第八章「記録の深淵と、新たな訪問者」 第2話「記録執行官ユグ=エルと、試される存在価値」 〔中編〕「記録の裂け目に堕ちて」
視界が、断ち切られた。
光も音もない、虚無のような空間に、剛たちは一瞬で飲み込まれていた。
身体は浮いているはずなのに、どこにも落ちていく感覚が止まらない。
「これは……記録の裂け目? でも、こんな場所、初めて……!」
ティナが焦りをにじませる声で叫ぶが、反響も返ってこない。
リナ=オルタはすぐに周囲に魔力を展開しようとしたが、それすら掻き消える。
「魔力が……吸われてる? 違う、“再生前の記録”に引き込まれてるのよ。ここは、“存在が仮定される前”の記録世界……!」
その言葉が終わらぬうちに、虚無の闇が揺れた。
そして、剛の目の前に——過去の自分が現れる。
「おい、何だよ……」
かつての自分だ。
何度転生しても、すぐ死に、スキルすら理解できず、何も信じられなくなっていた頃の自分。
無表情で、絶望をひた隠すように下を向いているその男は、まさに「剛の失敗の象徴」だった。
「また見せられるのかよ……もう何度も思い知ったつもりだったのに……!」
だが、今度は違った。
過去の自分が、ゆっくりと顔を上げた。
その目は——敵意に染まっていた。
「お前なんかに、記録を上書きされてたまるか」
叫びながら、影の剛が飛びかかってきた。
剛はとっさに剣を抜くが、刃が重い。自分自身の迷いが、武器の“重さ”になっていた。
ティナのほうでも、同じ現象が起きていた。
彼女の前には、スキルを奪われた“無力な自分”が立っていた。
それは泣いていた。怖くて、誰も信じられなくて、ただ震えていた“過去”。
「お願い、やめて……」
ティナは思わずそう呟いていた。
「私は、あんたを捨てたわけじゃない……! でも、戻るわけにもいかなかった……!」
記録の裂け目に映し出されたのは、「過去との対話」ではなかった。
過去そのものが、今の自分を拒絶する構図だった。
リナ=オルタも同様に、“記録を破壊した瞬間”が延々と再生されていた。
あの日、神殿で記録を燃やし、都市を崩壊させたあの“選択”が、目の前に焼き付けられる。
「ええ、わかってるわよ。罪深いってことくらい……」
リナは、それでも睨み返す。
「でも私は、“間違った記録”に従うことの方が、よほど罪だと思った」
それぞれが、過去と戦い、今を揺らがされながらも足を止めない。
そして、ようやく気づく。
この試練の本質は、「どれだけ強かったか」ではない。
——どれだけ自分の“記録”を受け入れ、選び直せるか。
剛は剣を構え直し、かつての自分に言った。
「もういい。お前がいたから、俺はここまで来られた。
もう、お前を否定しない。だから、ここで終わってくれ。俺は、先に進む」
影の剛が、静かに剣を下ろし、光の粒となって消えていく。
ティナも、涙を流す自分を抱きしめた。
リナは、崩れる神殿を背に笑って立ち尽くしていた過去の自分に、ただ一言「ありがと」とだけ告げた。
その瞬間、空間が音を立てて裂け、虚無が収束していく。
彼らは再び、第零層の中心へと戻されていた。
そして、ユグ=エルの前に立つ。
彼女の仮面が、ほんの僅かに揺れる。
「——存在価値、仮承認。次段階へ移行」
──〔後編〕へつづく。




