第八章「記録の深淵と、新たな訪問者」 第2話「記録執行官ユグ=エルと、試される存在価値」 〔後編〕「承認と、記録に触れる手」
再び足元に確かな感覚が戻ったとき、剛たちはアーカイヴ・スフィアの中枢、
“記録承認の間”に立っていた。
空はなく、地平もない。ただ無数の記録球が浮かび、静かに回転している。
その中心に、ユグ=エルが佇んでいた。
彼女は今までと変わらず無機質な仮面のまま、しかし、どこか柔らかな声音で口を開く。
「あなたたちは、記録の裂け目を乗り越えました。
それは、神に守られた者には決してできぬこと。
“記録の外部から来た者”ゆえに可能だった、価値の証明」
ユグ=エルの指先が動くと、剛たちの胸元に淡い光が宿る。
「これは……」
「仮記録権限。“記録に触れ、観察し、改稿を提案する権利”です。
グランアーカイブ第零層の迷宮を進むには、この力が必要です」
ティナは不安そうに問う。
「でも、あなたは私たちを……削除するつもりだったんじゃないの?」
ユグ=エルは静かに頷く。
「その通り。わたしは“記録の守護者”であり、“門番”でもある。
存在価値を示せなければ、そのまま無に還っていただく予定でした」
その言葉には、残酷な響きも、同情もない。だが――剛には感じ取れた。
彼女自身もまた、記録に縛られた存在であることを。
「……ユグ=エル。あんたも、“記録を破れない者”なんだな」
その言葉に、仮面の奥の彼女がわずかに動揺するのが分かった。
そしてユグ=エルは、ゆっくりと手を差し出す。
「わたしは……選ぶことを許されない存在。
でも、あなたたちは、選び続ける者。ならば――進みなさい」
記録球のひとつが剛の前に降りてくる。
その中には、まだ書かれていない“白紙の記録”があった。
剛は手を伸ばす。恐れはあった。だが、もう迷いはなかった。
「俺が記す。この手で、未来の記録を」
触れた瞬間、白紙だった球体が淡い金色の光を放ち、ふわりと浮かび上がった。
次に現れたのは、グランアーカイブのさらに奥。
かつて誰も足を踏み入れたことのない“未記録領域”への転送ゲート。
リナ=オルタがにやりと笑う。
「とうとう来たわね。記録じゃなく、“物語”を創る旅のはじまりが」
ティナが頷く。
「どんな終わりになるのかなんて、わたしにもわからない。
でも、進むよ。もう一度、信じてみたいから」
剛はゲートの前に立ち、背後のユグ=エルに言った。
「ありがとう。たぶん、俺たちの記録が続く限り、あんたの役目も終わらないんだろうけど……」
ユグ=エルは、ほんの少しだけ、仮面の奥で微笑んだように見えた。
「その通りです。だからこそ、願います。
どうか“記録を愛してくれる者”として、その力を使ってください」
三人はゲートをくぐる。
光の先で待っているのは、書かれざる世界。
──そして、次なる章《記録と想起の彼方へ》が、いま開かれようとしていた。




