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タイムリープ ~アルバムが告げる、二十二年目の真実~  作者: 結城智
第二章 ぼくらの正解はひとつじゃない――桜井詩音、救出作戦
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第八話 「ありがとう」のあとで、僕は悪役を選ぶ

 翌日から、霧ヶ峰はすぐ動いた。

 最初は見守りのための声かけだったはずが、気づけば二人は自然に並んで笑っている。作り物じゃない距離感。もう、普通に友達だ。

 休み時間、陸と話していると、そのまま二人が輪に入ってくることも増えた。おかげで僕も陸も、桜井と普通の世間話ができるようになった。

 桜井は口数は少ないが、意外にサッカー観戦好きで、陸と妙に盛り上がる。


「和真はやるくせに観ないからな。詩音のほうが海外の選手詳しいし。たまに俺よりマニアックなんだよな」


 陸は嬉しそうだ。彼は桜井がいじめられていた事実を知らない。

 すべては、うまく回り始めていた。その時点では、心からそう思っていた。

 二週間ほど経った放課後。教室で二人きりになったタイミングで、僕は礼を言った。


「霧ヶ峰さん。ありがとう」

「え、なにが?」

「桜井さんと、仲良くしてくれて」


 視線で周囲を確認して、小声で。霧ヶ峰は「ああ」と前髪を払って、肩をすくめた。


「礼を言われることじゃないわ。むしろ私がありがとうって言いたいくらい。きっかけは不純でも、今はちゃんと友達。いじめが止んでも、この関係は変わらない」


 窓の光に目を細める横顔は、涼しく、どこか誇らしげだった。

 安堵が広がる。ただ、一つだけ気になる。


「桃井さんたち、最近は桜井さんに近づいてない?」

「私といる時はね、特に」


 霧ヶ峰は視線を外に滑らせ、長い睫毛の影を落とす。


「でも、さすがに四六時中はいっしょにいられない。空白の時間はあるわ」

「だよね……」

「それに詩音は我慢強すぎる。もし何かされても、私には言わないと思う」

「どうして?」

「私に言ったら、加害側がしばかれるって、心配するからでしょ」


 物騒なのに、妙に正確だ。


「……わかる気がする」

「なに、その納得顔」


 頬をふくらませ、指先で僕の袖をちょん、とつつく。


「ともあれ、空白はリスク。私の目が届かない時は」

「僕が見る。抜けを埋める」

「うん。お願い」


 短い合図。切れ長の目が凛と笑う。

 ――油断しない。

 胸の中で、もう一度だけ固く結んだ。




 嫌な予感は、だいたい当たる。

 部活を終えて帰り支度をしていると、教室に忘れ物を思い出した。


「ごめん。カバン置いてきた。取ってくる」


 素早く着替えてロッカーへ押し込み、陸に一言だけ告げて部室を出る。

 十八時を回った廊下を早歩きで上がり、教室の前――ドアが半開き。中の気配。壁際に身を寄せ、耳を澄ます。


「詩音、最近あんた調子乗ってんでしょ! 霧ヶ峰とベタベタするだけじゃ飽き足らず、一ノ瀬や日向まで――」


 甲高く刺す声。桃井さんだ。


「そうよ。日向はともかく、一ノ瀬と仲良くとか、生意気」


 これは沢尻。嫌味の角度がいやに整っている。……ていうか、日向はともかくってどういう差別だよ。


「……ごめん。でも、私が誰と話すかは、久美ちゃんたちには関係、ないから」


 小さく置くような声。桜井だ。静かな反論は、火に油だった。


「はぁ? 何それ。今までぼっちだったくせに、いきなり態度デカくしないでくれる?」


 桃井の語尾が刺々しく跳ねる。

 しばらくは罵声だけで済んでいた。が――桃井の笑い声の色が変わる。


「……ちょっと、痛い目見せよっか。裸、ネットに晒してやれば、もう二度とデカい口きけないでしょ?」

「それ、いい!」


 沢尻が舌を鳴らす。


「私と裕美で押さえるから」

「……えっ、や、やめて……」


 悲鳴。椅子が擦れる音。最悪のルートに入った。

 気づけば、もう体が動いていた。


「――その辺にしとけよ」


 教室に踏み込むと、三人とも振り向いた。桜井は沢尻と遠野に肩を押さえられ、上着が半分、落ちかけている。


「な、なによ! 日向に関係ないでしょ!」


 遠野がヒステリックに跳ねる。


「そうよ! 勝手に入ってこないで!」


 沢尻が目尻をつり上げる。


「聞こえなかったのか。――その辺に、しとけ」


 抑えていたものが、声に滲んだのが自分でもわかった。多分、顔も相当きつかったのだろう。二人は肩を震わせ、青ざめる。


「……わかったわ。愛、裕美、行くよ」


 桃井が短く合図する。

 沢尻と遠野は桜井から手を離し、僕と目を合わせないまま足早に出ていった。桃井だけは僕の前に来て、真っ直ぐ睨み上げる。


「日向。わかってると思うけど――チクったら、詩音がどうなるか、覚悟しておきなさい」


 吐き捨てて、踵を返す。

 ドアが閉まる音まで見届けてから、僕は息を吐き、桜井へ向き直った。


「……大丈夫?」


 できるだけ柔らかい声で尋ね、歩み寄る。


「ひ、日向くん……このこと、翼ちゃんには言わないで」


 食い気味に、震える声が落ちた。


「翼ちゃん? ――霧ヶ峰さんのこと?」


 思わず聞き返す。見上げてくる瞳に、涙が縁どっていた。胸の居心地が、悪い。


「……翼ちゃん、ね。ぜったい、桃井さんたちをぼこぼこに、しちゃうから」


 真顔で言うな。危うく吹き出すところだった。いや、冗談じゃなく、しそうなのが怖い。


「それに、心配……かけたくないから」


 胸元を押さえて、うつむく。霧ヶ峰は最初から気づいてるんだけど、とは口が裂けても言えない。


「でも、見ちゃった以上、放っておくわけにはいかないよ。今回は止めに入れたけど、もし誰もいなかったら、桜井さんは今頃――」


 脱がされていた、までは言えなかった。でも、桜井も察したのか、頬まで真っ赤にして視線を落とす。


「……私、たしかに、調子に乗ってたのかも」


 ぽつりと落ちる声。


「翼ちゃんみたいに格好良くて、誰とでも仲良くなれる人が、私と一緒にいるのがおかしいんだよ。……私なんて、一人で本読んでるほうが、いいのかなって。……嫌がらせが、翼ちゃんに移ったら、いやだから」


 言葉は淡々としているのに、手の甲は小さく震えていた。


「それで、霧ヶ峰さんと距離を置いて、元の一人に戻るって?」


 気づけば、声が荒くなっていた。桜井はぱちぱちと瞬き、僕を見上げる。


「その言葉、言う相手が僕で良かったね。霧ヶ峰さんに言ってたら……桜井さん、ほんとにぼこぼこにされるかも。――いや、違うな」


 僕は首を横に振った。


「ぼこぼこにされた方がマシかも。きっと、酷く落ち込むよ」


 それは間違いない。霧ヶ峰はきっかけが不純でも、今は友達だって、心から言っていた。簡単に距離を置くなんて言われたら、しばらく立ち直れない。


「……そう、だよね。ごめん、私……最低」


 桜井は素直に頷くと、そっと顔を上げた。さっきまで影を帯びていた表情に、蝋燭の火みたいな明るさが灯る。


「ありがとう。……翼ちゃんの言った通り、日向くんって、やさしいね」

「やさしい? クズの間違いじゃない?」

「えっ? 翼ちゃんが、そんなこと言うはずないよ」


 くす、と細く笑う。


「……だよね」


 つられて笑って、すぐに真顔に戻る。

 ――僕はこの時、決めていた。

 最終手段として、ひとつだけ残していたやり方がある。霧ヶ峰や陸の手を借りない、僕ひとりでやるべき方法。


 綺麗事はもう要らない。桜井を救うためなら、汚い手段でも構わない。

 願わくば、これからやることを――霧ヶ峰にも、陸にも、桜井にも知られずに済みますように。

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