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タイムリープ ~アルバムが告げる、二十二年目の真実~  作者: 結城智
第一章 惨劇のアルバムに指を伸ばして
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第二話 あの日の放課後、罪が始まった

 放課後。

 帰りのホームルームが終わり、掃除当番の僕は黙々と箒を動かしていた。白いチョークの粉が床に細い川をつくる。


 そこで――


「話があるの。掃除が終わったら、体育館裏に来て」


 霧ヶ峰さんが正面に現れ、耳打ちだけ残して踵を返す。空気だけが遅れて震えた。


 ……今の、なんだ。

 箒を握ったまま固まる。十五歳男子の脳は都合よくできている。もしかしては、つい浮かぶ。

 いや、ない。ないけど、なくはない。……ない。


 掃除を終えて廊下へ。西日がガラス越しに差し込み、床に長い影の格子を描く。靴音がやけに響く。

 二度、三度と振り返る。風がカーテンを揺らすだけだ。霧ヶ峰が告白ドッキリなんて、しない。たぶん。

 体育館裏は、拍子抜けするほど静かだった。

 中からはバレーとバスケの足音、笛の短い合図。金属と汗の匂いが夏の空気に薄く混じる。彼女はすぐ見つかった。夕日が縁取り、肩までの黒髪が揺れる。


「来たわね、日向くん」


 口角がふっと上がる。冷たいけれど、嘲りではない。


「単刀直入に言うわね」

 

 五十センチの距離を、さらに一歩詰められる。パーソナルスペースを軽く踏み越えて、伸ばせば肩に触れそうな近さ。

 心臓が跳ねる。視線の高さが近い。かすかなシャンプーの匂い。

 ……目が、少し潤んで見える。まさか本当に告白? 困るな。色男は――。


「日向くん。桜井さんがいじめられてるの、気づいてるでしょ?」

「……え?」


 構えていた方向が一瞬で崩れた。


「ど、どういうこと?」

「どういうことって、日本語わからないの?」


 視線が射抜く。逃げ道はない。


「桜井さんがいじめられてる。あなたは知ってたのかって聞いてるの?」


 怒りの熱が、沸点を越える手前で鳴っている。僕はたじろいだ。


「……なんとなく。現場を見たわけじゃないけど」


 二歩下がって背を向け、投げやりに返す。


「見てもいないのに、どうしてわかるの?」


 氷みたいに冷たい声。


「雰囲気。……たぶん桃井さんたち。人目に触れないように巧妙にやってる。でも、空気を読めば察せられる」

「察せられる? あなた何者? 証拠はあるの」

「知らないよ。実際は勘違いかも。でも、顔や仕草を見れば大抵のことは読める。――それに霧ヶ峰さんだって、知ってるから僕に聞いてるんだろ?」


 舌打ちは飲み込んだ。彼女は、何を求めている?


「……話、それだけ?」


 俯いた彼女が黙る。影で表情は読めない。もう一歩、こちらへ。顔が上がる。


「……っ」


 涙に濡れた瞳。次の瞬間、乾いた音。

 右頬がしびれる。ビンタされた。

 痛みより、「叩かれた」という事実が頭を白くする。

 霧ヶ峰は唇を噛み、潤んだ目を逸らさないまま僕の胸倉を掴んだ。


「なんでよ! なんで、そこまでの洞察力があって、知らん顔できるの? 日向くんならもっと早く、桜井さんを助けられたはずでしょ!」


 声は悲痛で、刃物みたいに鋭い。

 僕は周囲に人がいないのを確かめ、彼女の肩に軽く手を置く。


「待って。意味がわからない。どうして僕のせいに? ……霧ヶ峰さんだって気づいてたんだろ」

「私は今日、知ったの」


 即答。声がわずかに震える。


「朝、階段のところで桃井さん達が桜井さんに絡んでた。空気は最悪。私が声をかけたら、露骨に狼狽して逃げた」


 押される。二発目はごめんだ。僕は頷きに徹する。


「……桜井さんに直接、聞いた?」

「聞いた。『大丈夫、なんでもない』って笑った」

「本当にそうなんじゃない? たまたま喧嘩とか」

「日向くんって本当、クズね。面倒から逃げたいだけ」


 図星で喉が詰まる。氷の視線が突き刺さる。


「……仮に本当にいじめでも、本人が『大丈夫』って言うなら、関わって欲しくないのかもしれない。下手に首を突っ込んで悪化したら最悪だ。だから、決定的な証拠を掴むまでは様子を見る。僕も意識して見るよ」


 もっともらしい言葉を並べると、彼女はまた黙った。頬を張られる覚悟だけはしておく。


「……わかったわ」


 小さく頷き、視線は外さない。


「協力してくれるのよね?」

「……もちろん」


 反射で答える。心の中では「え、僕も?」が騒ぐ。


「本当に? 約束。――日向くんならすぐ見つけられると思う」

「……買い被りすぎだよ」

「いいえ。あなたは普段、目立たないようにしてる。けど鋭い。だから桜井さんのことも、きっと気づいてるって思った」


 期待の眼差しに、罪悪感と、甘い誇らしさが同時に広がる。


「……霧ヶ峰さんも、よく見てるよ。十分、洞察力がある」

「私のは、洞察じゃないわ」

「じゃあ、なに」

「女の勘」


 人差し指を立ててウインク。挑発的で、悲しいほど真剣だ。

 ――逃げ場は、またなくなった。

 その後、僕は決定的な場面を一度も押さえられなかった。

 ……いや、正確には違う。見ないようにしていたのだ。視線を逸らせば、手は汚れないと信じた。


 結果、桜井さんは姿を消した。欠席が続き、不登校、そして転校。

 それは僕にも霧ヶ峰にも最悪の結末だった。

 彼女は自分を責めた。

 僕は――そこまで強くは責めなかった。

 もしあのとき目撃して、当事者として動いていたら、運命は変わったのか。

 いいや、変わらない。正義感ひとつで運命は書き換わらない——ずっとそう思っていた。


 だから、僕の責任じゃない。

 ……そう言い聞かせるたび、胸の底で鈍い鐘が鳴った。

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