第四十二話 二つの卒業証書
最初はジェットコースター。次にコーヒーカップ。四人で笑いながら、まるで学生時代に戻ったような時間を過ごした。
「次はメリーゴーランドね」
「ええ、メリーゴーランドって……ちょっと恥ずかしいんだけど」
「は? なにをバカなこと言ってるの? メリーゴーランドはロマンよ。そんな発言してると、和真って呼ぶわよ」
「うわー、それは嫌だな」
ちょっと、人の名前を悪口みたいに使うのやめて。てか、陽翔も“嫌だな”ってどういう意味だよ。
「……二人とも元気すぎ。少し休ませて」
もう僕も三十七歳。休憩なしでアトラクションを回る体力なんて、とうに残っていない。
「なんだよ、ジジイみたいなこと言うなよ」
「陽翔。日向くんはもうジジイなのよ……え? 今、お前もババアだって言ったわね。謝りなさい、処刑するわよ」
「いやいや、俺、何も言ってないし!」
霧ヶ峰に首根っこを掴まれて、焦った顔で暴れる陽翔。
……なんだこの二人、仲良すぎじゃない? ちょっと嫉妬するんだけど。
「美羽。じゃあお母さんは、陽翔とランデブーしてくるわ」
「え、ランデブー?」
「そう。大人の社交辞令」
「……昭和じゃん」
「うるさいわね。いいの、言葉に味があるのよ」
「じゃあ、美羽は日向くんが誘拐されないよう見張ってて」
「うん、いってらっしゃい」
マイペースに手を振る美羽。ああ、さすが娘。もう慣れっこの顔だ。
そして自然と、僕と美羽の二人が残る形になった。
「座りましょうか」
美羽は近くのベンチをちらりと見て、にこりと微笑んだ。その笑顔が、春の光みたいに柔らかい。
「ねえ、和真さん」
「ん?」
「見せたいものがあるんです」
ベンチに座るなり、美羽はカバンからスマホを取り出した。ほんの少しだけ得意げな顔をして、画面をこちらに向ける。
「これ……」
「あっ」
思わず声が漏れた。画面に映っていたのは、卒業アルバムの写真を撮ったもの。
三度目のタイムスリップの時、美羽が選んだ、あの写真だった。
卒業の日。霧ヶ峰さんは卒業証書を抱えて、カメラに向かって少し切ない表情を浮かべていた。あの時までは、そう記憶していたのに。
「でも、今は違うんです」
美羽が小さく笑って、画面を指でそっとなぞった。
そこに写る霧ヶ峰さんは、卒業証書を二つ抱えていた。そして、清々しいほどの笑顔でカメラを見つめていた。
未練も、後悔も、どこにもなかった。
ただまっすぐに、誰かの未来を信じるような笑顔だった。
「母、変わったんですよ」
美羽の声は、春風みたいに優しかった。
「……そうだな。いい顔してる」
「でしょ? 私、この写真、大好きなんです」
そう言って笑う美羽の頬が、少しだけ赤く染まって見えた。
「和真さん。お母さんを助けてくれてありがとうございます」
美羽は、まっすぐに僕を見つめ、深く頭を下げた。
「……違うんだ」
「えっ?」
「ありがとう――それは僕の方が言うセリフだよ」
彼女は、僕が過去に戻って翼さんを救ったと思っている。けれど、本当は違う。僕一人の力じゃなかった。
「最初は、一人で戦うつもりだった。未来を変えなきゃって、そればかり考えてた。使命感に駆られて、誰の手も借りずに、孤独でもやり遂げようって」
僕はそこで小さく笑った。
「でも……途中で気づいたんだ。僕の背中を押してくれる人がいたって。手を差し伸べてくれる人が、ちゃんといたんだ。だから、助けられたのは僕の方だった」
口にした瞬間、胸の奥にずっと絡みついていた何かが、ふっとほどけていくのを感じた。
傍観者のまま見過ごしてきた過去も、後悔も、全部。
「世界は、綺麗なものばかりじゃない。理不尽もあるし、誰だって黒い部分を抱えてる。でも、人間は悪だけじゃない。ちゃんと、優しさも持ってる」
言葉が、まるで自分の中から溢れるように出てきた。
「だから、もう決めたんだ。世界を善か悪かで決めつけるのはやめようって。信じたい方を信じる。その方が、ずっと気楽に生きられるから」
風が、メリーゴーランドの音と一緒に頬を撫でていった。
「……それを教えてくれたのは、美羽ちゃんだよ」
そう言うと、美羽は目を丸くして、そして嬉しそうに笑った。その笑顔を見た瞬間、ああ、本当に終わったんだ、と思えた。
過去も、後悔も、全部が。
メリーゴーランドから帰ってきた二人を出迎えたあと、僕たちは軽食コーナーで軽く食事をとった。ポテトの匂いと焼きそばのソースの香りが風に混じって、なんだか学生時代の文化祭を思い出す。
それからまたいくつかのアトラクションを楽しんで、気づけば空はすっかり夕暮れだった。
観覧車の向こうで太陽がゆっくり沈んでいく。オレンジ色の光が、四人の影を長く伸ばしていた。
「じゃあ、陽翔。一緒に乗ろ」
「お、おう……」
いきなり美羽に手を掴まれる陽翔。その拍子に、美羽が霧ヶ峰へウインクする。
――やられた。完全に仕組まれてた。
二人はそのまま観覧車に乗り込み、僕と霧ヶ峰だけが残された。
「ああ……美羽に、変な気を使わせちゃったわね」
「そっか。美羽ちゃん、ずっと霧ヶ峰さんが僕のこと好きだって思ってたから」
「まあ、半分は当たってたのかもね」
軽く肩をすくめて、霧ヶ峰は観覧車を見上げた。
「もう二十二年前のことなのに、あの子は……ほんと、誰に似たのかしら。お節介で、勘が鋭くて、かわいい顔して人の恋路を勝手にプロデュースするし」
「完全に、母親譲りじゃん」
「は? あなた今、私が同窓会でクラスメイト全員を爆破して、殺した殺人犯だって言った?」
「いや、言ってないから!」
「ちゃんと、日向くんは生き残したでしょ。優しい犯人よ、私は」
「リアルにやめて。トラウマなんだから」
マジで笑えねぇ。このタイミングでそんな話をぶっ込んでくるなよ。
……でも、なんか、少しだけ懐かしかった。
「まあ、いいわ。観覧車、乗りましょう」
そう言って、霧ヶ峰はくるりと振り返った。
夕陽を背に、ほんの一瞬だけ――照れくさそうに、口元を緩める。
その笑顔が、二十二年前とまったく同じで、思わず、息を飲んだ。




