第二十二話 魂の一撃
前半戦が終わった。
僕たちは静まり返った控え室にいた。
あれほど粘って0点で抑えていたのに、終了間際の失点。
精神的なダメージは大きく、誰も口を開こうとしなかった。
「大丈夫だ。後半がある。まだ終わってない、取り返そう!」
村井先生が手を叩き、沈んだ空気をなんとか持ち上げようとする。
けれど、普段なら真っ先に声を上げる陸が、妙に静かだった。
「陸。足、大丈夫か?」
仲間のひとりが気づいて声をかける。
陸は苦笑いしながら、いつものように首を縦に振った。
だが、その笑顔は明らかに作りものだった。
僕は黙って陸の前にしゃがみ込み、靴下をめくった。
――赤黒く腫れ上がった足首が、目に飛び込む。
「和真! いきなり、なにすんだよ!」
陸が慌てて僕の手を払う。だが、その怪我を見たのは僕だけじゃなかった。
控え室の空気が一気に重く沈む。
「陸……大丈夫なのか?」
「さっきのスライディングの時か?」
「交代した方がいいんじゃないか?」
次々と声が上がる。
村井先生も険しい顔で陸の足首を見つめ、深い皺を刻んだ。
「陸。ここは交代だ。無理するな。お前は名門高校からスカウトが来てるんだ。将来がある。今悪化させたら――」
「村井先生! 俺、まだ大丈夫です!」
「無理するんじゃない!」
先生の声が控え室に響く。
それでも陸は唇を噛み、悔しそうに俯いた。
――皆、勘違いしていた。
陸が諦めようとしているのは、自分の将来のためじゃない。自分がチームの足を引っ張りたくない。それだけだ。
なのに誰もそれに気づかず「陸には将来がある」「今は無理しない方がいい」と、優しさで彼を追い詰めていく。
……僕も、前の世界ではそうだった。
その選択が陸の人生を変えた。
あの日、彼はこの試合を最後にサッカーを辞めた。
後悔を抱いたまま。
なら、今回は違う結末にする。
「陸の怪我がどうなろうと、知ったことじゃない」
僕がそう言った瞬間、空気が凍った。全員の視線が一斉に僕に向く。
「な、何を言ってるんだ、和真……」
村井先生が呆然とつぶやく。
「試合の勝ち負けなんて、どうでもいい。この試合は三年の僕たちが主役だ。後悔しない試合をする――それだけでいい」
「和真……お前、何を――」
陸が言葉を詰まらせる。僕はその肩を両手で掴み、目を合わせた。
「陸。出たいなら、出ろ。陸のカバーは、僕がいくらでもする。でも、足が辛いなら交代してもいい。決めるのは――他の誰でもない。陸自身だ」
陸の瞳が揺れた。
やがて、苦笑しながらかすれた声を漏らす。
「和真……お前、前半で二人同時にマークしてただろ。後半、俺のフォローまでしたら、マジで倒れるぞ」
「大丈夫。心臓が止まっても、魂で動くさ」
それを聞いて、陸は吹き出した。
そして笑いながら、涙をこぼした。
「マジかよ……ほんと、お前ってやつは」
陸はゆっくりと立ち上がり、息を整えてチーム全体を見渡す。
「みんな! 俺、高校からスカウトの話がきてる。でも、そんなのどうでもいい。俺は――この試合で最後まで戦いたい! サッカーができなくなっても、悔いはない。だから……力を貸してくれ!」
その声が、控え室の天井を震わせた。
誰も言葉を挟まない。
次の瞬間、チームのあちこちから声が上がる。
「おう! 最後まで一緒に戦おうぜ!」
「和真が陸を支えるなら、俺たちは絶対に守る!」
「構わねぇよ、どんなシュートがきても止めてやる!」
それは、バラバラだった僕らが初めてひとつになった瞬間だった。
前の世界では見られなかった光景。
仲間の声が、ひとつの炎のように控え室を包む。
「わかった。陸、交代なしだ。ただし、限界の時は必ず言え。いいな?」
「はい!」
村井先生は微笑み、陸の肩を叩いた。
そして僕に視線を向け、呟く。
「……和真。お前、死ぬなよ」
その声は冗談めいていたが、どこか本気だった。
先生の目は、陸よりも僕の方を心配していた。
――まあ、気のせいかもしれないけど。
後半戦が始まった。
人間という生き物は、不思議だと思う。
チームの中心――陸が足を怪我している。普通なら士気が下がるはずだ。
だが今の僕たちは違った。
前半以上に厳しい戦いになると覚悟していたのに、全員の目が輝いている。
むしろ、団結力が高まった分だけチームは前半よりも強くなっていた。
余裕綽々だった相手チームの顔つきが、目に見えて変わっていく。
僕自身の仕事量も増えたが、不思議と苦しくはない。
誰かが必ずカバーに入ってくれる――チーム全員が、ひとつの歯車のように噛み合っていた。時間が経つにつれ、相手にも疲労の色が浮かび始めた。
前半で余裕を見せていた三浦と中村の動きも、明らかに鈍っている。僕がマークにつくと、二人とも露骨に嫌な顔をした。
陸は足を引きずりながらも、気力だけでピッチを駆け回っている。
長くはもたない――だから、早く勝負を仕掛ける。
僕は三浦の足元からボールを奪い取り、右手を高く掲げた。
それが、合図。
味方DF陣を含む全員が、一斉に前へと走り出す。
グラウンドが地鳴りのように震え、スタンドがどよめいた。
相手チームが一瞬、動きを乱す。
――今だ。
これは最終手段。全員攻撃。守備を捨てた総力戦。
もしボールを奪われれば、カウンターで失点は確実。
だが、恐れていては何も掴めない。勝つためには、賭けるしかない。
僕は前方の味方へ素早くパスを送ると、全力で走り抜けた。
パスは正確に繋がり、攻撃の要・田沼の足元に吸い込まれる。
僕と陸が左右に広がりながら走り抜ける。
相手DFは混乱し、どちらをマークすべきか一瞬判断が遅れた。
「8番を抑えろ! 9番は怪我してる、心配ない!」
焦った相手GKの声に釣られ、DF二人が僕をマークしに動く。
――残念。パスの相手は僕じゃない。
田沼の足元から放たれたボールは、完璧なタイミングで陸へ渡った。
不意を突かれたDF陣が振り返る。だが、もう遅い。
ボールを受けた陸は、不敵に笑った。
そして、痛めた左足を軸に体をひねる。
その瞬間、時間が止まったように見えた。
渾身の右足が振り抜かれる。
空気を裂く音。
ボールは一直線にゴールへ吸い込まれ、次の瞬間――ネットが激しく波打った。
沈黙。
そして、爆発する歓声。
「やったああああっ!!!」
「陸ーーーッ!!」
スタンドが揺れた。
陸は天を仰ぎ、拳を高く突き上げる。
汗に濡れた顔が、誰よりも眩しかった。
痛みも、不安も、限界も――全部、乗り越えた。
それは意地でも、根性でもない。
仲間の力がひとつになった、魂の一撃だった。




