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タイムリープ ~アルバムが告げる、二十二年目の真実~  作者: 結城智
第四章 卒業証書が写したもう一つの世界
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第二十五話 未来の終わり、告白の始まり

 夏の青春が幕を下ろし、空気は秋の澄みを抜けて、きりりと冬の匂いへ。

 ここからは、少し駆け足で。

 やり直す前の世界と比べて、みんなの未来は、はっきり違う軌跡を描き始めた。


 まず、桃井。言うまでもなく剣道部に復帰。

 それだけじゃない。彼女は、ここだと思える夢を見つけて、四月の成績じゃ到底届かない高校を志望校にした。

 今は夜の自習室が閉まるまで残って、ひたむきに問題集と格闘している。

 それでも行事には顔を出す。文化祭も運動会も、全力。

 桃井、霧ヶ峰、陸――クラスのエンジンたちが前に立つと、受験期でバラけがちな三年B組が、嘘みたいに一枚になる。

 無理だと決めつけていたのは、僕の先入観だった。


 次に桜井。剣道で全国三位の快挙。

 陸とは静かな交際を続けている。手をつなぐ姿を見せびらかすタイプじゃない。

 僕や霧ヶ峰が「二人で行っておいで」と水を向けても、彼女の口癖はいつも「できるだけ四人でいたい」。

 言葉数は多くないけれど、もうおどおどはしない。目線が上がった。よく笑うようになった。そして、前よりずっと可愛くなった。

 ――恋は、ほんとうに人を明るくするらしい。


 陸はというと、引退後もときどき「ボール蹴りに行くか」と誘ってくる。

「部に顔出せば?」と勧めると、「引退した先輩が居座るとやりづらいだろ」と、妙な気遣いを見せる。……なら受験生の僕にも気遣ってくれていいのに、とは口に出さないでおいた。

 そして、名門校からのスカウトは断った。

「普通の高校から、全国に行ってやるよ」と、あの調子で笑って。

 その言い方が、やけに胸に残っている。

 正直、ここまで未来が動くとは思っていなかった。けれど同時に、胸の底では小さな不安が燻っている。


 写真は確かに明るくなった。

 では――あの日に向かう列車は、本当に別の線路へ切り替わったのか。

 冬の風は、答えをくれないまま、頬を刺すだけだった。

 本当に、二十二年後の同級会爆破事件の犯人は――桜井なのだろうか。

 なぜ、僕だけが生かされたのか。

 いや、そもそも“真犯人”は別にいるんじゃないか。

 真犯人を探す必要ないと美羽に言われてもなお、僕はずっとそのことが頭に引っかかっていた。




 放課後の図書館。

 乾いた紙の匂いと、鉛筆が擦れるかすかな音。

 僕は開いたままの本に視線だけを落としながら、頭の中で事件の線を一本ずつなぞっていた。

 ページをめくっているのは指先じゃない。思考だけが、静かにページを送り続けている。


 今の三年B組には、目に見える火種はない。

 未来が変わるなら、それで十分なはず――なのに。

 犯人が誰だったのかという疑問は、胸のどこかに刺さったまま、抜ける気配を見せなかった。

 もし、桜井が犯人だったのなら――なぜ、僕だけを生かした? 特別に親しかったわけでも、恨まれる理由も、庇われる理由もない。

 意味があるから残したのか。それとも、意味がないから放置したのか。

 どちらにせよ、あの選別には、彼女の意志か、別の誰かの影が確かにあった。

 もし見落としが一つでもあれば、惨劇はまた形を変えて、同じ場所で繰り返される。


 だから僕は、感情を封じて消去法を繰り返す。

 静かに、確実に、円の中心へと近づくように。

 図書館の時計が一分を刻むたび、沈黙の中で――疑いの輪郭だけが、ほんの少し濃くなっていった。



 

 僕は図書館の奥、窓際の席で【犯罪心理学】のページをめくっていた。

 けれど、思っていたほど手がかりになりそうなことは載っていない。

 犯罪を起こすきっかけとか、犯人に共通する心理傾向とか。どれも当たり前のようで、目新しさがない。

 心の奥底の闇を覗けるほど、人間は単純じゃない。

 それに、クラスメイト全員の人格を分析できるほど、僕は彼らを知らない。深層心理なんて言葉が存在する時点で、きっと、僕は一番近くにいる陸のことですら、ちゃんとは見抜けていないのかもしれない。


 ページの隙間から漏れる溜息。僕は本を閉じた。

 その瞬間、視界の端に誰かの影が差す。顔を上げると――


「真剣な顔して何読んでるの。……まさかエロ本?」


 霧ヶ峰だった。

 淡い制服の袖がふわりと揺れ、彼女は興味津々な目で僕の本を覗き込む。

 さがすに学校の図書館でエロ本読む勇気はないな。


「犯罪心理学? ふーん。なに、万引きでもしたの?」


 立て続けに刺さる質問。言葉のトーンは軽いけど、目は意外と鋭い。

 彼女は僕の正面に腰を下ろした。手には本もノートも持っていない。


「……いろいろあってね。霧ヶ峰さん、図書館によく来るんだ?」

「来るわけないでしょ」


 即答。

 そのあと、少し気まずそうに視線を泳がせた。


「一ノ瀬くんに聞いたの。『日向くん、図書館に行った』って」

「……もしかして、僕に用?」

「違うわよ。詩音と一ノ瀬くんを残して一人で逃げるなって話」


 霧ヶ峰は、椅子にぐったりもたれてため息をつく。


「三人で帰るとか、罰ゲームにしか思えないんだけど」

「ああ、なるほど。それは気が利かなかった。ごめん」

「詩音は気にしないでって言うけど……無理よ」


 そう言いながら、彼女はテーブルに腕を投げ出し、頬をのせる。

 その姿は、猫が少し拗ねているみたいで――不覚にも、可愛いと思ってしまった。


「でも、あの二人、そんなイチャイチャしてないよ。老夫婦みたいに落ち着いてる」

「……あー、わかるわ。恋愛じゃなくて、悟りの域よね」


 乾いた笑い。けれど、どこか寂しげで。霧ヶ峰のまつげの影が、机に落ちるのを僕は黙って見ていた。


「男はいいわよね。単純で。私はそういう気持ちにはなれないわ」


 霧ヶ峰は頬杖をつき、少し遠くを見つめるように言った。


「詩音と二人なら帰るけど、一ノ瀬君がいるなら遠慮する。何回か久美たちに混ざって帰ったくらいだし」

「それなら、ずっと桃井さんたちと帰ればいいじゃん」

「そしたら詩音はどうするのよ?」


 彼女は眉をひそめて、まっすぐ僕を見る。


「久美たちと帰るのが当たり前になったら、詩音は一人になっちゃうでしょ。それだけはダメよ」


 真面目な顔で言い切る霧ヶ峰を見て、僕は思わず感心した。

 面倒くさいって投げ出せば楽なのに、彼女は桜井を一人にできないと思ってしまう。そういう優しさを、誰よりも持っている。


「ねぇ、日向くん。私と付き合わない?」


 机に頬をつけたまま、霧ヶ峰が上目遣いで言った。

 一瞬、心臓が跳ねた。でも僕は視線をそらさず、冷静を装う。


「どうしたの? 桜井さん見て、彼氏欲しくなった?」

「そんなんじゃないわよ」


 霧ヶ峰はつまらなそうに顔をそむける。


「……私、自分で言うのも変だけどさ」


 彼女は指で髪をくるくるといじりながら、小さく呟いた。


「そんなにブサイクじゃないと思うのよ」

「ブサイクどころか、美人だと思うよ」


 僕は素直に答えた。


「男子の間じゃ、霧ヶ峰さんは学年で一、二を争う美人って噂だし」

「じゃあ、なんで?」


 彼女は唇を尖らせる。


「あ、もしかしてガサツな女が嫌いなの? 確かに私、性格は良いとは言えないけど」

「違うよ。僕は霧ヶ峰さんのこと、性格悪いなんて思ってないよ」


 僕は少し笑って首を振る。


「たしかに最初はビンタされたり、クズって呼ばれたり、ひどいなって思ったけど……今はわかってる。霧ヶ峰さん、根は優しくて、ちゃんと思いやりのある子だよ」


 その言葉に、霧ヶ峰は一瞬だけ目を見開いた。


「……誰と勘違いしてるの? 私、日向くんをビンタしたことも、クズなんて連呼したこともないけど」


 言われて、僕はしまったと思った。口を閉ざしたまま目を逸らす。その一瞬の躊躇が、決定的に怪しい反応だったのだろう。


 霧ヶ峰は首をかしげ、眉を寄せながら僕を見つめた。けれど詰問することはせず、ただ静かに、探るような視線を向けてくる。

 その沈黙が痛い。息をするたびに、空気が胸を圧迫していく。

 僕は無意識に周囲へ視線を走らせた。幸い、近くの席には誰もいない。


 ――この状況だ。

 霧ヶ峰の半分冗談みたいな告白(いや、本心かもしれない)に、僕はなにか答えを出さなければならない。

 だが、適当な言葉を並べても、彼女には通じない。霧ヶ峰は全て見透かす。曖昧な嘘を嫌うタイプだ。

 だからこそ、僕の中で、ある衝動が芽生えた。

 天から突然落ちてきたような――無謀で、危険な衝動だった。それでも、その考えを振り払うことはできなかった。


 本当のことを、話してしまおう。――そう思った。

 二十二年後の未来から、僕がタイムリープしてきたこと。

 二十二年後の同窓会で、爆破事件が起きること。

 そして、その犯人とされたのが桜井詩音だったこと。

 さらに、この世界に僕を連れてきたのは、霧ヶ峰の娘だということ。

 頭のどこかで警鐘が鳴っていた。

 馬鹿げてる。こんな話、誰が信じる? 十人中九人は「頭おかしくなった」と笑うに決まっている。

それでもいい。


 この沈黙の中で、なにかを隠し通すほうが嫌だ。

 胸の奥が焼けるように痛い。けれど、痛みの正体は恐怖じゃない。

 ――たぶん、ようやく、本当のことを言える。霧ヶ峰になら。

 僕は唇を噛み、ゆっくりと息を吸い込む。

 この世界の真実を――そして、自分の罪を、ここで話そう。

 霧ヶ峰は、肘をつきながら僕の顔をじっと覗き込む。

 その瞳は、淡く光を帯びていた。


「……さっきから、なに考えてるの?」


 唇の端を少しだけ上げて、からかうように。でもその仕草の奥には、ほんのわずかな不安が滲んでいた。

 彼女の瞳に、今だけは――嘘をつきたくなかった。

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