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タイムリープ ~アルバムが告げる、二十二年目の真実~  作者: 結城智
第三章 彼が望んでいたもの――勝敗の先にある証明
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第十三話 初夏、寄り道、作戦会議

 六月。春から夏へ滑る衣替えの季節。

 日差しにはみずみずしい初夏の匂い。今日は、とびきり暑い。

 五キロ走を終えたサッカー部は、荒い呼吸のまま次々とグラウンドに座り込む。


「十五分休憩! 試合も近いから、次は紅白戦いくぞー!」


 陸が歩きながら声を張る。合図を待っていたみたいに部員が散り、ボトルに口をつけ、好き勝手に雑談をはじめた。

 僕も水をひと口流し込み、足元のボールでリフティングを始める。


「さすが和真。全然疲れてないな。五キロじゃ物足りないか」


 感心したように陸が歩み寄る。本人も息は乱れず、清々しい顔。パスを返すと、陸はすぐさま足に吸い付ける。


「スタミナなら、和真の右に出るやつはいないな」


 珍しく持ち上げられて、嬉しいはずなのに素直に喜べない。


「僕は走るくらいしか能がないから。陸みたいなゴール嗅覚とかフィジカルは持ち合わせてないし」

「えー、そんな褒めるなよ。そんな、メッシみたいだなんてさ」


 皮肉を華麗にスルーして陸は鼻の下を伸ばす。……誰もそこまで言ってない。突っ込みかけてやめた。今はモチベを下げる必要はない。

 陸のポジションはFW。公式戦でも練習試合でもハットトリックが日常。強烈なシュート、競り合いでも当たり負けしない体幹。


 去年、四中サッカー部は県準優勝。それでも陸は得点王だった。個だけ見れば全国でも通用する——けれどサッカーは十一人の競技。ひとりが飛び抜けても、全体がそこへ届かないと勝ちは遠い。三年の県大会も、結局準優勝で終わった。悔しさは覚えているのに、試合内容だけが霧の向こうにある。


 とにかく、僕らは全国まで行く必要がある。

 それが同級会の惨事に直結するとは思えない。けれど、勝ち切ることがきっと何かを変える。


「陸。……練習量、もう少し増やせないかな?」


 優勝へ一歩でも近づくため、さりげなくキャプテンに振る。

 待ってました、とばかりに陸の目がきらり。腕が僕の肩に回る。


「おお! そうだな、やろうぜ」


 本当に練習の虫だ。強いわけだ。

 練習が終わる頃には、朱を含んだ紫陽花色の夕空。

 日は長くなったが、もう十八時を回っている。今日はいつにも増して厳しく、そして充実していた。


「日向先輩、お疲れ様です!」


 後輩が会釈しながら横切り、僕も「お疲れ」と返す。


「和真、陸に余計なこと言っただろ。途中から地獄だったぞ」


 同級生がタオルで汗を拭い、口を尖らせて通り過ぎる。僕は「そうかな」と目を逸らした。


「日向くん。今日、一緒に帰りましょう」

「なんだよ、そんな改まって言わなくても」


 受け流しかけて違和感に気づく。今、日向くんって言った?

 振り返ると霧ヶ峰。高めのポニーテール、うなじに汗がきらり。涼しい目元のまま後れ毛を指で払って、僕の袖をちょん、と引く。


「寄り道、つきあって。……断らないで」

「ああ、いいよ。陸も一緒だけど、いい?」

「だめよ」

「……はい?」


 耳を疑う。理由を聞こうとしたところで、ちょうど陸が割り込んでくる。


「お、霧ヶ峰。今、練習終わり?」


 僕と霧ヶ峰を交互に見て近づく。


「ちょうどよかった、一ノ瀬。今日、私、日向くんと帰りたいの。譲って頂戴」


 挨拶はスルー。言葉は鋭いのに、袖口をきゅっと摘む仕草は小動物っぽい。


「もちろん。俺がいたら邪魔だもんな」

「そうね。いないほうがいいわ」

「了解。俺はドロンします!」


 二人の合意は、僕の意見不在のまま成立。陸は大きな勘違いをしている気がするが、霧ヶ峰はお構いなし。

 支度に戻る僕の背中を、陸がやけに押してくる。


「和真、頑張れよ」


 ……現実はそんなに甘くないぞ。告白と思ったらビンタのオチもあるんだから。

 とはいえ、友の幸運を妬まず素直に応援できるのは陸の器だ。彼に告白の噂が絶えないことも僕は知っている。羨ましくないと言えば嘘になる。


 支度を済ませ、「じゃあ今日はごめん」と陸に告げ、校門へ。

 陸がいるとだめな話。面倒ごとか? 嫌な予感がかすめる。

 校門近く。霧ヶ峰はポニーテールを風に遊ばせ、空を見上げていた。

 人波が切れるたび、通り過ぎる男子が小声で囁き合う。学年でも一、二を争う顔立ち。口が悪いのが玉に瑕だが、目を引くのは事実。……相手が僕だと知ったら、落胆するかもしれない、と自己嫌悪が顔を出す。

 人通りが薄くなった瞬間を狙って、歩み寄る。


「ごめん。待った?」

「待ったわよ。何時間、待たせるつもり?」


 即答。表情は淡々、言葉だけ刃先。けれど次の瞬間、ふっと視線を逸らし——ゴムをきゅっと結び直し、つま先で砂をひと蹴り。

 その仕草が、妙に柔らかい。


「その顔、なに?」

「……いや、別に」


 首を振って誤魔化す。霧ヶ峰は小さくため息を落として、まっすぐ僕を見る。


「じゃ、歩く。用件は途中で話すから。——寄り道、付き合いなさい」


 命令形。なのに、歩き出す直前だけ、指先で袖をちょんと引いた。

 胸の鼓動が、夕空の色に少しだけ近づく。


「ところで今日はどうしたの? 一緒に帰ろうなんて。……もしかして、僕のこと好きになっちゃった?」

「ええ、好きよ」

「えっ?」

「冗談よ」


 狼狽した僕を、霧ヶ峰が流し目で勝ち誇る。三十七歳の僕が、十五歳の彼女に転がされている。情けない。


「……まあ、あながち嘘でもないけど」


 彼女は小さく俯き、視線を逸らした。胸が跳ねる。同じ手に二度は引っかからない。


「さすが、女優だね、霧ヶ峰さん」

「なにそれ。新しい悪口?」


 皮肉に、彼女はわずかに不満げ——でも、どこか寂しげにも見えた。気のせいだろう。


「で、なにかあったの?」


 噂が立つ前に校門を離れようと歩き出すと、彼女も小走りで並ぶ。


「うん。実はね、詩音が——」

「まさか、またいじめられてるの?」


 言った瞬間、冷たい視線が刺さる。


「違う。そういう決めつけ、嫌いよ」

「……ごめん」


 周囲を一瞥した彼女は、声を落として切り出した。


「詩音、好きな人がいるの」


 思ってもみなかった打ち明けに、足が止まった。


「びっくりした?」

「まあ、ね」


 二十二年の憎悪に囚われていたはずの桜井詩音が——好きな人。それだけで胸が温かくなる。


「で、誰?」


 促すと、霧ヶ峰さんは眉間に指を当て、僕をじっと見る。


「相手、知ったらびっくりするよ」


 視線を合わせたり逸らしたり、落ち着かない。


「……まさか、僕?」


 おそるおそる自分を指すと、彼女は目を瞬かせ、僕の肩を掴んであっさり言い捨てた。


「そんなわけないでしょ」


 そして悪戯っぽく笑う。完全にからかわれた。羞恥で視線が泳ぐ。


「怒った?」

「怒ってない」


 肩を振りほどき、話を戻す。


「で、結局だれ? 詩音の好きな人」

「……一ノ瀬くん」

「ああ、陸か」

「反応、薄いわね。驚かないの?」

「驚かないよ。陸はいいやつだ。顔も性格も爽やかで、ちょっと抜けてるけど、友達思い。サッカーも上手い」

「妬まないんだ?」


 核心を突く目。


「妬ましくないと言えば嘘だけど、納得はできる。あいつは努力してるし、実力がある。比べれば僕は勝てない。だから嫉妬は自惚れだ」


 陸は大切な友達だ。そんな感情で関係にひびは入れたくない。


「ふーん。よくわからないけど、自分が嫌いなの、日向くんは?」

「嫌いでも好きでもない」

「私は好きよ。日向くんのこと」


 足を止め、彼女はまっすぐ僕を見る。澄んだ瞳。


「また冗談?」

「冗談じゃないわ」


 睨むような真剣さで続ける。


「詩音の件、あなたがいなきゃ無理だった。悪役を演じて震えてたくせに、それでも前に出た。助けたいって気持ち、あれは本物。あなたにしかできないことは、ちゃんとある。だから、自信をもって」


 胸に手を当て、周囲も構わず言い切る。


「……ありがとう」


 俯き加減に礼を言うと、彼女はハッとして口元を押さえた。


「ごめんなさい。勢いで。――で、本題」


 ひと呼吸おいて歩き出す。僕も並ぶ。


「詩音と一ノ瀬くん、デートさせたいの。ただね、いきなり二人は緊張するって」

「まあ、わかる」

「だから、ダブルデート。詩音と一ノ瀬くん。日向くんと、私」


 ……マジか。中学生でダブルデート、しかも相手はこの人。刺激が強い。


「不満?」


 唇を尖らせる。


「不満なわけない。霧ヶ峰さんとデートできるなんて、僕は幸せ者だ」

「日本語、たどたどしいよ」


 乗り気ではなかったが、陸と詩音のためだ。ここは人肌脱ごう。問題は段取り——詩音の好きを悟られず、自然にダブルデートへ持ち込む理由。

 歩幅を合わせる彼女が、ふいに僕の袖をちょんと引いた。


「作戦会議。寄り道、いい?」


 命令形。けれど声だけ、少し柔らかかった。

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