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タイムリープ ~アルバムが告げる、二十二年目の真実~  作者: 結城智
第三章 彼が望んでいたもの――勝敗の先にある証明
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第二十三話 称賛の拍手

 結果、1対1まで追い詰めた僕たちだったが――あれが全員の限界だったのだろう。

 すぐに1点を取り返され、試合は1対2で終了した。

 試合終了のホイッスルが響いた瞬間、全員の足が止まる。

 そのあと、観客席から惜しみない拍手と歓声が降り注いだ。

 敗北の悔しさと同時に、それは確かに「称賛」だった。

 でも、全国には行けなかった。

 ――未来は、変えられなかったのだ。


「和真!」


 背後から陸の声がした。振り返ると、彼が駆け寄ってくる。


「陸。足、大丈夫?」

「ああ、なんとか……な」


 返ってきた声は少し掠れていた。重い空気が流れる。

 僕は息を吐き、何か言おうとした瞬間――陸が突然、僕に抱きついてきた。


「り、陸? どうしたんだよ!」


 戸惑う僕の胸に、陸の手が強くしがみつく。その体が小刻みに震えている。

 泣いているのだと、すぐに分かった。


「ありがとう! 試合には負けたけど……俺、悔いはない。すごく、楽しかったんだ」


 途切れ途切れの声。

 涙混じりの笑顔は、少年のようにまっすぐだった。


「……そうだね。でも、ごめん。僕が最後、防げていたら」

「違う!」


 陸は顔を上げ、力強く言い切る。


「勝ち負けなんか、どうでもよかった。中学最後の試合、和真やみんなと最後まで戦えた。それだけで……俺は幸せ者だよ。もう、思い残すことはない」


 その言葉に、胸の奥でなにかが溶けた。

 行き止まりだった場所に、確かに灯がともった気がした。

 僕は「思い残すことはない」と言った陸の笑顔を、きっと一生忘れないだろう。

 急に、全身の力が抜けた。膝ががくりと落ち、視界が揺れる。


「和真? 大丈夫か!」


 すぐに陸が僕の体を支える。


「……ごめん。さすがに今日の試合は、しんどかったみたいだ」

「そりゃそうだろ。あんだけ走ったら、普通は心臓止まってるぜ」

「大丈夫。魂が動いてたから」


 そう言って笑うと、陸は呆れたようにため息をつき、それでもやっぱり笑っていた。

 その笑顔は、勝利よりも眩しく、何よりも強かった。


「一ノ瀬くん!」


 突如、僕たちの方に桜井さんが駆け寄ってくるのが見えた。

 ユニフォーム姿の陸は、驚いたように目を瞬かせ、棒立ちになる。


「さ、桜井……?」


 不意を突かれた陸の声は、まるで中学生みたいに上ずっていた。

 桜井は息を切らしながら、今にも泣き出しそうな顔で言葉を絞り出す――。


「ごめん、桜井……試合、勝てなかった」

「そんなこと、どうでもいい!」

「えっ? ど、どうでもいいって……」


 陸は思わず固まる。

 桜井は、もう試合のことなんて頭になくて、ただ陸の足元を見つめていた。


「足……痛いんでしょ? まだ無理してるんじゃない?」

「いや、大したことないよ」

「前半戦のとき、痛めてたって聞いたよ。なんで……交代しなかったの?」

「そりゃ、最後の試合だったし。後悔したくなかったから」

「……バカじゃないの?」


 桜井さんの声が震えた。ぽろぽろと涙が溢れながらも、睫毛の奥に怒りの色が滲む。


「足の怪我が悪化したら……どうするの。一ノ瀬くんがどんなに強くても、家族が……心配するでしょ」

「いや、俺……母さんいないし。父さんも、たぶんそんなに心配しないと思う」


 陸はしんみりと肩を落とした。

 その言葉を聞いた瞬間、桜井さんの目が吊り上がる。

 次の瞬間、乾いた音が響いた。

 パシンッ。

 陸の頬に、桜井の小さな手が当たっていた。


「……そんなわけ、ないでしょ!」


 声は震えていたけれど、真っ直ぐだった。


「一ノ瀬くんのお父さんには、もう一ノ瀬くんしかいないんだよ。そんなたった一人の家族が怪我したら……お父さん、どんな気持ちになると思うの……」


 最後の方は涙で言葉にならず、桜井は両手で顔を覆って俯いた。


「……ごめん。陸に後半、出るように背中を押したの……僕なんだ」


 僕が口を開いた瞬間、空気が凍った。

 ――しまった。フォローしたつもりが、完全に火に油だった。

 桜井さんは勢いよく顔を上げ、真っ赤な目で僕を睨みつける。


「なにそれ……! 普通、親友なら止めるでしょ!」


 怒鳴っているのに、声は涙まじりだった。その両手が小刻みに震えていて、僕は抵抗できず、されるがままだった。

 桜井さんの目から大粒の涙が頬をつたう。

 その姿を見た瞬間、僕は何も言えなくなった。



「詩音。気持ちはわかるけど、落ち着きなさい」


 僕の横に、霧ヶ峰が立っていた。その手は桜井さんの腕を、しっかりと掴んでいる。


「……翼ちゃん」

「大丈夫。日向くんのことは、あとで私がきっちり締めておくから」


 ……いや、結局締められるんかい!

 心の中でツッコミを入れる。

 だが、霧ヶ峰が割って入ったことで、桜井の興奮はみるみるうちに静まっていった。

 呼吸を整えながら、震える声で呟く。


「私……なんてことしちゃったんだろ。二人とも、ごめん。一ノ瀬くん、顔……大丈夫?」

我に返った途端、桜井は後悔に押し潰されたように落ち込む。


 でも、それだけ真剣だったということだ。


「ううん。ありがとう、桜井。俺……すごく嬉しいよ」


 項垂れる桜井の肩に手を置き、陸は穏やかに微笑んだ。

 その顔は、試合後とは思えないほど晴れやかで――桜井はハッとしたように顔を上げ、まっすぐ陸を見つめ返した。


 ……なんだろう。

 二人の間に流れる空気が、ほんの少しだけ変わった気がした。


「俺さ。前にも言ったけど、桜井が思うような完璧な男じゃないんだ。学校では爽やかぶって格好つけてるけど、本当は泣き虫で、打たれ弱くて、寂しがり屋で……今日だって、みんなが助けてくれなかったら、最後まで立っていられなかった」


 ぶっきらぼうな言い方のくせに、陸は真正面から自分の弱さを差し出した。

 まっすぐで、不器用で、ずるいほど誠実だ。


「うん。知ってるよ」


 桜井さんは、そっと目尻をゆるめる。

 でも言葉は容赦なくスパッといく。


「私、別に一ノ瀬くんのこと、格好いいとか強いなんて思ってないから大丈夫。案外、ナルシストなんだね?」

「えっ、そ、そうなの……?」


 目を丸くする陸。桜井はふふっと小さく笑い、胸の前で指を重ねた。

 頬はほんのりと桜色に染まっていて、まるで夕暮れの光を映したみたいだった。


「……私が、一ノ瀬くんを好きなのは、優しいからだよ」


 そう言いながら、桜井は小さく息を吸い込み、勇気を振り絞るように続けた。


「夜遅くまで、後輩に付きっきりで練習つき合ってたでしょ。全然うまくいかなくても、何回も、何回も……。あれ見て、ホッとしたの。この人、なんでもそつなく見えるけど、本当は影でずっと努力してるんだなって」


 言葉を紡ぐたび、桜井の瞳は陸を真っ直ぐ見つめていた。

 その目には、優しさと、ほんの少しの涙が滲んでいる。


「それからね、自然と目で追うようになって……一ノ瀬くんのいいところも、嫌なところも、たくさん見えたよ。うぬぼれ屋なところも、ちょっと雑なところも――ぜーんぶ」


 そう言って、桜井は恥ずかしそうに両頬を押さえ、下を向く。

 でも、次に顔を上げたときの笑顔は、どこまでもまっすぐだった。


「それでも好きだって分かったの。だから、振られるの分かってたけど……自分に嘘つきたくなくて、告白したの。だからね、一ノ瀬くん。私を振ったこと、もう悩まないで?」


 最後の言葉を言い終えると、桜井は胸の前で小さく両手を合わせ、ふわっと微笑んだ。

 その笑顔は、涙で滲んでいるのに、どこまでも澄んでいた。

 陸は言葉を飲み込み、しばらく黙った。

 やがて照れたように後頭部をかき、深く息を吸う。


「……そっか。じゃあ――」


 陸は一歩、彼女に近づく。そして、まっすぐに頭を下げた。


「頼りない男ですが、よろしくお願いします」


 差し出された掌。

 えっ。それって、まさか……。

 陸の言葉の意味を理解した僕は面食らって、一歩後ずさる。霧ヶ峰も同じで、瞬きを繰り返しながら口をぽかんと開けていた。


 けれど一番驚いたのは、もちろん桜井本人だった。

 棒立ちのまま、キョトンと鳩のような顔で固まっている。


「ほら、お前らー! 記念撮影するぞー!」


 遠くから、村井先生の大声が響く。


「よし、行こう!」


 陸は固まっている桜井の手を、やさしく握って引っ張った。

 その瞬間、桜井はハッと我に返り、頬を真っ赤に染めて――満面の笑みで頷く。

 二人はそのまま駆けていった。


「……青春ね」


 腕を組んで、霧ヶ峰は二人の背中を眺めながら、どこか楽しげに微笑んだ。


「試合、残念だったわね。でも、良かった。日向くんらしかったわ」

「うん。ありがと。出来れば勝ちたかったけどね」


 でも、不思議と後悔はなかった。

 負けたのに、胸の奥があたたかくて。あれが、本気で生きたってことなんだろう。


「詩音、良かったわね。……私も頑張ろうかしら」

「えっ? 霧ヶ峰さん、好きな人いるんだ」


 意外だった。まあ、霧ヶ峰さんも一応、思春期の女の子だしな。


「僕で良ければ、協力するよ」


 優しく言うと、霧ヶ峰は一瞬目を細め、次の瞬間、僕の肩を殴った。


「痛っ! な、なに? 僕、なんかマズいこと言った?」

「別に。殴ったのは、さっき殴りそこねた詩音の代わりよ」


 ……それ、今ですか? 出来れば、もっと穏やかなタイミングでお願いしたい。

 霧ヶ峰は僕を一瞥して、ふんと鼻を鳴らすと、皆のもとへ駆け出していった。


「あっ、待ってよ!」


 僕も慌ててその後を追う。

 疲れ切った体で、足取りはふらふらだ。

 サッカー部全員と、応援に来た生徒たちとで記念写真を撮った。

 笑顔が並ぶ中、胸の奥では――これでよかったのか、という小さな不安がまだ燻っていた。

けれど、そんなのも悪くないと思えた。


 ――カシャ。


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