第十七話 夜風にほどけた、強がりの言葉
夜の帰り道。
「今日、告白する予定だったの、桜井さん?」
「ううん。今日は一ノ瀬くんと楽しめれば、それで良かったんだと思う」
仙台駅を出た僕たちは、アーケード街の喧騒を避け、少し静かな裏通りを歩いていた。
梅雨入り前の夜風が涼しく、湿った空気に街路樹の青葉の香りが混じる。街灯が点々と舗道を照らし、二人の影を並べて伸ばしていた。
「だとしたら、あれは無茶ぶりではないの?」
「確かに、無茶ぶりだったかもね」
霧ヶ峰はあっさり認めて、肩をすくめる。その横顔に、悪びれた様子はまったくない。
「でも、行動は早いに越したことはないわ。こんな日がまた来るなんて、誰にもわからないじゃない。一ノ瀬くんが明日、別の子を好きになるかもしれないし……来週には事故に遭うかもしれない。なにが起こるか、わからないのが人生だから」
前の僕なら「こじつけだ」と思っただろう。
けれど今は、妙に胸に沁みた。
当たり前のように思える今日が、明日も続く保証なんてどこにもない。
――それを、今の僕は痛いほど知っている。
「それに、一緒に帰っただけでしょ。嫌なら、告白しなければいいじゃない」
「あっ。……そう言われると、そうだね」
気が抜けて笑うと、霧ヶ峰さんも小さく唇をゆるめた。
「でも、詩音は告白するわよ」
「どうして?」
「だって、あの子、強いもの。普段はおどおどしてるけど、肝が据わってる。日向くんも見たでしょ。久美を助けたいって言った時の、あの真っ直ぐな目を」
久美――桃井のことだ。
そうか、もう下の名前で呼び合うくらい、仲良くなったんだな。
「確かに。あの時は、強い霧ヶ峰さんが圧倒されてたもんね」
僕が笑うと、霧ヶ峰の表情が少し翳った。
街灯の明かりがその横顔に淡く影を落とす。
「日向くん。私はね、強くなんかないわよ。人と向き合うのが怖いから、強がってるだけ」
その言葉に、僕は少し考えて首を振った。
「違うよ。強いからできたんじゃない。怖くても向き合ったから、できたんだ。――それが勇気だよ、霧ヶ峰さん」
霧ヶ峰の足が止まる。風が彼女のポニーテールを揺らした。
頬に薄く朱が差し、唇がわずかに動く。
「……うざいわ」
「えっ?」
僕は思わず素っ頓狂な声を出す。しかし霧ヶ峰は、すぐにふっと笑った。
その笑みは、夜の灯りに溶けて消えていくように柔らかかった。
「日向くん。あなた、本当に変わったわよね。前は他人なんか興味なさそうだったのに。それが今じゃ、真っ直ぐにぶつかってくる。……なにがあったの?」
その瞳には、責めるよりも心配の色が浮かんでいた。
――答えに迷う。
未来を変えるため、なんて言えるわけがない。
でも、胸の奥にある本音が自然と口をついた。
「後悔したくない。……最初はそう思ってた。でも今はそれより、楽しいって気持ちの方が強いんだ」
「たの、しい?」
霧ヶ峰が瞬きをする。
「うん。最初は後悔を消したくて動いてた。でも、桜井さんの件も、今日のダブルデートも、今の僕は心の底から楽しいんだ。面倒ごとを避けてた頃より、ずっと生きてる感じがする」
風が止み、二人の間に小さな沈黙が落ちる。
遠くで踏切の音が響き、それがまた夜の静けさを際立たせた。
「……そう。ありがとう。理解したわ」
「本当?」
「だって、顔に書いてあるもの」
霧ヶ峰はくすっと笑い、夜空を見上げた。
街灯の明かりがその輪郭をやさしく縁取る。その表情が、いつもより少しだけ幼く見えた。
僕は、思わず視線を逸らした。
「桜井さん、うまくいくといいね」
「うん。でも、うまくいっても、いかなくても私達は友達よ」
霧ヶ峰はクールにそう言って、前を向いた。髪が風に揺れ、街灯の光を反射してきらめく。その背中を見ながら、僕は小さく頷く。
「……そうだね」
夜風が頬を撫で、空には星が滲んでいた。
――きっとこの瞬間を、僕は一生忘れない。




