第七章「記録なき日々と、新しき危機」 第3話「神なき世界に、命名すること」 〔後編〕「命名者の覚悟と、ゼロの扉」
ラミエルは、アリエル村の中央に立つ剛のもとへ歩み寄った。
手には、シロから託された羊皮紙。表面には見慣れぬ古語、しかしどこか“懐かしさ”を帯びた文様が刻まれている。
「……シロから?」
受け取った剛は眉をひそめ、慎重にその封を解いた。
文様が浮かび、音なき“響き”が頭の奥に入り込んでくる。
言葉ではない。意味ではない。
それは“理解”の原型、“共鳴”だけの感覚だった。
──私はここにいる。
──あなたは、わたしをどう呼ぶ?
──それは祝福か、呪いか?
「これが……“第ゼロ言語”?」
剛は、理解した。
この羊皮紙は、名付ける者への問いかけだった。
この世界で名を与えるということが、いかに重い選択であるかを、根源から問い直してくる。
「“名前”は――」
剛が呟こうとしたとき、ナナとティナが背後に現れる。
「シロの思想、分かるわ。でも、やっぱり私は、名前に救われてきた。
“ティナ”って呼ばれて初めて、自分が誰かになれた」
「名前を奪われた者もいるけど、名前で繋がれる者もいる。
その矛盾を、私たちは超えなきゃいけない」
剛は大きく息を吸う。
そして、アリエル村の中央にある碑の前に立つ。
「……俺は、この村に、新しい名前を与える」
村人たちが息を呑む中、剛は静かに宣言した。
「“アリエル”は、名を持つ者と、名を持たぬ者が共に在る、“二名村”とする。
それぞれの在り方を認め合い、互いに干渉しない。だが、必要なときは手を取り合う。
名付けることを強制せず、名を捨てることも許す。
この場所が、“神なき世界”での、新しい“命名の祈り”になるように」
風が吹き抜け、村の中央にあった碑が光を帯びる。
誰かが、この“選択”を受け取ったかのように。
ティナが言った。
「“定義”じゃない。“選択”がある世界。
それなら、私はきっと――もう一度、名前を信じられる」
ナナも続ける。
「名を持つことが呪いにならないように、私たちは見届ける義務がある」
その時、碑の奥から、微かに声のような振動が響いた。
言葉ではない。
記録ではない。
それは、ゼロの声。
人が神を模倣せず、自らを定義せず、ただ“共に在る”ことを選んだときにだけ聞こえる、沈黙の祈り。
剛は目を閉じ、微笑んだ。
「ありがとう。俺はもう、逃げない。
名前を与えることの重さを知っても――それでも、俺は呼ぶよ。
“ここにいる”と、誰かを肯定するために」
そして、アリエル村には新たな石碑が建てられた。
『名を持つ者と、名を捨てた者と。
そのどちらも、世界の一部であるように――』
──第3話・完。




