表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
タイムリープ ~アルバムが告げる、二十二年目の真実~  作者: 結城智
第三章 彼が望んでいたもの――勝敗の先にある証明
16/43

第十六話 観覧車で、心の距離を測った日

 個室の観覧車。

 ゴンドラはゆっくりと上昇し、窓の外に初夏の街並みがほどけていく。


「おお、いい景色だな」


 陸は感嘆しながら窓の外を見つめる――が、その表情は少しこわばっていた。


「……で、置いといて。和真、どうした? なんで霧ヶ峰じゃなくて、俺と観覧車?」


 理解不能、という目。狭い室内なのに、じりじり距離を取ろうとする。

 参った。完全に変態扱いだ。まあ、あの言い方じゃ誤解もする。


「いや、謝っておきたくて」

「謝る?」

「この遊園地、陸が母さんと来た思い出の場所だろ」


 言った瞬間、陸の顔から色が引いた。


「……覚えてたのか」

「ああ。正確には、さっき思い出した。忘れてて、ごめん。辛い場所に無理やり連れてきた」


 僕が頭を下げると、陸は頭をかきながら苦笑する。


「なんだ、そういうことか。てっきり禁断の告白かと焦ったわ」


 肩の力を抜いて、また窓の外へ目をやる。


「正直、覚悟は要ったよ。母さんが死んで七年。ここからの景色も、たいして変わらない。……はしゃぐ俺の頭を撫でてくれた手の感触も、笑顔も、まだ覚えてる」


 眉間にうっすら影を落としながら、陸は静かに言う。学校ではいつも明るくて、爽やかで、皆の中心にいる。そんな彼の陰を見られることが、少しだけ嬉しいと思う自分がいる。


 陸と僕は幼稚園からの付き合いだ。

 母さんが亡くなる前の陸は、社交的とは言い難くて、どちらかといえば泣き虫だった。

 それでも彼は変わった――いや、変わるしかなかったのかもしれない。

 いじめの現場を見れば、なりふり構わず助けに走るようになった。七年間、一度も「寂しい」と弱音を聞いたことがない。


 張りつめた糸がいつか切れるんじゃないか、と心配しながらも、僕は見て見ぬふりを覚え込んで、中学を卒業した。

 別々の高校へ進み、連絡も途絶えた。

 そんな時間の堆積が、今この小さな箱でふっと剥がれていく。


「覚えてるか? 母さんが死んだとき、和真が言った言葉」


 陸が急に笑う。僕は首をかしげた。


「周りはみんな『大変だったね』『何かあったら言って』って、腫れ物みたいに扱った。悪気はないけどさ。でも、和真だけは――ぶっ飛んでた」

「そうだっけ?」

「仕方ないって言った」

「……嘘だろ」


 最悪のチョイスだ。幼さゆえの無神経。胸がきしむ。


「でも続きがある。和真だけは、変わらずボール持って家に来た。みんなが避ける母さんの話も、普通に振ってきた。俺はそこで、やっと普通に戻れた。立ち直ったフリも、傷ついたフリも要らなかった。……助かったのは、あれだよ」


 真正面から言われ、救われたのは僕の方だった。


「陸って、ドM?」

「違うわ。お前だけが普通でいてくれた、って話」


 ゴンドラがゆっくりきしむ。

 僕は前から気になっていたことを切り出す。


「僕は逆だと思ってた。……陸、昔は大人しかった。母さんが亡くなってしばらくして、急に明るくなったよな。その明るさ、無理してるんじゃないかって」


 陸は一瞬きょとんとして、照れたように頭をかく。


「あー、それね。『キャプテン忍』ってサッカーアニメ、覚えてる? ただ、主人公に憧れてただけ」

「それだけ?」

「それだけ。孤独を隠すためにキャラ作ってるとか、ないない。和真、ドラマの見過ぎ」


 言葉を失う僕を指さし、陸はむくれる。


「人のこと言えないぞ。和真だって、人が変わったようにイメチェンしたろ。今までは事なかれ主義で、傍観者でいるタイプだったのに」

「……僕も大人になったんだよ」

「物は言いようだな」


 肩をすくめ、陸は両手を広げて大げさに笑ってみせる。

 こんなふうに、心の底で会話したのは本当に久しぶりだ。


 観覧車はさらに高く。窓の外で、街の音が少しずつ遠くなる。同じ高さに並ぶのは、景色だけじゃない。僕らの呼吸も、昔みたいに、ゆっくり揃っていく。




 僕たちが観覧車を降りるのとほぼ同時に、霧ヶ峰と桜井も反対側のゴンドラから降りてきた。


「ちょっと。なに、その顔。……二人とも、すっきりした顔して」


 霧ヶ峰が僕と陸を交互に見て、眉をひそめる。桜井もぱちぱちと瞬きを多めにして、首をかしげた。


「いや、和真に観覧車誘われたときは身の危険を感じたけど、案外いいもんだな。男同士も」


 陸は清々しい顔で言い放つ。霧ヶ峰の冷気はノーダメージらしい。


「日向くんに、告白された?」

「ああ。熱かったぜ」


 霧ヶ峰のにやけに、陸が乗っかる。――が、冗談が通じていない人が一名。桜井は目をまんまるにして、麦わら帽子をぎゅっと押さえた。


「桜井さん、冗談。ぜんぶジョークだから安心して」

「えっ……あ、そっか。びっくり、した……」


 ほっとしたように息をこぼし、桜井はトートの持ち手をもじもじ、指先で折り曲げる。

 昼食のあと、ジェットコースター、コーヒーカップ、メリーゴーランドと定番を制覇。

 もちろん僕は陸と桜井が二人になれるよう、霧ヶ峰とペアで動いた。


「じゃ、次どこ。――詩音、行きたいとこは?」

「わ、わたし……お化け屋敷、行ってみたい」


 意外と即答。小さな声なのに、芯がある。


「いいねぇ。桜井、怖かったら『キャー!』って俺に飛びついていいよ」

「……っ」


 桜井は瞬時に顔を真っ赤にして、麦わらのつばを下げた。


「わ、悪りぃ。怒ってる?」

「怒ってない……」


 俯いたまま首だけ小さく左右に。――小動物感、爆発。


「うわ、あのリア充。爆発すればいいのに」


 僕が遠巻きに毒づいてみせる。

 ――いつもならここで霧ヶ峰が、


『妬かないの。ほら、私がいるでしょ』


 と肩を叩いてくるはずなのに、反応がない。

 振り返ると、霧ヶ峰の顔が紙みたいに真っ白だった。


「霧ヶ峰さん、大丈夫? 具合悪い?」

「べ、別に。ぐ、具合は――問題ありません」


 なぜ敬語。重症のサインだ。

 彼女はお化け屋敷の看板を見つめ、ポニーテールをほぼ無意味にきゅっきゅ締め直し、つま先で地面をちょいちょい蹴る。……震えている。


「……もしかして、お化け屋敷、苦手?」

「っ……違う。子どもだまし」


 強がりながらも、声が上ずる。迫力ゼロ、完全にウサギの目。


「無理ならやめよう。ほんとに」

「大丈夫。行く。――行ける。たぶん。……行く」


 語尾が迷子になっているのに、腕だけはがっちり掴んでくる。

 ちょっと、霧ヶ峰さん。僕の腕は握力測定器じゃないよ。


「日向くんは怖いんでしょ。わたしが――て、手を、結んで、差し上げます」

「日本語が故障してるよ」

「……再起動中よ」


 顔だけキリッとして言うの、ずるい。

 その一方で――


「じゃあ、行こっか」

「……う、うん」


 陸が差し出した手に、桜井がおそるおそる触れる。その瞬間だけ、指先がにゃんと丸くなるのを僕は見逃さなかった。

 その後も休憩をとりつつ、いろんなものに乗った。

 遊園地を出て、仙台駅に戻った頃には時計の針も十八時を回っていた。


「いい気分転換になったわ。――詩音も楽しかったでしょ」

「うん。楽しかった。今日は二人とも、付き合ってくれてありがとう」


 最初に待ち合わせをした伊達政宗像の前。

 僕らはまだ遊園地の余韻が抜けないまま、立ち話を続けていた。

 霧ヶ峰と桜井は戯れ合うように笑い、そんな二人を陸が目を細めて見守っている。


「もう十八時過ぎ。外も暗くなってきたわね」


 霧ヶ峰が時計を見て、ふっと顎を上げる。


「――一ノ瀬くん、女二人じゃ危ないし、詩音を送っていって」


 唐突に放たれた一言に、桜井は「な、なに言ってるの、翼ちゃん!」と慌てて霧ヶ峰の腕を引いた。

 その一瞬、二人が目を合わせる。言葉はないのに、視線だけで何かを交わした気配があった。


「そうだな。じゃあ、和真のことは……霧ヶ峰頼むな」


 陸は戸惑う様子もなく、あっさり頷く。


「任せて。日向くんは、私が守るから」


 霧ヶ峰はさらりと言って、軽く親指を立てた。――そこは普通、逆だろ、と心の中で突っ込みながらも、なぜか誰も違和感を覚えていない。

 自然に考えれば、四人で一緒に帰ればいいのだけれど、陸は僕と霧ヶ峰を二人きりにさせたほうがいい――という誤解をしたまま、快く引き受けたのだろう。


 結局、僕たちはその場で解散することになった。

 夜の気配が広がるコンコースに、人の流れと靴音が重なっていく。

 それぞれの帰り道が、今から少しだけ――分かれていく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ