第12話『秘密の始まり』
スタンウェイの余韻が、まだ音楽室の空気に漂っていた。
最後の和音が天井に溶けていくと同時に、眼鏡の女子――宿屋の娘が、そっと小さく息を吸った。
そして――
「……っ、すっごく……よかった……」
パチ、パチ……と、控えめな拍手。
その音だけで、蕨の胸の奥がじんわり熱くなる。
しかし次の瞬間。
「やっぱり……あなたの音だよね」
「……え?」
彼女は胸の前で手を握りしめながら、勇気を振り絞るように口を開いた。
「あなた……もしかして……ここ町P……?」
その瞬間、蕨の脳内で何かが爆発した。
ただの住民が宿屋の娘にいきなり「裏ボスですか?」と聞かれている。
「い、いや、ちがっ、いやそのっ、えっとあのっ……!」
語彙力ゼロ。
顔面蒼白。
住民、ここに来て最大のピンチ。
あたふたする蕨を見て、彼女はくすっと微笑んだ。
「大丈夫。……誰にも言わないよ。絶対に」
その優しい声に、膝が抜けそうになる。
心臓がバクバクとうるさい。
小さい時に一度出たことがある、ピアノの発表会よりも緊張してる。
「なんで……?」
かすれた声で問うと、彼女は恥ずかしそうに視線をそらした。
「わたし……人が多いところ、苦手で。掃除道具入れが一番落ち着くの」
「それで、よく隠れてたんだけど……あなたのピアノが聴こえてきて。つい……出てきちゃった」
その語り方。
その口癖。
その言い回し。
――もしかして、
(この言い方……! 謎の投稿者"勇者御一行"……!?)
でも、言えなかった。
ここで疑ったら、壊れてしまう気がした。
なにより。
彼女が味方でいてくれるなら。
彼女が「大丈夫」と言ってくれるなら。
もう、それでいい。
「……ありがとう。本当に……ありがとう」
震える声で絞り出すと、彼女は嬉しそうに頷いた。
その日から――
蕨はこっそり放課後の音楽室に出向き、スタンウェイに触れるようになった。
そして、掃除道具入れの横には彼女がいて。
誰かが来ないか静かに見張りながら、蕨の音を聴いてくれた。
演奏が終わるたびに、まっすぐな声で称賛してくれた。
「今日の旋律、すごく綺麗だった」
「このフレーズ……ここ町Pの“らしさ”が溢れてて好き」
「わたし、あなたの曲全部聴いてるよ」
その言葉が、胸の奥にまっすぐ刺さる。
自分の曲は、誰かに届いていたのだと。
こんなに近くで、こんなに真剣に聴いてくれる人がいたのだと。
承認欲求がじわじわと満たされていき、固まっていた心が温度を取り戻していく。
――そして気づけば。
(……浮かぶ。曲が……出てくる……!)
指先が、また音を生み始めた。
蕨は気づいていなかったが”一人の宿屋の娘に聞かせたい”という思いが、今まで以上の作曲意欲を生んでいたのだ。
スランプの霧が晴れ、進化したここ町Pの“音”が戻ってきた瞬間だった。
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