第三十六話 二十二年ぶりの再会は、笑って怒られた
受付を沢尻さんと一緒に済ませ、会場の扉に手をかけたその瞬間、肩にすっと手が置かれた。
この感触。まさか、と思い振り返る。
「やっぱり、日向くんだ」
そこに立っていたのは、やっぱりこの人だった。
顔立ちは大人びているのに、纏う空気は昔と変わらない。堂々としていて、ちょっと怖いくらい。
「桃井さん。久しぶり」
軽く手を上げて挨拶すると、桃井はあからさまに眉を寄せた。
「久しぶり、じゃないわよ。今までどこにいたの? 探しても全然見つからなかったし!」
「まあ、いろいろあってさ」
「いろいろって何よ! 私ひとりに姿を見せないのはいいとしても、一ノ瀬くんにも詩音にも、挙げ句の果てに翼にまで会ってないって聞いたわよ!」
今にも胸ぐらを掴まれそうな勢いに、隣の沢尻が慌てて割って入る。
「まあまあ、今日こうして会えたんだし、ね?」
二十二年も姿をくらませていたら、怒られて当然だ。
――それでも、胸の奥が少し温かい。
前なら、二十二年どこにも連絡をしなくても、誰にも怒られなかった。
怒ってくれる誰かがいる。それは、あの一年が無駄じゃなかった証だ。
「本当に、ごめん」
状況はどうあれ、心配をかけたのは事実だ。僕は素直に頭を下げた。
「ちょ、ちょっとやめてよ。そんなことされたら、私が日向くんをいじめてるみたいじゃない」
桃井が慌てて僕の肩を持ち上げる。
「いじめてるじゃない」
「うるさい、愛は黙ってて!」
「久美の仕事上、イメージよくないわね」
「ちょっと! 今それ言わないで!」
言い合う二人の姿が、中学時代の放課後と重なる。
思わず笑ってしまった。二十二年経っても、関係はちゃんと続いている。
「ほら、中入って。翼はまだだけど、一ノ瀬夫妻は来てるわよ」
「……一ノ瀬夫妻?」
きょとんとする僕に、桃井が意地悪く口角を上げ、肩をぽんと叩いた。
「あー、君は知らないのだな」
「な、なにが……」
もったいぶるような声。どこか誇らしげだ。
「一ノ瀬くんと詩音、結婚したの。――八年前ね。十四年の大恋愛を経て、めでたくゴールイン。ロマンチックでしょ?」
……マジか。
言葉が喉に詰まる。心のどこかで、桜井詩音が幸せであってほしいと願っていた。
その未来が、ちゃんと形になっていた。
――やっと、誰かが救われたんだ。
会場に入ると、懐かしい笑い声とグラスの触れ合う音が、静かに胸の奥をくすぐった。
陸を探して視線を泳がせるたびに「日向くん!」と声が飛び、足を止めては会釈する。
それでも、すぐに見つけた。人垣の向こう、あの笑顔。
「陸。久しぶりだな」
呼びかけると、彼は時間が止まったみたいに動きを止め、数秒後、少年みたいな目で叫ぶ。
「和真か!」
「うおっ」
次の瞬間、がっしり抱きしめられた。
「まったく。全然連絡が取れなくて心配したんだぞ!」
「ごめん。……まあ、いろいろあってさ」
腕を離した陸が、少しだけ口を尖らせる。昔の癖に、思わず笑みがこぼれた。
その隣に――彼女。
桜井。いや、もう“桜井”じゃない。ショートだった髪は肩まで伸び、目元は変わらず優しい。
「日向くん。久しぶり。元気そうで……安心したよ」
ふわりと微笑む仕草は、昔と同じで静かで温かい。
「桜井さ……いや、おめでとう。二人が結婚したなんて、嬉しいよ」
「ありがとう」
頬に手を添えて少し俯く。その小さな仕草が、妙に胸に残る。
一方の陸は、まだ不満顔で腕を組んだ。
「霧ヶ峰さんが言ったんだ。“二十二年後くらいに同級会やったら、ひょっこり顔出す”って。だから桃井が幹事を買って出た。これで和真が来なかったら事件だぞ」
「……そうだったのか」
幹事が桜井から桃井に変わっていた理由に、ようやく腑に落ちる。偶然に見えて、静かに仕組まれていた未来の布石。
「よかったね、陸ちゃん。これで結婚式、ちゃんとできそうだね」
「えっ、どういう意味?」
僕が首を傾げると、陸はバツが悪そうに黙り、桜井が肩をすくめて笑った。
「陸ちゃん、ある人に、どうしても出席してほしかったんだよね?」
「……うるさい。言うなって」
陸が頬を掻き、照れ笑い。桜井は優しく目を細める。
――二十二年ぶりの再会。怒られて、笑われて、そして赦された。ぬくもりの中で、たしかに「帰ってきた」と思った。
「陸ちゃん、日向くんが戻ってくるまで絶対に結婚式しないって、聞かなかったんだよ」
「えっ、そうなの?」
「当たり前だろ。和真や霧ヶ峰は、俺たちのキューピッドだ。友人代表の挨拶は最初から和真に決めてた」
「えー、自信ないな」
「そこは嬉しいだろ!」
胸を軽く小突かれる。
「もう逃がさない。今すぐ連絡先、交換な」
陸がせっかちにスマホを取り出す。桜井も頬を染めて寄り添い、画面を向け合った。
二十二年越しの「送信完了」の文字が、不思議と胸を温める。
「よし。着拒するなよ」
「しないって。信用ないなぁ、僕」
「いきなり消えるやつを誰が信じる」
――まあ、根に持たれてるのは当然か。
「そういえば、陸と桜井さんは今どんな仕事してるの?」
話題を変えるように尋ねると、二人は顔を見合わせ、照れたように笑った。
「俺は高校の体育教師。サッカー部の顧問もしてる」
「おお、教師か。似合ってるよ。昔から面倒見よかったし」
素直に言うと、陸は少し照れながら頭を掻いた。
「まあな」
「私はね、保育士してるんだ」
「へぇ、保育士か。優しい桜井さんにぴったりだね」
「そんな……優しいだなんて」
頬をほんのり赤らめ、髪を耳にかける仕草。その一瞬に、中学生の彼女の面影がよみがえる。
――二人とも、ちゃんと自分の未来を歩いている。その事実が、なによりも嬉しかった。




