第七章「記録なき日々と、新しき危機」 第2話「誕生する村と、“記録を恐れる者”」 〔後編〕「記録を拒む声と、歩み寄りの始まり」
日が傾く頃、剛はティナ、ナナ、そして村からの数名を連れて、林の奥へ向かった。
そこには、名前もレベルも職業も表示されない“未定義者”たちが十数人、静かに立っていた。
顔には仮面。服はぼろ布。だがその瞳だけは強く、何かを訴えていた。
「ようこそ、定義者たちよ」
前に出たひとりの女性が、仮面を外す。
まだ若く、どこかで見覚えがある――
ナナが微かに息を呑む。
「あなた……“記録の都”エドノアの管理者だった。記録官……!」
「元、よ。今の私は記録を捨てた者。
名を持たず、過去も捨てた。私は今、ここに“ただ在る”存在」
剛が一歩前に出る。
「なぜ……“記録”を、そんなにも憎む?」
ラミエルは静かに目を伏せる。
「私は夫を記録に殺されたの。
彼は、“役立たず”と定義されたことで、すべてを奪われた。
名前が、彼の自由を、命を、未来を閉じたの」
ティナが声を荒げる。
「でも、それは記録を悪用した側の問題じゃないのか?
私たちの村は、そんなルールじゃ……!」
ラミエルは首を横に振る。
「定義には、常に“基準”が生まれる。
“良い名”と“悪い名”が。
やがて人は、名前によって“差別”され、“淘汰”されるの」
剛は拳を握った。
「それでも……! 俺は記録を信じたい。
名前を与えることは、“存在を守る”手段でもあるはずだ」
「あなたは優しい。でも世界は、あなたの優しさだけでは動かない」
その言葉は、重く剛の胸を打った。
ナナが小さく声を重ねる。
「じゃあ、私たちはどうすればいいの……?
記録を否定したら、全部が消えてしまう。
でも、押しつけたら誰かを壊す。
その真ん中に、道はないの……?」
ラミエルは少しだけ、目を伏せた。
「ひとつだけ……あるとすれば、“選べる記録”」
「え……?」
「強制ではなく、選択制。
記録されたい者だけが記録され、名を望まぬ者はそのまま存在できる。
記録と無記録が共存する場所――それが、理想の世界」
沈黙。
その場の空気が、少しだけやわらいだ。
剛は、ゆっくりと手を差し出した。
「その村に……アリエルを、したい。
“記録を望む者”と“記録を拒む者”が、共に暮らせる場所に。
名前のある人も、ない人も、共に生きるために――話そう。歩こう。時間をかけてでも」
ラミエルは、その手を見つめ、そして――握った。
「……仮面の下に、まだ名はないけれど。
私は今日、あなたと“関係”を持った。
それだけは、確かに“記録”されていいわ」
その瞬間、風がアリエル村から吹き抜けた。
定義と自由、記録と忘却、その狭間で。
ようやく“共に歩む”という選択肢が生まれたのだった。
──第2話・完。




