第七章「記録なき日々と、新しき危機」 第2話「誕生する村と、“記録を恐れる者”」 〔前編〕「定義の村、アリエル」
――「記録」されるということは、この世界では“存在を保証される”ということだった。
村、アリエル。
この名もなき世界において、最初に名付けられ、最初に“記録された”場所。
剛たちはここに、拠点を築いていた。
「井戸完成! 今日から、水の心配はなしだね!」
ティナが額の汗を拭いながら、皆に向かって笑顔で手を振る。
剛とナナも、その後ろで木材の束を下ろしていた。
「今日は八人、流れ者が来た。皆この村の噂を聞いて来たみたいだ」
「“名前がある場所”っていうだけで、人は集まるのね。情報も、記憶も、拠り所がないから……」
ナナが呟いた言葉に、剛は小さくうなずいた。
「……それだけ、“記録される”って安心をもたらすんだな」
だが、それは同時に――“怖さ”も生んでいた。
ある晩、剛は焚き火の前で、ひとりの旅人と対面していた。
「名を……つけられたくはないのです」
その旅人は、目を伏せ、震えながら言った。
「ここに来れば、名を与えられ、記録されると聞きました。
でも、それが怖いのです。定義された自分を、否定できなくなるのが」
剛は黙って、その言葉を聞いていた。
「名前を持つと、人は安心する。けれど同時に、逃げられなくなる。
“お前はこういう者だ”と刻まれ、それに縛られる」
言葉に詰まりながら、旅人は続ける。
「……記録を持たぬ今のほうが、自由だと感じるのです。
過去も、痛みも、全部忘れられる」
剛は火の揺らめきを見つめながら答えた。
「それでも……名前をつけるのは、俺たちが“生きてる”って証になる。
この世界に、痕跡を残すってことだ。忘れ去られるよりは、俺は……怖くても記録されたい」
その旅人は、しばらく黙っていた。
そして、ただ一言――
「……“シロ”という者を、知っていますか?」
剛の表情が変わる。
「知ってる。あんた、あいつの仲間か?」
「“仲間”ではありません。ただ……彼の言葉に、私は救われました」
そして、旅人は立ち去る。
翌朝、村の門には文字が刻まれていた。
『定義は檻。記録は毒。
お前たちはまた、かつての神を模倣しているだけだ。
――シロ』
アリエルの村に、確かな“波紋”が広がり始めていた。
──中編へつづく。




