第十八話 夕焼けの帰り道、二度目の叱咤
次の日。
陸が桜井に告白された。その話を僕が知ったのは、陸の口からではなく、霧ヶ峰からだった。
結果、陸は断ったという。
「俺はさ、桜井が思うような人間じゃないよ。ごめん」
その一言で、終わったらしい。
桜井は落ち込んでいるかと思ったが、意外にもそうではなかった。
むしろ、少し肩の荷が下りたような顔をしていて、霧ヶ峰と談笑する姿はどこか晴れやかだった。
一方で陸の方は、明らかに空回りしていた。
サッカーの練習では、普段なら絶対外さないシュートも外すし、競り合いでも二年生に押されていた。
部活の帰り道。
僕は歩幅を合わせながら、静かに切り出した。
「陸。あのさ……桜井さんのこと、断ったんだって?」
陸は小さく息を吐き、無理に笑みを作った。
「……うん。悪いことしたよな。桜井、すげぇいい子なのに」
「嫌いなわけじゃないんだろ?」
「まさか。あんなに優しい子、なかなかいない。むしろ、好きだよ」
「じゃあ、なんで?」
僕が首を傾げると、陸は言葉を途切らせて俯いた。
「俺さ、片親だから。母さんが死んでから、ずっと思ってるんだ。俺の中には、どこか歪んだ部分があるって。表面上は明るくても、本当の俺は……たぶん、桜井が思ってるような人間じゃない」
陸の声は小さく、風の音に消えそうだった。
「もし、桜井と付き合って、俺が桜井を傷つけたらどうしようって思うと……怖いんだよ」
――なんだよ、それ。
胸の奥で、何かが弾けた。気づけば、僕は声を荒げていた。
「なんだよ、それ。ばかばかしい!」
陸が目を丸くする。僕自身も驚いていた。
僕は昔から、怒鳴ることなんてほとんどしない。だけど、今はどうしても黙っていられなかった。
「片親だから人を傷つける? じゃあ、両親がいない人は悪魔なのか? お前が言ってることは、自分だけじゃなくて――そういう人たち全部を、否定してるんだぞ!」
熱が頭の中を突き抜けていく。怒りなのか、悲しみなのか、自分でもわからない。
「心に悪魔がいるなら、それでいいじゃないか。それもお前だろ。怖いから逃げる? 傷つけたくない? 本当は、自分が傷つくのが怖いだけだろ!」
陸はなにも言い返せなかった。唇を噛み、うつむいたまま拳を握りしめている。
その姿を見て、僕の目からも涙がこぼれた。
――思い出した。
どうして僕が昔、陸に「仕方ない」と言ったのか。
あの時、陸の母親が亡くなって、皆が同情の目を向けていた。
誰もが彼に優しい言葉をかけた。だけど、それで陸はますます閉じこもっていった。
このままじゃ、陸が戻ってこなくなる。
僕は、怖かった。だから、あの言葉を口にした。
――陸。もうお母さんは戻ってこない。仕方ないんだよ。
あの時、陸は怒った。叫んだ。泣いた。
でも、それでようやく、陸は反応を取り戻した。
そして、僕はサッカーボールを手に、泣きながら壁打ちをしていた。ボールが大きく弾かれ、その先に陸が立っていた。
『……サッカー、下手じゃん』
『当たり前だよ。陸と一緒に始めるために買ってもらったんだ』
陸は呆れたように笑い、ボールを僕に蹴り返した。
その笑顔を見た瞬間、僕の中で何かが報われた気がした。
あの頃と同じだ。
僕はまた、陸に笑っていてほしいだけなんだ。
夜風が、涙を乾かすように頬を撫でていった。
「なんだよ。全く、和真に怒鳴られるの、これで二回目だぜ。普段、怒らない和真をこんなに怒らせるなんて、俺も罪な男だな」
陸は頭を掻きながら苦笑した。その笑顔には、どこかあの頃の幼い面影が残っている。
僕は涙を誤魔化すように、大きく息を吐いた。
「本当だよ。僕は普段、温厚なんだ。生涯で怒鳴ったの、これで二回目になっちゃったよ」
「えっ。じゃあ、俺以外に怒鳴ったことないの?」
「あるわけないだろ。この問題児が」
「そっか。……ありがとな、和真」
陸は真っ直ぐに頭を下げた。
その姿に、少しだけ胸が熱くなる。僕は言葉を失い、代わりにわざとらしく咳払いした。
「俺、桜井と……もう一回、ちゃんと向き合ってみるよ」
「そうだね。桜井さんも、あんまり気にした様子なかったし」
「いやさ、昨日、告白を断った後、桜井、すごく清々しい顔しててさ。『これからも友達でいようね』って言ってくれたんだ。日向くんも、翼ちゃんも一緒にって……。強がりかと思ったけど、今日も本当に変わらず接してくれて。俺の方が戸惑ったよ」
「……やっぱり、僕らなんかより、桜井さんの方がずっと強いんだよ」
「全くだ」
二人で顔を見合わせ、声を上げて笑った。
その笑い声は、沈みかけた夕日の下で、穏やかに風に溶けていく。
長かった影が並んで伸びる。
その影は、まるで昔の僕らが、手を取り合って歩いているように見えた。
あの日と同じように、僕たちは笑いながら家路へと歩き出した。




