表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
タイムリープ ~アルバムが告げる、二十二年目の真実~  作者: 結城智
最終章 二十二年後の僕らは、もう傍観者じゃない
38/43

第三十八話 守った未来に、君はいなかった

「中学三年の卒業式。あの日は、やけに桜が綺麗でした。


 ……まあ、当時の私、花なんて興味なかったはずなんですけどね。

 それでも――今でも、あの光景だけははっきり覚えています。

 泣きたくなんてなかったのに。夜になって、布団の中でこっそり泣いた。

 その時の自分を、今でも思い出します。


 三年B組は、本当にいいクラスでした。

 面倒なことも、理不尽なことも、数えきれないほどあったけれど――

 それ以上に、誰かと笑える時間が多かった。


 文化祭も、運動会も。

 みんなで夜遅くまで残って準備して、疲れ果てて、くだらない話をして笑って。

 今思えば、あれ全部が“青春”のテンプレだったのかもしれません。

 あの頃の私たちは、全員が少しずつ“傍観者”から“当事者”になっていった。


 未熟で、要領も悪くて、でも真っ直ぐで。

 何もかもがうまくいくはずもないのに――それでも、誰かを信じていた。

 ……そういうのを、きっと“青春”って言うんでしょうね。

 今なら、わかります。


 二十二年経った今、こうしてまた集まれる。

 それって、当たり前のようで。本当は、奇跡みたいなことなんだと思います。

 今日だけは、仕事も、家庭も、過去の失敗も、ぜんぶ置いて。

 十五歳の私たちに、ほんの少しだけ戻ってみませんか。


 ――それじゃあ、二十二年ぶりの再会に。

 そして、これからも続いていく私たちの物語に」




 霧ヶ峰がグラスを掲げた瞬間、会場にいた全員が声をそろえた。


「――乾杯!」


 無数のグラスが触れ合い、澄んだ音が弾ける。

 その音を合図に、周囲では笑い声が次々と咲きはじめた。


 懐かしい話、昔の失敗談――誰もが「戻れない時間」を確かめるように語り合っている。

 けれど、僕の視線はただひとりの方向に釘付けだった。


 ――霧ヶ峰。

 ステージを降りた彼女は、声をかけられるたびに微笑み、軽く手を上げて応じていた。

 けれど、その足取りは止まらない。まるで何かを確かめるように、まっすぐ僕の方へと歩いてくる。

 胸の奥で、懐かしい鼓動がひとつ弾んだ。


「――久しぶり」


 彼女はほんの少し息を整え、微笑んだ。

 嬉しさと照れくささ、そしてどこか張りつめたような感情が入り混じった笑顔。

 二十二年という時間が、ようやくここで繋がった気がした。

 気を利かせたのか、陸と桜井がそっと席を外す。僕と霧ヶ峰だけが、テーブルの端に取り残された。


「久しぶり――になるのかな。数時間前に会ったばかりの気がするのに」


 自分でもおかしくて、思わず笑ってしまう。


「霧ヶ峰さんが、ずいぶん綺麗になってて……びっくりしたよ」


 それは飾りのない本音だった。

 中学時代の面影を残しつつ、彼女はすっかり大人の女性になっていた。

 髪の艶も、姿勢も、笑みの深さも――年月が重ねたものすべてが美しい。


「そう……そうなるのよね」


 霧ヶ峰は静かにグラスを見つめながら言った。


「日向くんにとっては、ほんの数時間。でも、私にとっては二十二年……長かったわ」


 その言葉のあと、グラスの中の氷が、からんと鳴った。その小さな音が、時間の重さを告げるようだった。


「僕が中学に行った――タイムスリップのこと、本当に信じてた?」


 ずっと気になっていたことを、そのまま口にする。霧ヶ峰は天井を仰ぎ、少しだけ目を細めた。


「半々かな。最初のうちは、信じてた。だって、卒業してから本当に日向くんが消えちゃったんだもの。だから、あのときの言葉――嘘じゃなかったんだって思ってた。でもね、大人になるにつれて現実的に考えるようになったの。タイムスリップなんて、ありえないって」


 霧ヶ峰は苦笑する。

 それでも、その瞳の奥にはまだ信じたい光が揺れていた。


「いや、それが普通だよ」


 僕は軽く息をつきながら、笑った。


「むしろ僕も、霧ヶ峰さんが信じてくれてたかどうか、半信半疑だった」


 ふと、彼女がグラスを置いたとき――左手の薬指が目に入った。

 細い金の指輪が、照明を受けて静かに光る。無意識のうちに、僕はその輝きを見つめていた。


「……その、結婚したんだね」


 言葉にした瞬間、自分でもわずかに声が揺れた。結婚していたことは知っている。けれど、離婚していたはずだ。


 少なくとも、僕の知る世界では。

 なのに、彼女の左手には、今も指輪があった。

 小さな違和感が、胸の奥でじわりと広がっていく。

 霧ヶ峰の表情が一瞬だけ固まり、右手でそっと指輪を隠す。


「……ごめんなさい」


 掠れた声。その一言で、会話の温度がすっと下がった。

 静寂が、まるで薄いガラスのように二人の間を隔てる。


「なんで、謝るの?」


 思わず問い返す。霧ヶ峰は苦い笑みを浮かべ、かすかに唇を震わせた。


「だって……あのとき、約束したでしょ。未来でまた会おうって。――娘の美羽と一緒に」


 その名を口にした瞬間、胸がきしむ音がした。

 彼女の声は、夢の続きを語るように静かだった。


「でも、私は違う運命を辿ってしまったみたい。今の私は、離婚もしていない。子供も二人いる。でも、その中に“美羽”という名前の子はいないの」


 彼女は自嘲気味に微笑み、続けた。


「……全然違う人生を歩いてるの。あのときの日向くんと過ごした記憶は、もう夢みたいにぼやけてる。けどね、心のどこかには、ずっと残ってるの。忘れられない、夏の日みたいに」


 胸の奥が軋む。世界の地図が、音もなく塗り替えられていく感覚。

 僕が信じてきた未来――陽翔と美羽。

 そして、霧ヶ峰の娘として生きた“あの美羽”の存在が、この世界にはない。


 同じはずの世界で、彼女は別の人と家庭を築き、別の子どもたちを抱いている。

 それが、何よりも現実的で。そして、何よりも残酷だった。

 指輪の輝きが告げていた。


 ――ここには、美羽はいない。

 心臓が強く締めつけられる。


 守ったはずの未来が、存在しない。

 その事実が、静かに、深く、僕を壊していく。


「……そう、か」


 声にならない声を、なんとか押し出した。霧ヶ峰は微かに頷き、言葉を探すように視線を泳がせた。

 だが、もう何も聞こえなかった。

 脳裏に浮かぶのは――あの笑顔。美羽の笑顔が、何度も何度も浮かんでは消えていく。


「……ちょっと、ごめん。少しお手洗いに」


 立ち上がる声が、自分のものとは思えなかった。グラスの中の氷が溶けきり、水音を立てる。

 彼女が何かを言いかけたが、僕は聞かずに歩き出した。


 ――ここは、僕の知る世界じゃない。

 息が詰まる。足が震える。壁に手をつき、うつむいた。喉の奥が焼けるように熱い。

 拳が震え、声が漏れる。


「……美羽、ちゃん……」


 返事はない。

 この世界には、もうあの子はいない。


 それが――僕の救ったはずの未来の、代償だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ