第四十話 二十二年後の僕らは、もう傍観者じゃない
会場に戻ると、中はさっきよりもずいぶん騒がしくなっていた。
僕は真っ先に霧ヶ峰さんのもとへ向かう。目が合った瞬間、彼女はしてやったりの顔をした。
「ずいぶんなドッキリを仕掛けてくれたな」
「あら。その様子だと、美羽に会えたのね」
霧ヶ峰は悪びれる気配もなく、テーブルのつまみを指でつまんだ。
「笑えない冗談だぞ」
「そうね……ごめんなさい。でも、さっきも言ったとおり、二十二年は長かったの。こっちと違って、さらっと時を超えて戻ってくる日向くんを思うと――悪戯のひとつやふたつ、したくなるものでしょ?」
……その悪戯、正直トラウマものだったから、もう勘弁してほしい。
そのとき、ステージに上がった桃井が、最初の挨拶の時よりもずっとハイテンションでマイクを握った。
「皆さん、ずいぶん盛り上がっているようですが――縁もたけなわ。楽しい時間も、そろそろ終わりに近づいてまいりましたー!」
酔っているのか、やたら抑揚の強い喋り方だ。
大丈夫だろうか……ステージから落ちたりしないよね、と他人事みたいに心配していると、桃井は「へへへっ」と、ちょっと妖怪じみた笑いを漏らした。
「じゃあ、最後は誰に締めてもらおうかな?」
いきなりの無茶ぶりに、会場のあちこちから「えー!」という戸惑いの声。
「締めだし、最後はちょっと感動する話をしてもらっちゃおうかな!」
さらに無茶を重ねる。……指名された人は、完全に災難だ。
桃井は、戸惑う面々の表情を楽しむように、ゆっくりと会場を見渡した。
そして、これでもかというオーバーリアクションで腕を上げ、真正面を指差す。
「よし。あなたに決めたわ!」
その指先に合わせて、視線が一斉にこちらへ向く。
乾杯が霧ヶ峰だったから、締めは桜井? いや、ここは旦那の陸で締める流れか? それとも、王道で友人の沢尻?
誰が当たるのかと、ニヤけそうになる頬を必死に抑えつつ周囲を確認。
……あれ? なんだ、この感じ。
霧ヶ峰、陸、桜井、沢尻――全員、なぜか僕を見ている。
「なに知らん顔してるの、裏切り者。――日向和真。私はあなたを指してるのよ」
桃井は、手をくいくいと上に振って、ステージへどうぞの合図。
自分じゃなくてよかった、という安堵からか、会場は大笑いに包まれた。
「やっぱり和真だったか。桃井、ずっと根に持ってたからな」
「霧ヶ峰が乾杯なら、締めは日向くんでバランスいいよね、納得」
「日向くん、早く行って!」
四方から飛ぶ声に、僕の足がすくむ。心の準備ゼロで締めの挨拶なんて、大役が過ぎる。
すると、その硬直を察したのか、霧ヶ峰が背中に手を当てた。
「大丈夫。型どおりじゃなくていい。――日向くんらしい挨拶をすればいいの」
日向くんらしいって、なんだそれ。
心の中で突っ込みつつも、不思議と呼吸が整っていく。
「日向くん、ガッツだよ!」
と、根性論の沢尻さん。
「十分は喋れよ、和真」
と、無茶振りな村井先生。
「大丈夫だよ。日向くんなら」
と、根拠のない励ましの桜井さん。
「泣かせてくれよ、和真!」
と、笑顔は一等賞の陸。
ほかの面々からも、半分はやし立て、半分は本気の声援が飛ぶ。
僕は、ゆっくりとステージへ向かった。
マイクを握り、中央へ。隣の桃井に「無茶ぶりするね」と小声で言うと、「大丈夫、骨は拾ってあげるから」とニヤけた。
やれやれ。転ぶ前提か。――でも、その方が肩の力は抜ける。
一呼吸。正面を見据える。
さっきまでの喧噪はすっと引いて、温かい視線だけが集まっていた。
「ご指名にあずかりました、日向和真です。二十二年ぶりに、皆さんの元気な顔を見られて心から、ほっとしています」
「二十二年間、どこに失踪してたんだー!」
どこかから飛んだ野次に、会場がやわらかく笑う。
「そうですね。失踪の噂、僕も耳にしました。あながち間違いではありません。断言できるのは――中学を卒業してから今日ここに来るまで、誰一人、僕を見ていないということです」
ざわめきが走る。
「見たことない」「同じ高校だったのに」――そんな声が波紋のように広がった。
「三年B組の中には、中一や中二の僕を知ってる人も多いと思います。でも中三になった途端、きっとみんなこう思ったでしょう。あいつ、いつも傍観者で、事なかれ主義だよな――って」
僕は静かに言葉を継ぐ。
「信じられないかもしれませんが、僕は皆と過ごした中三の一年を、ずっと前に、もう一つの世界で経験していました」
会場が静まる。誰も笑わない。誰も口を挟まない。
僕は、絵本を読むみたいに穏やかな声で続けた。
「もう一つの世界での僕は、見て見ぬふりの傍観者でした。教室にはいじめがあって、気づいていながら目を逸らした。霧ヶ峰さんが“助けよう”と声をかけてくれたのに、面倒を恐れて知らんぷりをした――結局、その子は転校して、クラスはバラバラ。運動会も文化祭もまとまらなくて、卒業式の日、僕は一度も振り返らなかった。そんな灰色の一年でした」
言い終えて、胸の奥が小さく疼く。
もう一度、皆の顔を見渡した。
「それから二十二年後。神様みたいな存在が言いました。“やり直す機会をあげよう”――って。そして僕は、もう一度、中三に戻った。今度こそ傍観者をやめて、当事者になると決めた。怖かった。けれど、前を向けば手を差し伸べてくれる人たちがいた。一人で未来を変えるなんて、ただの傲慢だった。みんながいたから、僕は歩けた。あの灰色の一年が、ようやく色づいたんです」
深く、頭を下げる。顔を上げても、会場は静かなままだ。
真剣なまなざしだけが、こちらを見ていた。
「――まあ、今の話は、全部作り話です」
軽く笑って肩の力を抜くと、張りつめていた空気がゆるんだ。
「びっくりした」「リアルすぎ」――そんな声が小さく混ざる。
「でも、ここからは本当の話です」
マイクを握り直し、息を整える。
「僕たち三年B組の一年は、確かに“色”がありました。うまくいかない日も、悔しい日もあったけど、誰かが誰かの名前を呼べば輪ができた。肩を並べれば、前に進めた。二十二年という時間の中で、きっとみんな、理不尽や別れ、どうしようもない夜をくぐってきたと思う。そんなときこそ、思い出してほしい。あの一年、ひとりじゃなかったという事実を」
舞台の光に、懐かしい顔が浮かぶ。
霧ヶ峰。陸。桜井さん。
そして――あの頃の僕たちが、確かにそこにいた。
「願っています。三年B組のみんなが、これから先も――迷ったときは、誰かの手を取れる人であってほしい。うまくいったときは、その手を取って、誰かを引き上げられる人であってほしい。迷う日も、笑う日も、僕らはきっとつながっている。次の同窓会でも――今日みたいに笑って会おう」
一拍の静寂。
「それじゃあ、この素晴らしい一夜と、僕らのこれからに。ありがとうございました」
マイクを離れ、深く礼をする。
次の瞬間、雨のような拍手が降り注いだ。歓声が重なり、グラスが鳴り、笑い声が弾ける。
僕は客席に手を振った。胸の奥で、静かに鐘が鳴る。
――たしかに、終わった。
――たしかに、始まった。
こうして同窓会は幕を閉じた。
惨劇は、もうどこにもなかった。
それぞれの帰り道に灯りがともり、それぞれの明日が、また静かに始まっていく。
最終章 終




