭という名の戦場へ向けて、
全校が同じ方向へ突き進む一体感すらあった。
ただ一つだけ、どうしても気にかかることがあった。
――“勇者御一行”による謎の投稿が、完全に止まっている。
最初は二、三日に一度は来ていた挑発めいたメッセージ。
ふと、その独特の口癖を思い出す。
胸の奥に小さく刺さるものがあった。
けれど、すぐに今日の光景がよみがえる。
みんなで笑って、音を合わせて、夜遅くまで準備して――。
(……まぁいっか。今は楽しいし)
蕨はスマホをポケットに戻した。
ここ最近の蕨は、驚くほど平穏で、そして満たされていた。
スタッフとしての仕事は増え、
逗子や鵠沼は心から信頼してくれる。
宿屋の娘は毎日のように見守ってくれる。
クラスメイトも、蕨の位置を自然に受け入れてくれていた。
まるで“普通の高校生活”が自分にも訪れたみたいで、
その錯覚が少しくすぐったい。
(……悪くないな、こういうの)
放課後の教室で、バンドが笑いながら音を鳴らしている。
その音を後ろから支える自分がいる。
誰にも正体がバレず、みんなとふざけて、
練習終わりにアイスを買って帰る日だってあった。
――なんだこれ。めっちゃ平和じゃん。
陰キャの自分が表に出すぎている気はしたけれど、
それでも、この日常に少しずつ慣れ始めていた。
「音楽やっててよかった」
文化祭の熱は日に日に高まり、
蕨の胸の奥の“幸福”もゆっくり積もっていく。
そして、その温度に安心しすぎて――
目の前に迫る危機に、気づく力を失っていく。
――この平和は、長く続かない。
そんな当たり前の結末を、
まだ、誰も知らない。
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