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タイムリープ ~アルバムが告げる、二十二年目の真実~  作者: 結城智
第四章 卒業証書が写したもう一つの世界
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第二十六話 もうひとつの世界の話をしよう

「霧ヶ峰さん。まず、今から話すことは――ぼくたちの世界がもうひとつあると想定して考えてほしい」


  僕は前置きをして、まっすぐ彼女を見た。


「話の中には、気分を悪くする内容もあるかもしれない。……無理だと思ったら、遠慮なく止めていいから」


 空気の温度がわずかに変わる。霧ヶ峰は、意味を掴みかねた様子で小さく瞬きをしたが、それでも迷わず頷いた。

 胸の奥が焼けるように痛む。けれど、もう後戻りはしない。


「最初、霧ヶ峰さんが僕に相談してきたよね。桜井さんのいじめのこと、知ってるかって」

「ええ、よく覚えているわ。あの時から日向くん、おかしくなったものね」


 おかしくなった、なんて言わないでほしいな。


「その世界での僕は君の相談から逃げた。面倒ごとには関わりたくないって言って、聞かなかったふりをしたんだ。想像してみてほしい。もし、桜井さんが桃井さんたちにいじめられていた時、誰も助けなかったら」


 僕は一呼吸置いて、言葉を続けた。


「裸にされた写真が本当にネットに流されたら……桜井さんは、どうなっていただろう」


 淡々とした口調のまま、静かに問いを投げる。

 霧ヶ峰はしばらく沈黙し、それから小さく息を呑んだ。


「どう……なっていたかしらね。たぶん、不登校になってたんじゃない?」


 唇を噛みながら、彼女は答える。


「でも、自分の裸がネットに出回るって、そんなの……詩音、学校どころか、生きていくことすら怖くなってたかもしれないわ」


 その声には、どこか震えが混じっていた。

 あくまで仮定の話なのに、まるで現実を突きつけられたような青ざめ方をしている。

 僕は、次の一手を放つ。


「じゃあ、不登校になったとして。自分の裸が世界に晒されて、転校したとしても……また元の生活に戻れると思う?」


 霧ヶ峰はゆっくり首を振る。


「難しいと思う。たぶん、怖くて外に出られなくなる。……でも」


 ふと、彼女の瞳に光が戻る。


「詩音なら、もしかしたら乗り越えられたかも」

「根拠は?」

「直感よ」


 彼女は淡く笑った。


「詩音って、見た目よりずっと強い子だから。きっと、絶望の中でも踏ん張ってたと思う」

 

 その一言に、僕の胸の奥がざわついた。

 彼女が言っているのは、僕が知っている、あの詩音とは違う。けれど、それがたまらなく嬉しかった。

 霧ヶ峰は、机の上で指を組みながら小さく呟く。


「……ねえ、日向くん。なんでそんな話、急にするの?」


 その声は静かだった。けれど、その奥には鋭い洞察の刃が潜んでいた。

 僕の中で、迷いが音を立てて崩れていく。


 ――もう、隠せない。

 この話を物語として語ることに、どれだけの意味があるのかはわからない。

 でも、黙っていることの方が罪深いと、今は思えた。


「桜井さんの強さを引き出したのは、霧ヶ峰さんの助けがあったからだよ」


 僕は静かに言葉を落とした。


「誰かが自分を見ていてくれる。信じてくれる人がいる。……その支えがあったから、桜井さんは、自分の中の本当の強さを見つけられたんだと思う」


 実際、それは事実だ。

 僕の知る前の世界では、桜井詩音は元の生活に戻ることができなかった。

 霧ヶ峰は眉をひそめる。


「じゃあ、もし……誰も助けてくれなかったら?」

「……うん。そのときは、桜井さんは学校に戻れなかったと思う」


 一拍おいて、僕は続ける。


「いや、思うじゃない。もう一つの世界では、桜井さんは不登校のまま、転校しても戻ってこられなかった。人が怖くなって……やがて、施設に入ったんだ」


 言葉を発した瞬間、霧ヶ峰の瞳が揺れた。

 彼女は笑わない。けれど、何かを見抜こうとするように僕を凝視してくる。


「……まるで、実際に見てきたみたいな言い方ね」


 低い声。どこか張りつめた糸のように、静かで、それでいて鋭い。


「見てきたんだよ」


 僕は視線を逸らさずに言い切る。霧ヶ峰はその言葉を受けて、少しだけ息を呑んだ。

 机の上で指先が小さく震えるのを、彼女自身が意識しているのかいないのか。


「……ねえ、日向くん。今の話、冗談なら笑ってあげるわ」


 口元にかすかな笑みを浮かべながらも、その瞳は冗談の色をしていなかった。


「でも、もし本気で言ってるなら――続きを聞かせて」


 その声音は、挑むようでいて、どこか怯えていた。

 理性と感情の狭間で、彼女は確かに信じ始めていたのだ。


「悲劇を生んだのは、桜井さんだけじゃない」


 僕は静かに言葉を選びながら続けた。


「桃井さんも、あのときいじめをやめていなかったら――剣道部に戻ることはできなかった。陸も同じだ。サッカーの県大会決勝、足の怪我で後半戦に出ていなかったら、未練を残したままサッカーを辞めてしまう」

「久美のことはわかるけど……一ノ瀬くん? あの人、サッカー続けてたんじゃない? 高校からスカウトまで来てたでしょ」


 霧ヶ峰は、眉をひそめて僕を見つめた。


「いや、陸はサッカーをやめる」


 断言すると、彼女の目が揺れた。


「それほどまでに、あの試合は彼にとって特別だった。第三者から見たら理解できないかもしれないけど……あの瞬間に全てを賭けてたんだ。もし出られなかったら、その未練が一生、彼を縛ってしまう」


 言いながら、僕の胸の奥にも鈍い痛みが走る。

 あの時、陸の目に宿っていた悔しさを、僕は今も忘れられない。


「そして、桜井さんと付き合うこともなかったはずだ。それに、変わったのは彼らだけじゃない。霧ヶ峰さん、陸、桃井さんたちが仲良くなったおかげで、クラスの空気も変わった。文化祭も、運動会も、クラス全員で協力して、ようやくひとつの形になったんだ」

「もう一つの世界では、違うの?」


 霧ヶ峰が、わずかに身を乗り出す。その瞳の奥に、好奇心と恐れが同居していた。

 ――変化だ。

 最初はただの話の続きとして聞いていた彼女が、今はその一言一言を、まるで現実として受け止め始めている。

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